商店街

そのへんにいるありさん

商店街


 ある日、私は寂れた商店街の店先で雨宿りをしていた。あたりには誰もいない。落書きされたシャッターの上をなめくじが、マイペースに這い回っているだけだった。この死んだ街に人がいるはずがない。カラスの一羽もいないのが、その証拠だ。だけどもしも誰かがいたならば、心強いことこの上なかった。それがいないんだから、考えたって意味がないんだけども。

 なぜ私がこんな場所にいるかというと、二週間前の新聞を見たせいだ。「長い間捕まっていた囚人の余罪が出てきた」という記事で、続く内容がひどく世間を騒がせた。なんと、囚人は十五年前の宝石強盗の主犯であったのだ。盗まれた宝石は時価四億円。それも、まだ見つかっていないのだった。大きな損害を受けた宝石店はとっくの昔に潰れたけれど、当時店舗の責任者であった金山なる人物が記事の中で語っていた。「どうか盗まれた宝石を見つけてくれ。お礼は弾む」と。おかげで大海賊時代よろしく、人々は宝を求めて夢を見た。

 私も例に漏れず、宝探しに乗り出したというわけだ。この商店街は囚人が幼少期を過ごした場所である。警察の捜査が入り、事件への関与を疑われた人々が去ってゆき、死んだ商店街だけが残った。傾いた看板の数々が年月を感じさせる。専門家が見逃した手掛かりを、素人の私が拾えるはずがない。そう思われるかもしれない。That's right. その通りである。そんなこんなで、万策尽きた私は、とっくに落ちたメイクを気にしながらも、トタン屋根でダンスする雨粒の音をぼんやりと聞いていたのだった。

 先程、私は「雨宿りをしていた」と述べたが、あれは嘘だ。鞄の底には折りたたみの傘があり、少し歩けばバス停がある。ただ、宝への執着が私をここに留めているに過ぎなかった。第一、県境すら越えて何時間もかけてたどり着いたのに、手ぶらで帰ることはプライドが許さない。

 雨がざあざあと降りしきる中、商店街は静かにぽつんとあるのみだ。

 私は一つくしゃみをして、身を震わせた。ここ数時間で気温がぐんと下がったようだった。もうじき日も暮れる。

 そんな時、目前の建物に灯りがついた。いや、見慣れた「部屋の電気」ではない。二階の窓からちらちらと覗く光は、おそらく懐中電灯。人がいること自体が驚きだけれど、電気が通じていないだろうこの街に訪れるなら、懐中電灯の一本や二本は基本だ。そんなことを考えながら、私は何らかの進展を期待して、三本の懐中電灯を携えて歩き出したのだった。

 人に会える喜びでいっぱいだった胸は、建物のドアノブに手を掛けたところで急速に冷えた。だって、どんな人か分からない。私が言えたことではないが、こんな場所まで来る人がまともだとは思えない。悪人だったらどうしよう。そう考えはじめると、私はとても怖くなった。

 どうにもならない事を、どうにかするためには、手段を選ぶべきではない。選んでいれば、またさっきのように、なんのあてもなく立ち尽くすばかりである。選ばないとすれば──私は何度も同じことを考えて、結局は扉を開けた。ちっぽけなプライドを守るための勇気を、肯定せずしてなんとする。


 「こんばんはー! おじゃましまーす!」


 返事はない。代わりに、上階から何か重いものを倒したような鈍い音がした。入口から中を照らしても、人の姿はない。やはり二階にいるのだろう。どこもかしこも埃まみれで、空気中にも光を浴びてキラキラと反射するものがある。幸いなことにマスクは携帯しているため、すみやかに装着する。先へ進むのに問題はなさそうだった。玄関先に靴は見当たらない。私も土足であがることを決めた。

 そろそろと足を進めると、木製の床が僅かに軋む。必要もないのに息を潜めてしまうのは、恐怖にはやる鼓動をなんとか落ち着けようとしているせいだ。

 見るからに和式の造りである。居間と洗面所をスルーして、奥の階段へと向かう。一つ段を上がると、足元の板が大きく沈んだ。床板も朽ちかけていたけど、階段はもっとひどい。いつ抜けてもおかしくないほどに傷んでいる。つま先から静かに足をのせ、ゆっくりと体重をかけながら何とか上りきることに成功。ほっと肩の力を抜いた瞬間、


 「遅かったですね」


 急にかかった声に、心臓が止まるかと思った。今はもう痛いほどに早鐘を打っている。すぐさまここを逃げ出したい衝動を無理やり押さえ込んで、私は喉から言葉を引っ張り出した。


「こ、こんばんは。……あの、失礼ですが、こんな所で何をされてるんですか?」


「宝探しですよ」


 声質から男だと分かる。暗闇にぼんやりと映るシルエットは細身だ。


 「……私も同じです。成果はゼロですけど」


ここは慎重に。男に私を害する気があるどうか、見極めねばなるまい。


 「そういえば、この商店街の家々の荒れようを見ましたか?」


 男が訊ねるので、私は目にした街並みを思い返した。一通り見て回ったが、「人が住まないと、こんな風になってしまうのか」と慄くレベルでどこもかしこも壊れていた。


「はい。埃っぽいし、窓は割れてるし、扉はどこも半開きでした」


 「あの状態は、僕らのように宝石目当ての人たちが好きに探し回った結果です」


怒っているのだろうか。平坦な口調からは判断できない。表情が見たいけれど、だからといって無遠慮に人の顔を照らすわけにもいかないし。少し気まずく感じて、足を擦り合わせると、床が自らの役目を思い出したかの如く、キイキイと鳴る。


「ああ、そこ。足元に気を付けてください」


「ありがとうございます。暗くてよく見えな……ひいっ!」


 し、信じられない……。私がその目に入れたのは、人の死体だった。懐中電灯を取り落とさずに済んだのはいいものの、死体を前に平然とした男が傍にいる事実に身体が動かない。


「い、いやっ……!」


 これは誰なの。本当に死んでいる? ぴくりとも動かない。多分、息はしてない。なぜ。

 目の前の男は……もしや、笑っているの? 


「落ち着いてください。先程は、あなたに助けられました。この人があなたの声に気をそらしたところに一撃です。威力に不安があったのですが、倒れた拍子に頭を打ってそのまま。非常に楽でした」


恐ろしい。死体と男からじりじりと距離をとる。「タイミングを計って逃げられやしないか」と視線を彷徨わせた先で、不運にも血濡れの懐中電灯を見つけてしまった。ますます怖くなる。


「あなたもあの言葉を真に受けていらしたのでしょうね。しかし、実際はこの金山の大噓でした。盗まれた宝なんてどこにもないんですよ」


どうやら、殺された男はお宝騒ぎの発端の【金山】らしかった。驚き半分、納得半分というところ。大勢の人がどんなに探して見つからなかったのは、そういうタネがあったのか。一攫千金の冒険に心躍らせていた私たちが馬鹿みたいじゃないか。


「あなたに恨みはありませんが、口封じに死んでもらいます」


まずい。相手は男。背も腕もリーチで負けている。このままでは確実に殺されてしまうだろう。私は必死に頭を巡らせて、生き延びる道を探した。


「宝ならある」


大した考えも思いつかないうちに、ついそんなことを言ってしまった。でも、口から出まかせってわけでもない。私には妙な自信があった。「覚醒した」なんて言葉で適当な語で説明していいものか分からないが、とにかく閃いたのだった。


「あなたの言うことがすべて本当だと仮定するなら、宝はあるということになる」


手の震えを隠そうとして、私は光を消した。一か八かの賭けでもやらないよりかはましだと思う。


「さっきの私の問いに『宝を探しにここへ来た』と言ったじゃない。この街に宝はある。そうですよね?」


沈黙は肯定のようなものだ。千一夜物語のシェヘラザードの心持ちで考えを述べ続ける。


「『盗まれた宝』は存在しない。それならば何をもって宝と言うのか。……それは、かつて金山が不正に稼いでいたお金なのではないですか?」


光源がないので、私は恐怖に歪んだ表情を隠せている。だが、もしかすると隠せていないかもしれない。というのも、初めは何も映さなかった目がだんだん見えるようになってきたのだ。


「その通りです。都合のいい人間に罪をなすりつけ、さらには囚人の冤罪が公になった時のためにと保険を掛ける徹底ぶり。宝探しゲームはやつの被害者アピールに他なりません」


うっすらと判別できるようになった顔は、彫りの浅い典型的な日本人顔だ。男は自然体そのもので、笑顔さえも浮かべている。きっと、私なんかいつでも殺せるのだろう。


 「あなたは金山を脅して呼び出した。けれど、交渉は決裂したんですね」


上手くいっていたならば、金山は死んでいないし、男の「宝探し」は成り立たない。


「約束の金は道すがら隠した、なんて言うんですよ。交渉を有利にしようと思ったんでしょう。それは本人にとって最悪の結果をもたらしましたがね」


私のエセ推理は概ね当たっていた。殺人犯に興味を持たれてしまったのは誤算だったけれど。


「この調子なら、金の隠し場所も分かっていますね? 教えてくれませんか?」


殺人犯と正面から向き合って、平気な人がいるだろうか。いるなら、今すぐ私と代わっていただきたい。


「ええ、私の命を取らないと約束してくれればすぐに。元々あなたが受け取るはずだったんでしょうし」


そうして私は、誰にも話さないことを条件に見逃されたのだった。男が階段を下りかけた時、私は呼び止めた。


「待ってください。夜道は暗いのでよければこれを──」


男が振り返ったのと同時に、私は今もまだ震える手で躊躇なく、懐中電灯のスイッチを入れた。強烈なフラッシュに目潰しされた男は体制を崩し、階段を勢いよく転げ落ちていく。私はその後を、やっぱりミシミシ言わせながらおっかなびっくり降りていって、最後に死体を飛び越えた。

行きがたには「誰かが宝を探して掘ったのだろう」と決めつけていた木の根元を掘り起こし、すっかり雨の上がった商店街をのんびりと通り抜けた。これからも欠かさず新聞を買おう。ああ、「懐中電灯連続殺人事件」の見出しが上がるのは一体いつになるのだろうか。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

商店街 そのへんにいるありさん @SonohenniArisan

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る