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 いつも犬彦は、自分が在室している間は、オフィスの扉を開けっ放しにしていた。

 用のある者が気軽にここへ立ち寄れるように、そして、営業部フロア内の様子が確認できるようにと。


 そうやってオフィスの扉を開けておくことは、一種犬彦のくせになっていたので、今日のように自分ひとりしか出勤していない日曜日であっても、 同様にしていたのだが…。


 その、誰もいないはずの営業部フロア内を、迷いのない足取りで進み、こちらに向かって歩いてくる足音が、聞こえてくるのだ。


 一体、誰が…。


 デスクのパソコンから目を上げた犬彦は、そのままジッと、扉のむこうを注視する。

 足音の間隔からして、その人物は、すぐに犬彦のいるオフィスの扉の前に現れるはずだった。


 そして、想像通りにひとりの人物が、犬彦のオフィスの入口の前に立つ。


 ここに犬彦がいるのだと知っていたかのように、彼の目はまっすぐ、デスクにいる犬彦を見ている。



 「お疲れ様です、赤間部長」



 「……ああ」



 ここまで歩いてくる足音の、床を打つ革靴らしき響き、そのスピード、迷いなくここへ向かってくる足取りからして、その人物は営業部のメンバーで、男性であるだろうというところまでは、犬彦も目星をつけていたが、まさか…森田慎吾が現れるとは。


 犬彦をみつけた森田は、迷子の子供が知っている道に戻ってきたときみたいに、ホッと安心するような笑顔を浮かべると、そのままオフィスへと入室してきて、犬彦の近くへと歩いてくる。


 一方の犬彦はというと、まだまだ付き合いの浅い森田から見れば、いつも通りの落ち着いたポーカーフェイスのままに見えただろうけれども、もしこの場に江蓮がいれば、一発で分かるくらい、けっこう驚いていた。



 「失礼します、部長、お取り込み中でしょうか?」



 「いや、仕事は、ほぼ片付いたんだが…そんなことより森田くん、君は何故今ここにいるんだ?」



 今日の休日出勤のことは、江蓮から日曜日に友達と出かけるのだという話を聞いてから、突発的に決めたことだったので、秘書である五月女にも特に伝えておらず、従って誰もそれを知らないはずだった。

 

 

 「はい、本日部長が出勤されていると聞きまして、それで参りました。

 あのそれで部長、お伺いしたいことがございまして…」



 「いや、俺が今日ここにいることを、君は誰から聞いたんだ」



 そわそわとビジネス鞄から何かの資料を取り出そうとする、スーツ姿の森田を眺めながら、犬彦は淡々と尋ねた。

 なんでこいつ、休みの日にいつものスーツ姿で、夕方に会社へ来てるんだ…と思いながら。


 そんな犬彦の質問を聞くと、鞄をあさっていた森田はパッと顔を上げ、にこやかな笑顔で何でもないことのように答える。



 「はい、すぐそこの喫茶店のマスターが教えてくれました、お昼に部長がいらっしゃったと。

 スーツを着てらしたので、日曜だけれども部長は出勤されているのだろうと、そう教えてくれたんです。

 それで僕も、急いで自宅から駆けつけました、部長に直接教えていただきたいことがあったので」



 犬彦のこめかみがピクリと青筋を立てる。

 遅い昼飯を済ませるために、自分が森田の言う喫茶店に、今日立ち寄ったことを思い出した。

 …同じ会社の身内相手とはいえ、…あのヒゲオヤジ、何勝手に人の個人情報を漏らしてんだ、殺すぞ。



 「あのヒゲオヤジ…いや、喫茶店の店主が、今日俺が出社していると、そう君に話したんだな、何故だ?

 俺がいつ出勤しているかなどと、何故そんなことを君は知りたがる、そしていつから君は喫茶店の店主と親しくなっていたんだ?」



 「はい、僕もこちらへ出向してきてから、休憩時間に、あの喫茶店へはよく行かせてもらっているんです。

 すぐ目の前にありますから、休憩時間が終わればすぐに社に戻れますし、それに…」



 森田は知っていたのだ。

 赤間部長が、あの喫茶店の常連だということに。


 別にあの店だけじゃない、森田はこの辺りにある飲食店で、赤間部長が立ち寄りそうな場所はすべてピックアップして、調べ上げていたのだ、犬彦の動向を探るために。


 そして、あの喫茶店こそが、犬彦が姿を現す回数が最も多い店だということが分かり、森田自身も、なるべく通うようにしていた。



 「あそこのコーヒーは美味しいですから。

 通っているうちに、マスターと仲良くなって、連絡先を交換したんです。


 距離的に、やはりここの社員がよく来店するそうで、自然と常連客の話題が出るようになりました、それで部長のことも…」


 

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