15-10
「がんもどきって…」
自分の罪に青ざめながら、呆然としている俺の横で、樹雨くんはじっとスケッチブックをみつめながら、うーむと首をひねった。
「おまえ、これ、猫だぞ。
猫の絵なんだけど、これ」
「…え、ネコ?」
がんもどきと言われて、特別怒っているようすもない樹雨くんが、さらりとそう口にしたので、俺はやっと呼吸ができるような心持ちになりながら、ただ樹雨くんが言った単語をくり返した。
「そう、猫。
おまえが描いてみろって言ったんだろ、猫を描いたら面白いぞ、って」
そういえば、そんなことも言ったかもしれない。
いまだ呆然としながら、俺はスケッチブックから樹雨くんへ視線を動かした。
樹雨くんは笑っていた。
「松のスケッチをしてたらさ、ちょうど茶色のとら猫が歩いてきて、近くの松の根元でクソをしだしたんだよ。
それでまあ、おまえが言ってたし、いっちょ描いてみるかと思って、クソしてる背中を描いたんだ。
それをおまえ、がんもどきって、ははっ、言われてみりゃそんなカンジだな。
猫を描いたのは初めてなんだよ、あれだな、猫ってのは、がんもどきっぽい生物なのかもしれねーな。
これ、ちょっといじって、がんもどきと猫を合体させた、『がんもねこ』に変えようかな、なあ、どう思う、江蓮?」
なんか、なんか…。
がんもどきと言われても、笑っている樹雨くんをみつめながら、俺はこう答えた。
「この絵は…素晴らしいよ。
…前衛的なタッチ、媚びることのないソリッドな質感、限定された色彩で攻める表現への探求、現代美術に一石を投じる、大いなるテーゼを秘めた意欲作…だと思う」
自然にスラスラと、いつか犬彦さんに言われたそんなセリフが口から出てきた。
それを聞いた樹雨くんは、ぽかんとした表情で俺を見る。
「おまえ、なに言ってんの?」
「ごめん、俺にもなにを言ってんのか、わかんない」
沈黙。
同時に俺と樹雨くんは黙り込んだ。
そして、プッと吹き出した。
どちらからかは、わからない。
次の瞬間には、ふたり同時にげらげらと大笑いしていた。
笑い転げるとはこのことで、ひーひー言いながら数分間は笑い続けていた。
(樹雨くんは実際、畳のうえに転がって、足をばたばたさせながら大声で笑っていた。)
俺も涙がでてくるほど笑って、そうしていたら、なんかいろんな嫌なものが吹き飛んでいた。
いろんなことに腹を立てたり、恐れたりしていたけど、なぜかもういいやって思えた。
(笑っていたら不思議なことに、長年に渡ってムカついていた天音の暴言さえもどうでもよく感じられてきた。)
こうして部屋のなかで二人、さんざん笑ったあと、息もきれてハァハァと呼吸をととのえ、しばらくして落ち着いてから、また会話をはじめた。
「そういや、今度来ることがあったら、油絵を見せてやるって言ったな。
見たいか、江蓮」
畳のうえに寝転んだままの樹雨くんが、天井を見上げながら、そうつぶやいたので、座っていた俺はパッと樹雨くんを見た。
「見たい!」
俺が答えると、寝転んでいた樹雨くんは、勢いよく上半身を起こして、次にはすぐに立ち上がった。
「じゃ、行くか」
「え、どこに?」
「倉庫に置いてあるんだよ、あの絵でかいからジャマでさ」
そして立ち上がった樹雨くんは、そのまま部屋を出ていこうとするので、俺もそのあとを追った。
「倉庫って、どこにあるの?」
「うちの中。もうちょっと奥行った、あっちの方」
廊下に出た樹雨くんは、そのまま、屋敷の奥のほうを指差した。
つられて、その指し示めされた方角を、なんとなく眺めてから俺は、ハッと大変なことを思い出してしまった、…思い出したくなかったことを。
「あのぅ、もしかして樹雨くん、その倉庫っていうのは、…開かずの倉庫部屋があるところの近くじゃないよね…?」
「開かずの倉庫部屋? ああ、千年前に人がたくさん殺された部屋?
そうだよ、あそこのそばの空き部屋が、いま使ってる倉庫で、そこに置いてあるんだ」
キタァアアアァーーッ!! なんかイヤな予感したんだぁぁーー!!
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