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 不機嫌ゲージがフルMAXの犬彦とは対照的に、人事評価について尋ねられた森田は、すごくいい笑顔で、それがまるで自分のことのように誇らしげに答えた。



 「ええ、かなり完成に近づいています、素晴らしいスコアですよ!

 赤間部長の人事評価は、驚くほど高い仕上がりになっています、弊社の上司もこれを提出したら、度肝を抜かれることでしょう」



 「いや、ちょっと待ってくれ、森田くん…」



 自分の人事評価などどうでもいいし知りたくもないが(そもそもなんで俺は、部外者のこいつらに上から目線で評価なんかされなくてはならないのだ)とにかく、その素晴らしい人事評価表などというものを、本店に提出されたりなんかしたら、今以上にややこしい面倒事に巻き込まれるのは目に見えていた、絶対に阻止しなくてならない。



 「君が作成した人事評価であるとか、俺が鈴木栄治郎の飼い犬である事実は置いておいてだな、まず大前提として、重要な事実があるんだ。

 大切なことだから、しっかりと聞いてくれないか森田くん」



 「はい、なんでしょう赤間部長!」



 「俺は、絶対に、本店の営業統括本部長なんていうものには、ならない。

 本店に異動など、絶対にしない」



 「えっ!!」



 犬彦が淡々と言い含めるように、そう宣言すると、森田は信じられないといったように目を丸くして赤間部長を食い入るようにみつめた。

 まさか、栄えある営業統括本部長のポジションを固辞する人間がいるなんて、ちらりとも想像したことがないのだろう。



 「ななな…なんでですか部長!! 営業統括本部長は、万人が望んで就くことのできる役職ではありません! 失礼ですが、現在の部長がなさっている業務よりも、弊社のそれは内容も濃く多岐に及んでいます、ある意味では日本全国の営業ルートを掌握できるほどの絶対的権力があります、年収だって信じられないほどの…」



 「森田くん、君はもっと冷静になって考えるべきだ。

 君たちは噂に惑わされすぎている、俺が鈴木栄治郎の子飼いだという点に目がいきすぎだ。


 いいか、本店とうちの会社では、規模が違い過ぎる。

 本店は何万人もの社員を抱える大手企業、一方うちは、パートアルバイトを含めても百人程度の従業員しかいない、中小企業なんだぞ。


 俺には、本店で営業統括本部長などという役職につけるほどの実力はない」


 

 「何をおっしゃいます! 赤間部長はその若さで、すでに部長職についておられる、それこそが実力の証しです! それに部長の実力と社員数はまったく関係ありません!


 確かに御社は中小かもしれませんが、それこそが御社の強みでもある、命令系統が即座に行き渡ることにより少数精鋭ですばやく行動に出て、確実な利益と結果を出す、そんな優秀なチームを率いているのが、赤間部長、あなたなのですから。


 弊社にも、あなたがたと取引先を奪い合って、結局破れたチームがいくつも存在しています、そこから赤間部長の武勇伝が多く流れてきているので、ご自身が想像している以上に、赤間部長の存在は業界では有名なのです」



 「…俺が、ここで部長をやっているのは、仕方なくだ。

 部長職なんて面倒だろう、皆が嫌がるから仕方なく俺がやっているだけだ。


 それに俺の年齢はあまり関係ない、うちの会社の社員の平均年齢はもともと若めだからな。

 年齢を重ねて経験を積んだ中堅は、一度退職し個人として独立してから、うちと個人事業契約に切り替える者が多いからだ。


 だいたい俺も、前部長職のオッサンがそうやって呑気に飛んでくれたおかげで、面倒事を押し付けられているんだからな」



 「…つまりは赤間部長も、いつか独立なさるご予定があるから、弊社に異動をするつもりがないとおっしゃっているのですか?」



 「違う。まあ俺も、定年までここにいるつもりはないが…。

 そもそもだな、俺という人間は、組織のなかで働くのが向いてないんだ、性格じゃない」



 「はい?」



 「…わかった、もうはっきり断言しよう。

 ただ、ここから先は完全なオフレコだ、その人事評価表とやらに書かないでくれよ。


 いいか森田くん、俺がこの会社で働いているのはだな…定時で帰れるからだ!」



 「ええ!」



 「定時で帰れて、土日祝日は休み、希望をしたときに有給休暇がわりと取れる、雨の日でも通勤時間が一時間以内で済む…これが俺にとって、この会社で働く理由のほぼすべてだ!!」



 「ええっ!!」


 

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