15-16

 樹雨くんの部屋へむかうために、また長い廊下を歩いていく。

 このころには俺の呼吸はかなり落ち着いてきていて、まだはあはあと息はついているものの、だいぶ楽になっていた。


 そうして進んでいるうち、また客間が近づいてきたのに気づく。

 見れば、客間の障子はあいていた。


 驟雨さん…驟雨さんは客間にいるだろうか?


 驟雨さんのことを考えたとき、落ち着いてきていたはずの俺の心臓が、ドキッと高鳴って脈拍が急上昇したような気がした。


 驟雨さんは、『仮面の亡霊』を見た。


 そして今、俺も『仮面の亡霊』を見てしまった。


 どうしよう…。

 俺は…このことを、驟雨さんに話すべきなんだろうか?


 ついに客間の前までやってきたとき、俺は廊下で足を止めて、室内を見た。


 客間のなかに…驟雨さんは、いなかった。



 「ああ、シュウ兄なら、さっき台所で茶をいれてたぜ」



 客間の前でストップした俺を見て、すこし先を歩いていた樹雨くんも足を止めて、そう俺に声をかけてくれた。

 樹雨くんは本当に鋭い人だ、俺のようすから、驟雨さんを探しているのかと思ったみたいだ。



 「シュウ兄に用があるなら呼んでくるか?

 ついでに、なんか飲み物でも持ってこようか、おまえ庭でマラソンして、のど渇いただろ」



 そう言うと、樹雨くんは俺を客間の前に置いたまま、どこかへ(驟雨さんがいるという台所だろう)行こうとしたので、俺はあわてて樹雨くんの服の裾をつかむと、彼を引き止めてブンブンと首を振った。


 確かにのどは乾いているけど、そんなことより、俺はもう一人になりたくなかった。


 さっき『仮面の亡霊』らしき不審人物にあったばっかりなのに、こんな精神状態でひとりぼっちにされたら、またあいつが突然どっかから姿を現すんじゃないかなんて妄想に押しつぶされて、パニックになりそうな自信があった。



 「おまえ…本当に大丈夫か?」



 そんな俺を見る樹雨くんは、眉間にシワをよせて変な顔をしていたけど、それは心配してくれているからのようだった。


 かるく息をついてから、樹雨くんはまた歩きだした。

 彼の自室の方角にむかって。


 ホッとしながら俺も、ゆっくりと樹雨くんの後ろをついていく。


 そこからは樹雨くんの部屋に着くまで、お互い無言で歩いた。

 静かな空気のなかに、きしきしと板張りの廊下のきしむ音だけが聞こえる。


 ここまでくれば、俺の頭もかなり冷えてきて、まだ心臓はドキドキしているけど、落ち着いて思考をするだけの余裕は戻ってきた。


 前を歩く樹雨くんの背中を見ながら、俺はこんなことを考えた。


 …よかった。

 さっき客間に驟雨さんがいなくて。


 あのとき、俺は驟雨さんに会うべきじゃなかったんだ。


 もしあのとき客間に驟雨さんがいたら、俺はその場のいきおいにまかせて、今さっき外で『仮面の亡霊』に出会ってしまったことを、わあわあ喚き散らしてしまっただろう。


 そしたら驟雨さんはどうしていただろうか?

 どう思っただろうか?


 ついちょっと前の俺との会話で驟雨さんは、今回の事件で殺されるのは自分だったはずだ、なんて言って、ちょっとおかしな雰囲気になってしまっていた。


 今の驟雨さんにとって『仮面の亡霊』というワードは、かなりナイーブなものだ。

 滅多なことで彼の前では、その単語を出すべきではない。

 ましてや、それに会ってしまっただなんて…。


 自分のうちの近くにまた現れたなんて知ったら、驟雨さんは、今度こそ『仮面の亡霊』は自分を殺しに来たんだ! とかいって、また変なテンションになってしまうかもしれない…。

 こういうときにこそ、いてくれたら助かるのが茜さんだけど、必要なときにはいないんだもんなぁ。


 正直なところ、高校生の俺ひとりじゃ、大人の驟雨さんのテンションに何かあった場合、フォローしきれない部分があるよな…だからやっぱり、無駄に不安にさせないためにも、今はまだ驟雨さんには、何も言わないほうがいいんだ。


 だから、驟雨さんに『仮面の亡霊』の話はしない。


 だけどさっき俺の体験した不思議な出来事は、自分ひとりの心にしまっておくには、あまりにも衝撃的で重いものだった。


 やがて樹雨くんの部屋にたどり着き、先に室内へ入っていく樹雨くんの背中をみつめながら、俺はさらに考えた。


 『仮面の亡霊』に出会ってしまったこと…樹雨くんに話してしまってもいいだろうか…?

 

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