15-9
「好きにしろよ」
かったるそうに樹雨くんは答えた。
でもだからといって樹雨くんは、別にいやがっているわけではないと分かっていたので(俺はもう樹雨くんがツンデレの照れ屋だということを知っている。)気にすることなく、「ありがとう」とお礼を言ってから立ち上がり、パネルやスケッチブックの方へと歩いていった。
まずは、一番近くにあった大きなパネルに手をのばす。
それは白い厚紙で出来てるみたいで、広げた新聞紙くらいの大きさがあった。
手に取って、よく見えるように、こちら側へひっくり返す。
「わあ…」
そこには、一本の立派な松の木が描かれていた。
周囲が開けた丘のような場所に、その松は一本だけ立っている。
くねくねと不思議な形に幹が曲がっているけれど、力強い大きな松だ。
背景は暗い夜空で、曇り空のなかに満月だけが、ぼんやりと浮かんでいる。
その満月の光を浴びて、松は、夜にたたずむ孤独な老人のように、じっと浮かび上がって見えた。
やっぱり、すごい。
こんなの高校生が描けるもんじゃない。
「なあ、そんなのよりも、そこの緑の表紙のやつ、それ見てみろよ」
俺がパネルの絵に見入って感心していると、あいかわらずだらしないポーズで座布団のうえでくつろいでいた樹雨くんが、そう声をかけてきた。
「これ?」
それで持っていたパネルを元の場所に戻すと、言われるがままに、指示された緑色の表紙をしたスケッチブックを手に取った。
そのままページをめくる。
このスケッチブックは、前回見せてもらったのと同じように、黒い鉛筆を使って、さらさらと流れるように松の枝の一部や、幹などが描かれている。
うーん、なんで鉛筆だけで、こんなふうに描けるんだろう?
「もっと後ろ、もうすこしページめくれよ」
さらに樹雨くんから、そのように指示が出たので、ぺらぺらとページをめくって、もったいないけど途中の絵は流し見をしていった。
どれも同じように、やはり松の一部が描かれていて、すべてがすごかった。
そうしてページをめくりつつ流し見をしていたら、それまでと違う何かが目に入る。
「…ん?」
それまでは松の絵ばかりだったのに、このページだけ、明らかに松じゃない何かが描かれている。
だけど、これはなんだろう?
ページの中央あたりに、ただ、丸っぽい何かが描かれている。
この絵だけは、黒鉛筆の他に、茶色のクレヨン? みたいなものも使われている。
黒と、茶色で描かれた、丸。
でもそれは生き物のように見えた。
ただの丸なんだけど、見ていると、あたたかさや、やわらかさを感じるのだ。
やさしくて、あったかくて、ふんわりとしたもの、…これは。
「どうだ、それ」
じっと俺がその絵に見入っていると、いつまにか樹雨くんが俺の後ろにいて、いっしょにのぞき込んでいた。
感想をきかれた俺は、不思議な魅力のあるその絵から目を離すことができないまま、どこかぼんやりした心持ちで、よく考えもせずに感じたことをそのまま口走ってしまった。
「…うん、なんか、すごくいいね。
やわらかくて、その…がんもどき、みたいで…」
「がんもどき?」
不審げにつぶやく樹雨くんの言葉を聞いて、絵をみつめていた俺は、ハッと我に返った。
は? 俺、いま何を言った?
…がんもどき?
よりにもよって、がんもどき!?
この、シンプルだけど、俺には逆立ちしたって真似できないくらい、すごく魅力的で雰囲気のあるこのスケッチを…樹雨くんが描いた絵を、よりにもよって、がんもどきに例えてしまうなんて!!
子供のころに描いた俺の犬の絵、それを、がんもどきと言って、さんざんバカにしてきた天音、あの憎いワードが、どうして、どうしてこの素晴らしい樹雨くんの絵を見て、口に出てきてしまったんだろう!?
ああ最悪だ、最低だ、俺は人間失格だ、さいってーのクズだ!!
あまりのショックに、俺は次の言葉をだせないまま、蒼白になってぱくぱくと口を動かすことしかできなくなった。
樹雨くんは不思議そうな顔をして、俺を見ている。
なんで俺がこんなにショックを受けているのか、樹雨くん…他人には分からないだろう、だけど、これはありえない失言なのだ。
人から言われて、傷つけられた言葉を、俺は他人に向かって、言ってしまったのだから。
死んでしまいたい…自分という人間に失望して、俺は羞恥から激しいめまいを感じた。
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