15-6
今、この客間の中に漂っている違和感は、あのときと似ている気がする、と俺は思った。
青い海を一望できる見晴らしのいい崖の上で、樹雨くんと『仮面の亡霊』について話をしていたとき。
あのときの戸惑いの感覚に、今はとてもよく似ている。
「御霊さまは猫みてーによくその辺をうろうろしてる」
身近な存在として、ごく自然に、当たり前に、『御霊さま』の存在を受け入れている樹雨くんと、島の外から来た人間である俺との間に流れる、圧倒的な認識の差。
長岡家の兄弟にとっては当然のもの、俺には決して分からないもの。
そんなものを…なんて言ったらいいだろう?
それは…彼らには普通に視えているけれど、どんなに目を凝らしたって俺には視ることができない、何か。
そう、まさにそれは、俺にとって…『亡霊』なんだ。
彼らには視えるその姿が、俺にだけは分からない。
そこにいるらしいそれが、俺には透明に見えるから、だから真実の姿がわからない。
ふと、ここまで考えたとき、俺はこんなことを思ってしまった。
『視える』ことと『視えない』こと、これは、どちらの方が恐ろしいんだろうか…?
怖がりな俺は、ガキの頃からこんなことを思っていた。
俺は霊感がないからラッキーだ、だって怖いお化けの姿を見なくてすむから、って。
だけどこうして、身近に異質な存在を感じたとき、それが恐ろしい者であったとしても、その姿を捉えることができる驟雨さんと、ただ違和感を覚えることしかできなくて、ひたすら視線をさまよわせるだけの俺、どちらの方が強く恐怖を感じるのだろう?
何も知らないでいられれば、幸せなのか?
恐怖を感じなくてすむのか?
…もしかしたら今、ただ姿が視えないだけで、『仮面の亡霊』が俺の目と鼻の先にいるとしても?
それでも視ないで済むなら、それは恐怖にはならないのか?
もなかをほおばりながら、俺はそんなことを考えていて、一方の驟雨さんも、しばらく黙り込んだまま何か考えごとをしているらしかった。
そうして客間もまた、この時が止まったかのような屋敷の一部として飲み込まれていくように、沈黙に包まれていたとき、ふいに遠くの方から物音が聞こえてきた。
それは扉を開け閉めして、外から誰かが屋敷のなかに入ってくる音だった。
考え込んでいた驟雨さんは、その音でハッとした表情を浮かべて、廊下へと続く障子の方に視線をやった。
その仕草からして、どうやら驟雨さんは屋敷にやってきた人物が誰なのか、心当たりがあるみたいだ。
玄関の方からした物音は、次にはっきりとした足音に変わって、古い板張りの廊下を軋ませながら歩き、こちらへと近づいてくる。
そうしてついには、何のためらいもなくガラリと、俺と驟雨さんのいる客間の障子を開けた。
「江蓮じゃん」
廊下に立ってたのは、樹雨くんだった。
やはり手には大きなスケッチブックを持っていて、今日は肌寒いからか黒のハイネックニットの上にダークグリーンのダウンベスト、そしてジーンズという姿で現れた樹雨くんは、そのまま客間に入ってくると、驟雨さんの隣りに座って、驟雨さんのお茶をがばがば飲んだ。
「さみぃ、今日は風が強すぎる」
ぶつぶつ言いながら樹雨くんは、むしゃむしゃとまんじゅうを食べ始める。
そこまでの流れがナチュラルすぎて、俺はまだ樹雨くんに一言も声をかけられなかった。
だけど、樹雨くんが客間に現れてくれて、ものすごくホッとした。
おそらく、あの海が見渡せる崖の上で、また松の木のスケッチをしていた樹雨くんは、強風に堪えかねて途中でそれを断念し、うちに帰ってきたところ、玄関に家族以外の靴があるのを見て(それはもちろん俺の靴だ)客間に人がいることを悟り、ここへやってきてくれたのだろう。
おかげでさっきまでの、俺の失言から始まってしまった、驟雨さんとの微妙に気まずい時間が消滅してくれたので、本当、神さま仏さま樹雨くん、ってカンジで、彼の光臨はとてもありがたかった。
ここで、まんじゅうを食べている樹雨くんと目があった。
あ、挨拶しよう…と思って、俺が口を開きかけたとき、先に樹雨くんがしゃべった。
「なあシュウ兄、こいつ猫が好きなんだってさ、知ってた?」
「へえ」
なぜ突然、その話題を…。
あいかわらず樹雨くんは読めない人だ。
でも、さっきまで黙っていた驟雨さんが穏やかにあいづちを打っていたので、俺的には安堵することができて良かった。
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