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 初めて見る赤間部長の微笑みに、森田は高揚したようすでパアッと明るい表情をしながら、それでも恐る恐る、探るように犬彦へ問いかけた。



 「もちろんだ、約束しよう」



 その問いへ、はっきりと赤間部長は断言する。

 赤間部長の返答の力強さは、聞く者に、嘘偽りのない執行力を確信させるものだった。


 犬彦と森田の二人しかいないオフィスは、そのあとにシンと静まり返る。

 どこまでも静かな空気が広がるオフィスで、犬彦と森田は、互いの心のうちをみつめるように、デスクを挟んで対峙している。

 閉じられた扉の向こうから微かに、フロアで社員たちが活発に働いているざわめきだけが、遠くで鳴るラジオの雑音のように聞こえてくるだけだ。



 「僕が、こちらの会社へ出向してきたのは…」



 その静かな空気のなかに、やがて森田の決心したようにどこか穏やかな声が響いた。

 ポーカーフェイスの犬彦は身動きもせずに、ただ森田の声に耳をすます。



 「出向してきた目的は、赤間部長の精密な人事評価表を作成することにあります」



 「俺の人事評価表だと?」



 「ええ、赤間犬彦部長の…人物像、ビジネス上の人脈、周囲からの評判、仕事に対する指針、実際の手腕、交友関係や家族構成…分かることはすべて調べるようにと、本社の直属の上司から拝命を受けております。


 すみません…その、個人的なことまで詮索するような真似をしてしまって…。

 ただ、情報の精密さを高めるためには、客観性が何より重要となります、ですからこのような話を永多さんたちにはもちろん、当事者である赤間部長にも、直接お話しすることができなくて…」



 「……」



 この場に江蓮がいたのなら、すぐに気づいて悲鳴を上げただろう。

 今、無言で佇む犬彦の全身から、怒りの暗黒オーラがほとばしり始めていた。

 しかしもちろん、犬彦との付き合いがまだ浅い森田は、怒りの暗黒オーラを知覚できるだけのレベルはない、ただ黙り込んでしまった犬彦をきょとんと不思議そうに見ている。



 「…森田くん、何故だ。

 何故、本店の人間が、俺の身辺調査をしようとしている。


 うちの会社と、君の会社は、本質的には別会社だ。

 ただ、ちょっとしたつながりがあるに過ぎない。


 わざわざ社員を出向させてまで、俺のことを調べさせる、その目的は何だ?」


 

 「はい、実は弊社では、近々大きな人事異動があると噂されております。

 それというのも、社内で大きな権力を持つポジションにあった人物が、近々定年退職をするからです。


 その人物の定年退職に合わせて、一段ずつ現在の役職についている者が、ずれるように上へあがっていくわけですが…問題は、誰がどのポジションの役職に就くのか、という点です。


 弊社内には、いくつかの大きな派閥があります。

 僕の直属の上司並びに、その周辺の近しい人間も、ある派閥に属しているのですが…次に現場を内部統括する地位に就く人物が誰なのかによって、我々の立場は大きく変わっていきます。


 そのため、我々は今のうちから、その候補者になりそうな人物を洗い出し、前もって手を打つ必要があるのです」



 「(派閥争いか…大企業というのは面倒なものだな)そうか、それで今の話と、俺の身辺調査に何の関係がある?」



 「ええ、ですから…その、次期営業統括本部長のポジションに就く可能性があると噂されている候補者のひとりが…赤間部長、あなたなのです」



 「……は?」



 寝耳に水とは、まさにこのこと。

 職場ではいつもクールで、ポーカーフェイスを崩さない赤間部長が、このとき誰が見ても明らかに分かるほど、びっくりした顔をした。


 赤間部長がこんな表情をするなんて…と、ツチノコが歩いているのを偶然みかけたくらいのレアな気持ちで、森田は犬彦の顔をみつめながら話を続ける。



 「もちろんこの話は、表には出ていません。

 ですが、かなり有力な候補者であるとの認識をもって、弊社内で噂は出回っています。


 しかし噂はあれど、別会社で働いているわけですし、赤間部長に関する信頼度の高いデータは弊社にはありませんので、実際に直接本人の様子を身近な視点から観察せよとの指示で、僕は赤間部長の元に出向してきたわけです」



 「…いや、まてまて、何故だ、どうして俺が君のところの…営業統括本部長とやらに就くかもしれないなんて話になるんだ、俺はまったく関係ない、俺は真の部外者だろう?

 うちは君の会社と資本連結もされていない、子会社でもなんでもない、ただたまに君のところから仕事のおこぼれを頂戴することがあるくらいで…」


 

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