1-7

 アイスコーヒーをひとくち飲んでから、茜さんは少しかがむと自分の荷物を漁りだし、持参していた紙袋のなかから、紙の束がつまったA4クリアファイルを一冊取り出すと、それをテーブルの上にのせた。


 そしてあの見慣れた、ひとを試すときに茜さんが浮かべる、独特のシニカルな微笑みを見せながら、茜さんは俺に問いかける。



 「ねえ、江蓮君。

 オレはずっと考えているんだけど、どうして崖の上に、網代のリュックサックが置かれていたんだと思う?


 リュックサックといえば、もちろん背負うものだよね。

 だから素直に考えれば、網代は崖の上にたどり着いた時、そこで荷物の中から何か必要なものを取り出したいと思って、一度地面に下ろした。


 そう考えるのが筋だ、だろ?

 では、網代は崖の上で、一体何を取り出そうと…何をしようとしていたんだろうか?


 もちろん、あいつの研究に関係する何かであることは間違いないだろう、しかし具体的には、何を目的として、あの場所に行ったんだろうか。


 手記の後半で、網代は『呪いの仮面』をみつけだすことができたと書いていた。

 だから、あの崖の上にいたとき、網代は、『呪いの仮面』を所持していた可能性が高い。


 だったらさっさと研究室に戻ってくりゃいいものを、なんだって崖の上なんかに…」



 そんなふうに呟く茜さんの、最後の方の問いは、なんだか俺に対してではなくて、まるで目には見えないけれどここにいるはずの網代さんへむかって、責めるように尋ねているみたいだった。


 だからなんだか、変な話だけど俺が網代さんの代わりに、なにか言い訳をしなければいけないような気持ちになった。



 「えっと、そうですね…もしかしたら網代さんは、目的を達成して大学に戻る途中で、ちょうど通りすがりに目に入った、その崖に立ち寄ってみたくなっただけなのかもしれません。


 記念にちょっと海が見たくなったとか。

 それで、リュックサックからカメラをだして、風景を撮ろうした、そんな可能性だって…」



 めずらしく感傷的な茜さんを励ますつもりでも言ったのに、それはきっぱりと否定された。



 「そんな可能性はないね。

 あいつには、そんな旅先の風景を愛でるような、風流な思考はない。


 網代の脳内にあるのは、研究に必要なものか、不要なものかの、二者択一しかない。

 そういう人間なんだ」



 やれやれ、まったく君はなんて的外れなことを言っているんだか、みたいに首を振りながら、茜さんはフーッとあきれたようなため息をついた。


 そんな茜さんのおちゃらけた態度に、なんだよ、そんなにバカにしてくれなくてもいいじゃないか、そう思って俺はムッとしたのだけど、次には、ひどく真面目な顔になって、茜さんはじっと俺を見た。



 「江蓮君、俺は思うんだよ。

 というか、ひとつの考えが頭から離れない。


 その崖にいたとき、果たして網代は一人だったんだろうか?


 実はそのとき、その場に、もう一人…別の誰かがいたんじゃないだろうか、ってね」



 思いがけない茜さんの言葉に、俺は息をのんだ。

 網代さんが崖から海へ落ちたとき、そこに別の誰かがいた…?



 「網代は、自分から崖へ行ったんじゃない、あいつを狙う何者かによって、そこまで追い込まれた。


 そして、そいつに崖から海へ突き落とされた」



 「その誰かは、最初から網代さんを殺す目的があったと、そう茜さんは考えているんですね?

 だけど、網代さんには、誰かに殺されるような理由があるんですか?」



 「網代個人には、ないだろうね。

 さっき言ったように、あの研究バカは人付き合いが悪くて、他人から恨まれるようなこともない。


 金を持ってるやつでもないし、窃盗目的とも思えない、まあ、あいつの所有物で価値があるものといえば、やはり完成間近の研究結果が記された手記だろう。


 だが、あいつの手記は今、オレが持っている」



 「じゃあ、その謎の人物は、網代さんの手記を手にいれようとして、網代さんを崖から突き落としたってことですか?」



 網代さんが、研究者にとっては自分の命よりも大切だという手記を、茜さんに送ったのは、それが何者かによって奪われそうであることを予見したからなんだろうか?


 そう考えてみると、確かに色々なことの辻褄が合うような気がしてきた。

 すごい、ものすごく事件の核心に迫っているじゃないか!


 しかし、事件解決の筋道が見えてきたと思ってテンションが上がる俺とは対照的に、茜さんはやけに冷静で、ただ曖昧な微笑みを浮かべた。



 「さあ、そうとも言い切れないね」

 

 

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