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無感情な響きで淡々と犬彦がそう答える一方で、言われた方の森田は、明らかにうれしそうな顔をした。
そんな森田の顔を見ながら、さらに犬彦は続けて話す。
「君が知りたいと思うことを、俺が分かることであるなら教える。
だが、その前に、君にも理解しておいてもらいたいことがある、それは…我々営業部の、部是(ぶぜ)についてだ」
「は…はい! ぜひ教えてください!!」
部是…それは、営業部のメンバー全員が目指すべきもの。
理想であり、最終目標、それを知ることが出来たとき、自分はこの会社の営業部…ひいては、この敏腕と名高い赤間部長の考える、仕事理念の本質に触れることができる…!
それを素早く脳裏に浮かべた森田は、わくわくしながら、悪の組織の大ボスみたいな風格でデスクにかまえている赤間部長を、熱心にみつめた。
「営業部の全員が、信念として心に掲げているものだ。
心して聞き、明日から厳守するように」
「はいっ!!」
威厳に満ちあふれ、険しい表情でこちらを見ながら語られる、赤間部長の重々しい声に、期待で胸をドキドキさせながら、その言葉を一言も聞き漏らすまいと、真剣に森田は耳を澄ませた。
「では、申し伝えるぞ、営業部の部是…それは…。
定時帰宅、残業撲滅、だ!」
「はっ…はい?」
えっ…な、なんか聞き間違えてしまったのかな…?
営業部の信念が、…定時帰宅、残業撲滅…?
生まれて初めて手品を見せられた赤ん坊のように、ポカンとした表情で、訳がわからないとこちらを見ている森田へ、眉間にシワを寄せながら犬彦は言う。
「さらに付け加えるならば、報告もなく休日出勤をするのも、不可だ。
サービス出勤は許さない。
こうして通常の出勤時間以外に、君から仕事に関する話を聞くのは、本日のみだ。
どうしても永多くんではなく、直接俺に仕事の相談があるのなら、事前に話してくれ、そのための時間を五月女くんに捻出してもらう、君のためにスケジュールを空けておこう」
「あの、ですが、その…本当なんですか、営業部の部是がその…定時帰宅、というのは…」
困ったようにボソボソとそう話す森田を見て、さらに犬彦の眉間のシワは深くなる。
なんだ、こんなに言っても分からんのか、こいつは。
「当然だ、むしろその他に優先すべき何があるというのだ。
我々は、仕事をするために生きているのではない、生きていくために必要だから仕事をしているにすぎない。
プライベートがあってこその、仕事なのだ。
いいか、仕事とプライベートはきっちりと分けなければならない。
その区切りこそが、仕事の効率を上げ、精度を高めさせるのだ。
仕事が遅れても、いざとなれば残業をすればいい、帰宅した後に家でやればいい、サービス出勤をすればいい、そんなふうに逃げ場を作るからこそ、仕事に対する向き合い方がズルズルとだらしなくなっていく。
そうしてだらしなく取り組んだ仕事の内容が、優れたものだと君は思うか?
営業部の皆を見るといい、優秀な者ほど残業をしない。
彼らは就業時間内に必ず仕事を終わらせる。
そのために仕事の段取りをすべて最初のうちに組み立てているからだ。
君は向上心が強い、だからこそ、休日にこうして俺の元へやってきている。
ならば永多くん達を見習って、もっと上を目指すためにも、こんなサービス出勤を目論むのではなく、毎日仕事終わりにプライベートなスケジュールを入れてしまうといい。
彼らは定時ぴったりに退社すると、いつもそれぞれ約束の場所へ出かけていくぞ。
永多くんは恋人と会っているし、五月女くんも英会話スクールへ行っているそうだ、沖くんも、よくは知らないが、ネトゲのパーティーという時間にとても厳しい者達とどこかで待ち合わせの約束をしているらしい。
いいか、時間は有限だ、人生のなかで時間ほど大切なものはない。
俺も予定では、もうすぐ上がる時間だ、早く帰宅してミートソーススパゲッティを食べなくてはならない」
「ミートソーススパゲッティ…ですか?」
「そうだ、それこそが現在の最優先事項だ。
さあ、時間が惜しい、先ほど君は何か書類を出そうとしていたな、見せてくれ、君の質問に答えよう」
相変わらずポカンと口を開けたまま、犬彦の話を聞いていた森田だったが、そう犬彦にうながされて、ハッと我に返ったように鞄の中に手をつっこむ。
「あ、はい、この書類のここなのですが…」
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