第20話 顔のない怪物

 佐木は画面の中の、反転した文字をじっと睨む。

 

顔のない怪物:20**/06/02 00:01

居るのは分かってる。笑ってろよ。今はな。


 Poeとフローラや、他の会員たちのやり取り、話の流れを全く考慮せず無遠慮に割り込んできた書き込み。

 ずっと身を潜めていたこのアカウントは、初めましての挨拶も無しに、自分の言いたいことを投げつけてきた。続けて説明しないのは、自分の言葉をこの場にいる人間が理解できるかどうかも気にしていないからだろう。

 分かって当然と思っているのかもしれないし、分かる者にだけ伝わればいいと考えているのかもしれない。どちらにしろ、極めて自己中心的な書き込みだ。

 佐木はゴクリと唾を飲んだ。


――花師なのか?


 見覚えのないアカウントからの書き込みは、他の会員たちからスルーされている。彼らは会話というか罵りあいに夢中で、具体性のないこの書き込みの意味を汲み取ることはできなかったのだろう。

 だが、佐木には想像できた。怪物の言葉の意味が。 


「佐木さん?」

「あ、いや。この書き込みが気になってね。今まで一度も書き込みしてないアカウントだし。『居るのは分かってる。笑ってろよ。今はな』か。さて鳥居ちゃん、どういう意味だろうね?」

「えーっと、なんでしょう。この書き込みは見落としてました……」

「多分、俺のことだと思う」

「え?」

「元刑事の骸骨男、佐木涼介33歳独身を特定しているわけではないだろうけど、これは俺宛てだと思う。というか、自分の邪魔をしているヤツに向けての発信だな。意訳すると、天雲の情報を警察に流した奴がラストサンクチュアリの会員の中に『居るのは分かっている』ってことで、計画を妨害して、してやったりと笑っているんだろうが、今だけだぞ、もうじき笑っていられなくなるぞ、ってことだろう」

「それじゃ、この顔のない怪物って花師ってことになるんじゃ」

「うん。そうかもしれないけど、そうじゃないかもしれない。花師を崇拝する狂信者という可能性もあるからね。身内であるはずの会員の中に花師を売ったクソがいる、すげえムカつく、マジ殺す、って考える奴がいたとしても不思議じゃない。今のところ、俺が笑っていられなくなる何が起こるのかは分からないけどね」


 鳥居はムムっと眉をしかめた。

 天雲をすぐに保護できたのは、ここでdeathが彼女の名前を晒したのを佐木が即座に近藤に報告したからだ。あの日、天雲のプロフィールは各所で晒されたわけだが、時間的に一番早かったのはラストサンクチュアリだったはずだ。顔のない怪物はそれに気付いたのだろう。花師の計画を邪魔しようとしている者がいると。

 佐木に確信できるのはここまでだ。行方がつかめない長谷川を隠したのも同じ人物だと気付いたかどうかまでは判断できないでいた。

 このアカウントが花師なら、悔し紛れのブラフではないだろう。別の犯行を行って鼻を明かそうとしているのかもしれないし、長谷川の件にも気づいているなら、邪魔者を消そうと考えているかもしれない。

 狂信者なら、推理を披露しているだけとも言えるし、己が信奉する神に逆らう者を煽ってなんとかあぶりだそうとしているのかもしれない。


「できれば、会員全員の情報開示請求して住所を特定したいところだけど、今の段階では無理だろうな。まだ、このサイトでは事は起こっていないわけだし。この顔のない怪物がそれで特定できるとも思えないし」

「これが花師だろうが狂信者だろうが、佐木さんが狙われるってことですよね」

「そうかもね。でも俺は生け花にはされないと思うよ? 男だし骸骨だし、何より美しくないから生け花にしても楽しくないからね。ってことは、魚の餌かな?」

「ふざけないでください。佐木さんなんか、拳一発でKOですよ? 簡単に死にますよ? 我々が警護しないと」

「いやいや、俺の身は俺が守るからいいんだよ。それに襲われるとは限ってないし、絶対身バレしてない自信あるから大丈夫。鳥居ちゃんは天雲愛美の警護が最優先でしょうに」

「天雲さんの警護は島田巡査に替わることになりました」

「いやいやいやいや、そういう話じゃないから。上手くいけば、花師に繋がる糸を掴めるかもしれない。喜ぼうぜ。」


 佐木がニヤリと笑うと、鳥居は露骨に嫌な顔をした。自身の危険に頓着しない佐木を心配しているのか呆れているのか、不満げだった。そして、とにかくこのことは報告しておかなければと、近藤に電話をかけるのだった。

 連絡のために鳥居が隣のキッチンへと移動すると、佐木はスマホを手に取り野崎にメッセージを送った。長谷川は無事か、と。

 佐木にとって、笑えないことの一番は、長谷川が連れ去られることだ。真っ先に浮かんだのは、自分に矛先が向くことなどより彼女の安否だった。先手を打ったはずなのに、それを覆されるなんて屈辱の極みである。

 野崎からは即、無事ですと返事がきた。よしと一人頷くと、野崎から続けて、長谷川が家から出ることはなく、彼女がいること自体近所の人も気付いていないとの報告と、例のフラワーアレンジメント教室とミキに関してはもう少し待ってくれという連絡があった。

 長谷川が無事なら、今はそれでいい。

 野崎には、簡単に顔のない怪物の件を説明しておいた。いろいろとやるべきことが増えてきて、野崎には面倒をかけてしまうが、これは花師に近づいている証拠だと、佐木は腹の中で笑う。


「ち、違います! そんなんじゃないです。鍵を返しておこうと思って……。ちょっと近藤さん! 変な勘繰りは止めて下さい。とにかくラストサンクチュアリを……」


 懸命に声を抑えようとしていたのだろうが、上ずった声は佐木を耳に届いていた。佐木の部屋に一人で来たことを、近藤にからかわれたのだろう。

 苦笑しながら、佐木は立ち上がる。そしてキッチンに顔を出した。ギョッとする鳥居に電話を代わってもらい、ヘラヘラと笑った。


「先輩、俺、鳥居ちゃんにお粥作ってもらっちゃいましたぁ」

『おいおい、惚れたはれたは、事件解決後にして欲しいんだがな』

「違います! 義理で、レトルト温めただけです!!」


すぐ隣で、鳥居が顔を真っ赤にして叫んでいた。


「アハハ、鳥居ちゃんマジ天使です。鳥居ちゃんの作ったもんなら食べられそうです」

『食うのはメシだけにしてくれよ』

「大丈夫です。仮に押し倒したとしても、俺、一発KOKOされますから」

「ふざけないで下さい!」


 佐木は電話を切り、鳥居に返した。怒り心頭の彼女にごめんごめんと謝りつつも、笑い続けていた。


「いやあ、ホントごめんね。冗談だからね。ラブコールが来て嬉しかったもんだから、ついはしゃいじゃってさ」

「ラブコール? なんの話ですか!」


 パソコンの前に戻った佐木は、顔のない怪物の書き込みを見つめていた。

 佐木の背後で、鳥居は仏頂面で仁王立ちしている。


「この顔のない怪物の書き込みだよ。俺宛てなんだぜ、嬉しいじゃないか」

「…………それで、はしゃげますか? 私はその感覚についていけません」

「そう? 俺はこの事件、楽しくてたまらないよ」

「佐木さん、ふざけないで答えて下さいよ。本当に隠し事してませんよね!? 本当に、我々に協力してくれるんですよね!?」

「もちろんだよ?」


 振り返り苦笑する佐木の目の前に、鳥居はドスンと正座した。

 そしてじっと佐木を見つめる。


「隠し事してないなら、そのパソコン貸して下さい」

「なんで? って、触られたくないんだけど」


 佐木は首を傾げながらも、鳥居から守るようにパソコンの前から動こうとしない。


「じゃあ、謝って下さい!」

「何を?」

「黙ってようと思ってましたが、やっぱり言います。この前、佐木さんをここに送ってきたときのことです」

「……何かした?」

「鍵渡した後、私の胸を触りました」

「…………は?」

「むぎゅって触りました! 謝って下さい!」

「ごめんなさい! ってか、な、なんでこのタイミング?!」

「そこ、どいて下さい!」


 鳥居は、佐木を思い切り突き飛ばしていた。

 不意打ちを食わせれば、佐木をパソコンの前からどけられるだろうと思い、先日の件を持ち出した。不慮の事故を少々誇張して言うと、予想以上に佐木は動揺し胸を凝視しはじめたので、ついイラッとして押しのける手にかなり力が籠ってしまった。

 簡単に転がっていった佐木に替わって、鳥居はパソコンの前を陣取り、即座にいじり始めた。ブラウザ画面の上部にいくつも並んでいるタブを順番に表示していく。佐木が花師事件について、考察する過程でかけた検索結果のページなどが現れた。天雲愛美のSNSや、A大のページなども表示された。

 鳥居は、佐木が何か隠し事をしている気がしてならなかった。先ほど、近藤に電話をかけているときも、誰かと連絡をとっているようだったのに、彼はそれをおくびにも出さないのだ。

 少々パソコンをいじったくらいで、隠し事をしている確証など見つけられるとは思ってはいないが、疑っているんだぞアピールにはなる。隠し事はしないと約束させたかった。そもそも、鳥居がここに来た理由はそれなのだ。


「なに? いきなり、なに?! 触ったのは悪かったけど、ちょっと、勝手に何やってんだって…………あ」


 パソコンをいじられて文句を言う佐木だったが、モニターを見つめて思わず固まってしまった。

 カッカしていた鳥居も、ギョッとして手を止めていた。

 画面には、セーラー服を着た可愛らしい女の子が映っていた。その画像の隣には、高級シリコンだとか大人の人形だとかの文字がある。メインの画像の下には、色んなポーズをした小さな画像が幾つか並んでいて、肌色面積の多いものもあった。


「…………」

「あ、ああ、それね。最近の人形ってすごいよね。リアルなのをちょっと探してて……。それ、結構いいんじゃないかなと……。でも、不気味の谷っていうの? なんか人間に近づくにつれて、気味の悪い顔に見えてきちゃったりするんだよね。いや、顔は別にいいんだ。肝心なのはボディなんで。肌感が重要なんだよね。色はカスタマイズできるみたいだけど」

「あの、これって、いわゆる、あれですか」

「うん、ラブドールだね」

「……佐木さん、何やってるんですか?」

「…………」


 室内はシンと静まり返り、気まずい空気が流れた。

 ややあって鳥居は大きな溜息をつき、立ち上がった。


「……勝手に触ってすみませんでした。もう、帰ります。私は忙しいんです。この後、清水さんのお話を聞きに行くことになりましたので! 近藤さんも私も忙しいんです!」

「あ、はい。そうですね、お仕事頑張って下さい……」


 スタスタと玄関に向かう鳥居に、佐木は弁解しようかどうか迷ってやめた。恋人でも友人でもない相手に弁解する必要があるのか疑問だったし、まして刑事に話すことではないなと思った。

 のそのそと鳥居のあとを追い、靴を履く彼女の小さな後姿を見つめる。ベージュのパンプスが目に入り、彼女がショートカットで部分的にむっちりしていて本当に良かったと思う。多分、生け花向きではないだろうから。

 鳥居は無言でドアを開けて出ていく。そしてドアが閉まりきる直前で、止まった。


「せめて、嘘だけはつかないで下さい。近藤さんは、あなたを信用しているんですから」


 ドアは閉まった。

 彼女の目は真っ直ぐ過ぎて、自分には眩しすぎるなと佐木は小さく笑った。

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