1 おだやかに事件の幕は上がる

 

 「さあさ、江蓮君!

 遠慮なんかせずに、なーんでも君の好きなものを頼んでくれていいよ!

 オレ、バイト代が入ったばっかで財布がうるおってるからさぁ」



 大げさに両手をひろげて、楽しげな歌を口にするミュージカル俳優のような明るさでそう言うと、ひさしぶりに会った茜さんは、俺にメニュー表を差しだした。



 「はい、わかりました」



 それを受け取ると、俺はメニュー表をじっと注視した。


 フライドポテトつきダブルチーズハンバーガー、ホワイトソースにチーズたっぷりのチキングラタン、耳がカリッカリのでっかいマルゲリータピザ…どれもおいしそうだ、何を選ぼう…。


 まるで人類滅亡の予言書でも読み込んでいるときのような深刻さで、俺は真剣にそれを見た。

 いま俺は、絶望的に腹ぺこだった。


 今朝は、犬彦さんが朝食をとらずに会社にいってしまったので、それなら俺もと、このときのために何も食べずにこの場にやってきたからだ。


 この俺が! 朝食を抜いてきたのだ!!

 たまに寝坊して学校を遅刻しそうになり、家で朝飯を食いっぱぐれても、よくあるアニメの一場面みたいに、走りながらでもパンやおにぎりを食べることを忘れない、この俺が!


 ぜったいに、この店でいちばん美味しいものを食べなければ、気がすまない!


 十一月はじめの、天気のいい日曜日。

 俺はいま、超おしゃれなカリフォルニア風カフェにいる。


 俺の住んでいる街の最寄り駅近くにあるそのカフェは、ちょっとした裏路地を入ったところにあって、近道のために俺はその店の前を通ることがよくあった。


 ファッション雑誌でモデルの背景に使われそうな、おしゃれな外観。

 外からちらりと見える、店員さんや店内でくつろいでいる人たちもまた、おしゃれだった。


 騒いだり、だらしない態度をとっている人なんて、だれもいない。

 スタバ並にハイスペックな空気がそこには漂っていた。


 そんな店の様子を、俺はその道を通るたびに、何食わない顔をしてチラチラと観察していた。

 近隣に新しい飲食店ができたなら、それをチェックすることは、俺にとって当然の使命だ。


 気になることはもちろん、この店がどんなフードメニューを取り扱っているか、である。

 それが何よりも重要なことだ。

 

 しかしそのカフェはあまりにも、ピカピカなおしゃれオーラを放ちすぎていて、バカみたいだと自分でも思うけど、なんだかひるんでしまって、ではさっそく入店! という流れにはなかなかならなかった。


 だから通りすがりざまに、店頭に表示されているメニュー表をガン見する。

 それが俺にできる、おしゃれオーラに対抗することが可能な、唯一の情報収集法だった。

 

 おしゃれなブラックボードに書かれているそれは、すべて英語表記になっていて、やはり歩きながらではじっくり読むことは難しい。


 けれど、メニューボードには食べ物のイラストがかっこよく描かれていて、それでだいたいのフードメニューに検討をつけることができた。


 とろとろのチーズがしたたり落ちている肉厚のチーズバーガー、野菜たっぷりのベーコンサンドイッチ、かりかりのフライドポテトがそえられたリブステーキ…そんなイラストたちが、俺を手招きしているように、とても魅力的に描かれていた。


 お、おいしそう…。


 ごくりと唾を飲みこみながらも、犬彦さんのような無表情さを意識して、なんでもない顔をしながらその店の前を通りすぎることが、これまでに何度もあった。

 

 このカフェで、飯を食ってみたい!!

 と、当然思ったのだけれど、それがなかなか難しかった。


 おしゃれオーラがすごすぎて、入店のしづらさがハンパなかったからだ。


 何度店の前を通ってみても、高校生がいるところなんて一度も見たことがなかった。

 いかにも仕事ができそうなビジネスマンや、かっこいい外国人、キレイに着飾った若い女性のグループ…店内にいる人たちは、そんな大人ばかりだ。


 別に、高校生の入店お断り、ってわけではないだろうけど、そんな空気のなかに突撃する勇気はなかなか湧いてこない。


 クラスメイトたちにも、あのカフェについて話をむけてみたことがあるけれど、店の存在を知っているやつがいても、店内に入ったことがあるツワモノは、女子さえも誰もいなかった。


 「ああ、あのカフェ、知ってるよ。

 でも入ったことはないなあ、駅前にスタバがあるからそれでいいじゃん」


 「うん、あのカフェおしゃれだよね。

 ちょっと行ってみたい気もするけど、落ち着かなそうだよね。

 そもそも入りづらいしさ」


 「あーあそこね、店の前通ったことあるけど、高そうじゃね?」


 とまあ、だいたいがこんな返答で、やはり高校生にはいろんな意味で敷居が高いのだった。


 しかし俺はあきらめない。


 高校生の友人たちを誘って、あのカフェに突撃するのは無理そうだ。

 でも、自分ひとりで、あのおしゃれ世界に侵入するのも、けっこうキツイ。


 だがしかし、俺には最終兵器があった。

 そう、犬彦さんだ。


 犬彦さんは、まさに仕事のできるビジネスマンだし、おしとやかにさえしてくれれば、見た目もかっこいい大人の男性だ、充分にあのおしゃれ空気のなかに馴染むことができるだろう。

 (実際の犬彦さんというひとが、どんなにアレなカンジだったとしても、外見からならバレはしない)


 そんなわけで、俺は犬彦さんに、あのカフェについてきてもらおうと、誘いかけたことがある。


 ある日、うちで犬彦さんとくつろいでいるとき、いまがチャンスだと悟った俺は、ふと何でもないことを思い出したようなふりをして、こんなふうに切りだした。



 「あのー犬彦さん、駅前に新しくお店ができたの、知ってます?」



 「店? 何の食いもの屋だ」



 さすがと言うべきか、犬彦さんは、俺が食べ物の話をしようとしていることを、一発で見抜いた。



 「えーっと、俺もくわしくは知らないんですけど、見たかんじですね、サンドイッチとかハンバーガーとか、ステーキとかもあるみたいで…」



 「ああ、あれか」



 「! あの店、知っているんですか、犬彦さん!」



 「ああ見たぞ、駅に行く途中でオープン記念のチラシを配っていたな。

 あそこに行きたいのか江蓮、それなら連れてってやろう」



 「やった! ありがとうございますっ」



 「さっそく今夜の予約を取っておこう、連絡先調べないとな」



 「え? 予約??」



 「駅前のビルにできた、多国籍レストランのことを言っているんだろう?

 俺も久しぶりに美味いワインが飲みたい」



 「!!!」



 犬彦さんは、俺が行きたがっている店を、同じく駅の周辺に最近できた、高級レストランだと勘違いしていた。


 それは、おしゃれカフェ以上に(金額的な面から言っても)高校生には敷居が高すぎて、俺がチェックすらしていなかった店だった。



 「あ……」



 犬彦さん、ちがうんです。

 俺がいっしょに行ってほしいって、お願いしようとしていたのは、カリフォルニア風カフェで…。

 と、いう言葉は、唾とともにゴクンと胃袋へ飲み込まれていた。

 


 「行きましょう! 犬彦さん!」



 …ええ、ほんともう、その夜のディナーは最高でしたよ。

 

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