11月9日木曜日

 人が大きく成長するとき、それは、自分とは異なる、新しい考え方と知識を持った人間と出会ったときだ。


 肉体も精神も、外部から何かを得て成長することに変わりはない。

 体は、毎日の食事によって成長する、精神もまた然り。


 ここに、それまで江蓮が食べたことのない、未知なる果物があるとする。

 江蓮は今、その果物に手をのばそうとしている。


 これまでに食べたことのない果物を口にすることで、江蓮は新しい栄養を吸収し、もっと成長できるかもしれない。

 それによって、これまでになかった新しい力を得て、江蓮が大きく成長できるとしたら、何と喜ばしいことだろう。


 だが、犬彦は知っている。


 果物には、毒があるものが存在することを。


 近藤茜…あの男の存在は、大きく江蓮を成長させる可能性を持つのと同時に、下手をすれば、江蓮の心を傷つけ、深く江蓮を損なわせる危険性がある、もちろんそれは、絶対に回避すべき憂慮事項だ。


 だが、毒は薬にもなる。

 コントロールさえできれば、毒は利用することができる。


 あの男は、江蓮の成長のための養分として、利用できるかもしれない。


 お前が江蓮を使って何を企んでいようと、今は泳がせてやる。

 …今は、な。


 心の内ではそんな考えを秘めつつ、態度には一切出さずに、これまで通り犬彦は、静かに江蓮を見守っていた。


 あのくだらない手記から察する限りでは、近藤茜はまた、民俗学がどうのといった流れで上手い具合に、好奇心豊かな江蓮の心を揺さぶって(好奇心があるのはいいことだ、それは成長していこうとする向上心の表れだからな)馬鹿馬鹿しい騒ぎに、江蓮を連れ込もうとしているのは間違いない。


 それが、ただ単にお遊び程度の騒ぎなら、別に構わない。

 だが、あの手記に秘められている罠に、易々と近藤茜がひっかかったとしたら、江蓮は確実に巻き添えを食う破目になる、それは許さない。


 しかし現状、特に問題は起こってなさそうだ。


 江蓮が、自分は犬彦さんのことなら何でも知ってる、ちょっとした仕草からでも、何かあればすぐ気づける、と自負しているのと同じくらい…いや、それよりも高い精度で、犬彦もまた、江蓮に何かあれば、本人よりも素早く的確に察知することができる。


 だが、今のところ、江蓮の様子はこれまでと変わらない。


 毎日元気に学校へ行くし、友達と遊んだあとにはきちんと家に帰ってきて、宿題もしている。

 食事も三食きっちり食べている、体調はどこも悪くなさそうだし、精神的にも良好そうだ。

 近藤茜による悪影響と呼べるようなものは、江蓮の周囲からは(とりあえず今は)感じられない。


 …と、思っていたら違った。


 この日の夜、これまでの江蓮であれば、進んでするはずのない行動をしていた。

 あの恐がりの江蓮が真剣な表情で、クッションを抱きしめながらソファーの上で体を丸めて(猫の置物みたいでかわいいぞ)その正面にあるテレビから流れる、ミステリー番組をみつめていた。


 そんな江蓮の様子を、少し離れたダイニングテーブルから眺めていた犬彦は(このとき犬彦は、ノートパソコンでまた烏羽玉島について調べていた)あれは相当ビビり始めている、フォローに入るべきだなと悟って、パソコンを閉じると江蓮のそばに行くことにした。



 「まったくお前は、恐がりくせにこういうテレビを見るんだよな、江蓮」


 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る