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 「おはようございます、赤間部長」



 「ああ、おはよう」



 江蓮の周囲にちらつく、鬱陶しい羽虫のような近藤茜の影にイラつきながらも、いつも通りの涼しいポーカーフェイスで出社した赤間部長は、フロア内ですれ違う社員たちと挨拶を交わしながら、自分のオフィスへ入っていく。


 そして途中で購入してきたコーヒーをデスクに置くと、パソコンを立ち上げ、席に着く。



 「おはようございます、部長」



 「おはよう、五月女くん」



 犬彦が席に着き、デスク上の書類を手に取ったところで、開きっぱなしの扉から五月女が姿を現す。

 そのまま入室すると、彼女は、デスクから少し離れた場所に姿勢よく立ち、手元の書類へと視線をやる。



 「本日の業務連絡ですが、今お話ししてもよろしいでしょうか」



 「ああ、よろしく頼む」



 これもまた毎日のルーティーンだ。

 犬彦がオフィスに入ると、ちょうどいいタイミングで秘書の五月女がやってきて、今日一日のスケジュールや伝達事項について説明してくれる。



 「本日、取引先から電話がありました、別口で三件です。

 部長と直接お話ししたいとの旨で、内容はすでに確認しております、急ぎではありませんが優先順位としましては…」



 すらすらと的確に業務連絡をしてくれる五月女の声に耳を傾け、相槌を打ちながらも、犬彦の目はパソコンの画面へと向けられていた、その指はかたかたとキーボードを打つ。


 そんな犬彦の様子を、五月女は気にすることなく、そのまま業務連絡を続ける。

 赤間部長はマルチタスクで業務を進めるのが、いつものことだったから。

 (犬彦は、電話で商談をしながら同時進行で、それとはまったく関係のない書類をパソコンで作成したりする)


 しかしこのときの赤間部長は、業務的な理由でパソコンをいじっているのではなかった。


 五月女から業務連絡を受け、それを理解しつつ、犬彦はネットで調べものをしていた。

 いま犬彦が一番知りたいことだ。


 ポーカーフェイスの赤間部長は、烏羽玉島とやらは一体どこにあるんだ、というのが気になって仕方なかったので、さっそくググることにしたのだ。

 

 烏羽玉島…周囲約五キロ、標高七十七メートルほど、主な地質は凝灰岩。

 過去、この島は陸地から離れていたが、現在では大橋が架かっており、車での行き来が可能である。

 東京から遠くはない、神奈川県内にある太平洋に面した島。

 漁業が盛んであるが、観光地としても有名。

 年間観光客数…八百万人、うち海水浴客数は七月から九月までの統計で三百万人…ふん、なかなかだな。

 また、島の頂点部には社が存在している、その名前は…御霊神社。



 「おはようございます、赤間部長!」



 デスクで烏羽玉島についてググっている犬彦と、なめらかに業務連絡を続ける五月女、二人だけが在室していたオフィスへ、もう一人の新しい人物が姿を現した。

 元気に挨拶をしながら、ひょこっとオフィスの入口に立ったのは、森田慎吾だった。


 そのまま森田は、犬彦と五月女がいるオフィスの中へ入ってくる。

 パソコン画面から目を上げると、犬彦は森田へと顔を向けた。



 「ああ、おはよう、森田くん」



 淡々とポーカーフェイスで森田へ挨拶を返す犬彦とは対照的に、オフィスへ入室してきた森田を見る五月女の顔はすごかった。(ちなみに角度的に、このときの五月女の表情は、犬彦からは見えなかった)

 五月女の目は、森田てめぇ何ナチュラルに部長のオフィスに入ってきてんだよ! という無言の怒りを込めつつ、鋭く森田へ向けられていた。



 「…森田くん、何の用かしら。

 部長は本日、午前休のため出社されたのが、今なんだけど。

 一応ミーティング中なのよ」



 「あっ、すみません、その…気がつかなくて。

 少しだけ部長とお話ししたいことがあったんです、ほんの少しでいいんです、あの、今じゃないと、また今日は部長にお会いする時間がなさそうで…」



 「あのねぇ、部長はご多忙なのよ、それに今出社されたばかりだって言ったわよね?

 自分の都合ばかり押し付けないでちょうだい、あなた以外にも部長と個人的に業務の相談をしたいっていう社員はたくさんいるの、でも皆は部長がお忙しいことを理解して自重しているし、当たり前だけど時間には限りがある、あなたの都合ばかりを優先できるわけないでしょ。

 それに時間がないって、時間は自分で作るものよ、時間がないのはあなたの業務処理のスピードに問題が…」



 「いや、いいんだ五月女くん」


 

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