11/9-2

 テレビ画面に映っているのは、ミイラだった。

 民俗学とやらについてはあまり興味のない犬彦だったが、考古学的な教養番組はわりと好きだったので、江蓮のとなりに座った犬彦は、おとなしく目を閉じて静かに眠っているミイラの姿を、あたたかな気持ちで眺めた。


 やかましく自分たちの周囲をうろちょろしてくる生きた人間よりも、慎ましくて無口なミイラの方が、犬彦にとってはよっぽど好感が持てる。


 犬彦が自分のとなりにやってきたことで、いくらか江蓮の怖い気持ちは収まったようだった。

 そういう細やかな江蓮の感情を、犬彦は敏感に察知しながら、義兄弟ふたりでゆっくりとテレビ鑑賞をする。

 この光景自体は、実に平穏ないつもの夜だ。


 …と、いいたいところだったが、やはり今夜の江蓮はいつもと少し違う。


 そのミステリー番組を見ながら、江蓮は、犬彦にこんな質問をしてくるのだ。



 「犬彦さん、呪いは怖くないんですか?


 ううん、それよりも、『呪い』っていうものは何なんでしょうか?

 『呪い』っていうのは、本当に存在するものなんですか?


 人を殺してしまうほどの力を持った、『呪い』、その正体は何なんです?」



 江蓮にそう尋ねられて、犬彦は一瞬、口を閉ざしてしまう。

 このとき犬彦は、犬彦らしくもなく躊躇ったのだ、なんと答えるべきだろうかと。


 この質問内容…そして、ミイラに関する『呪い』についてのテレビ鑑賞…。

 江蓮は確実に、近藤茜から渡された(と思われる)あの手記から、影響を受けている。


 いま江蓮は、『呪い』というものの存在に興味を持ち、『呪い』についての考えを深めようとしている。


 さて、俺は江蓮の保護者として、何と答えるのが、江蓮にとって正しい回答となるだろうか。


 ここで『呪い』とやらに対する興味を挫くこともできるだろう、だが、江蓮の知識欲に、砂をかけるような真似はできない。


 一瞬だけ逡巡した結果、犬彦は無難な回答を江蓮に与えた。

 そしてこれは同時に、一種のヒントでもあった。


 もし自分の悪い予感が当たったとしたら…きっと江蓮は知ることになる。

 『呪い』というものの影に潜む、生きた人間の、悪意に。

 

 『呪い』とはなにか、その質問に対する犬彦の答えを聞いた江蓮は、目をまん丸くして(これは、びっくりしたときや、よくわからないことがあったときに江蓮がする顔だ。犬彦は、江蓮がたまにするこの表情が好きだった)犬彦をみつめると、「犬彦さん、あの…」と言いかけて…そのときだ。


 ダイニングテーブルの上に置きっぱなしにしていた、犬彦の携帯電話のバイブレーションが鳴った。

 カタカタと震え続けているそれは、仕事用に会社から支給されている方の携帯電話だった。


 …電話がかかってきた。


 犬彦の視線は、まん丸目の江蓮から、テーブルの上の携帯電話へと移動する、そして犬彦は露骨に嫌な表情を浮かべた。


 それは、江蓮と過ごす家族の時間を邪魔されたというだけではなく、この時間に、社用携帯に連絡がきたというイレギュラーな事態に、深刻なものを感じたからだ。


 業務とプライベートの切り替えは、厳守! という赤間部長の絶対信念を、営業部メンバーはよく理解しているので、メールはまだしも、退社後のこんな時間に電話をかけてくることはあり得ないのだ。

 …最悪の緊急事態でも起こらない限りは。


 赤間部長の率いる営業部は優秀ぞろいだったので、滅多なことでは緊急性のある重大なミスを起こさない、仮に起こったとしても通常の流れであれば、赤間部長に直接連絡をするのではなく、まずは一課の永多に報告がいくはずなのだ。


 それはつまり…現在、赤間部長不在時の責任者代行である永多であっても、どうすることもできない重大な何かが起こっている…ということになる。


 (…………はあ)


 しぶしぶと犬彦はソファーから立ち上がると、心配そうな顔で自分をみつめている江蓮から離れて、テーブルまで歩いていき、携帯電話を手にとった。


 携帯電話のディスプレイには、永多の名前が表示されている。



 「…赤間だ」



 電話をとって返事をすると、そのまま犬彦はリビングを出ていく。

 江蓮の前で、つまらない仕事の話はしたくない。



 「お疲れ様です、部長。

 申し訳ありません、こんな時間にお電話をしてしまって。

 今、少しお話ししてもよろしいでしょうか、明日までに部長に直接ご報告したい事案が発生いたしまして…」



 「構わない、話してくれ。

 一体何があったんだ?」



 「あの…それが、恐れていた事態が起きました、暴動です」


 

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