第19話 合鍵

 近藤との通話のあと、疲れを覚えた佐木は少し寝ようと布団に潜り込んだ。が、その時、キッチンの方から電子音が聞こえてきた。


「なんで……」


 コンビニではよく聞くが、この家では一度も聞いたことのない音だ。電源コードが繋がっていない電子レンジが、なぜ動いているのだと顔をしかめる。

 微かに聞こえて来る足音に身構えた。

 心霊現象は全く信じてはいない。怖いのは生きている人間の方だと思っている。

 コンコンとドアがノックされた。

 不審者がノックするのもおかしな話だが、悪意ある人物がそこにいるなら自分は秒で殺されると確信し、佐木は素早く自らホールドアップの態勢に入る。


「佐木さん、電話終わりましたか?」

「は、はいぃ?」

「開けますね。おかゆを温めました。食べて下さい」


 鳥居だった。

 湯気のたつお椀を持って、彼女は部屋に入ってきたのだった。

 中途半端に両手をあげたまま、佐木はなんでここに鳥居がいるのだと顔を引きつらせてた。だが、彼女の方はごく自然な態度で、テーブルにおかゆを置くのだった。


「どうぞ。レトルトを温めただけですが、何も食べないよりいいと思うので」

「……あの、なんで?」

「自分で食事をつくるのは無理だろうと判断したので、用意しました」

「いや、そうじゃなくて、なんでいるの?」

「近藤さんに様子を見て来るように言われました」

「いやいや、鍵は? どうやって入ったの!?」

「…………」


 動揺している佐木を見て、鳥居はムッと口を尖らせ、ポケットから鍵を出してローテーブルに置いた。


「佐木さんが、これでいつでも入れるよと言って合鍵を渡してくれたんですよ?」

「は?」


 髪を軽くかき上げ、ため息をつく鳥居がなんだが急に艶めかしく見えてきて、佐木はさらに焦る。その鍵は、確かにこの部屋の鍵だ。なぜ鳥居が持っているのか、自分は何をやらかしたのだろうかと不安になる。

 2日前、まともに歩けず鳥居に家まで送ってもらったことは、さっき聞いた。しかし記憶はない。熱に浮かされ朦朧とした状態で、まさか鳥居をベッドに引きずり込んで無体をはたらいたなんてことは無いはずだ、と佐木は自分に言い聞かせる。


「どういう意味か図りかねたのですが、一応役にたちました。インターホンを何度鳴らしても出てくれないので、死ん……気を失っているのかと思って、失礼ながら勝手に入らせていただきました。でも、寝ていただけだったので良かったです。あちらの部屋で起きるのを待っていました。電話も終わったようなのでそろそろいいかと思って入らせてもらいました」


 鳥居が部屋に入った経緯は理解した。隣のキッチンにいたとは、全く気づかなかったが。

 自ら渡したという鍵をじっと見つめたが、やはり記憶にない。


「ああ、ごめん、気持ち悪かったよね。いきなり合鍵なんか渡されて。覚えてないんだけど。あ、いや、その前に、この前はありがとう。送ってくれたそうで……」

「いえ、それは大したことではありませんから」


 鳥居はさっきからずっと愛想のない真顔だった。大したことではないと言いつつ、大したことがあったような顔に見える。


「あの、俺、なんかまずい事した?」

「…………。いえ、たいしたことではありませんから」

「ま、待って、その顔はなんかある顔でしょ。言って! 謝るから! ごめん! ホントごめん!」

「どうして謝るんですか。別に何もないですよ。まあ、無くもないですが、謝らなければいけないほどのことではないです」

「ああぁぁ、はっきり言ってくれ!」

「聞かない方が良いのでは?」


 クスクスと鳥居は笑った。初めて笑顔を見たような気がした。

 佐木は頭を掻きむしる。途中から、鳥居にからかわれているような気はしていたが、何も知らないままではもやもやが収まりそうにない。


「頼むよ……」

「私をどなたかと間違えただけです。その方に鍵を渡したんです。それだけです」


 ああ、そうだったかと、佐木は小さく頷いた。

 眠っている間、佐木はずっと詩織の夢を見ていた。その夢は、幸せな夢だった。二人で朝食を食べてテレビのチャンネル争いをしたり、二人で買い物に行って急に降ってきた雨から逃げようと手を繋いで走ったり、なんてことのない日常の、泣きたくなるほど幸せな夢だった。

 この部屋で詩織と暮らすはずだった。その彼女はもういない。

 鳥居の声は、やはり詩織に似ている。夢うつつに、詩織の分の鍵を彼女に渡してしまったのはそのせいだろう。


「ごめん。熱でイカレて勘違いしたみたいだな」

「大丈夫です」

「その鍵、要らないよね? 俺が渡しといてなんだけど、返してもらってもいいかな」

「はい、そのつもりでしたから」


 佐木はなんだか居心地が悪かった。考えてみれば、鳥居は眠ってしまった佐木の代わりに戸締りをして帰ったということで、今日はその鍵を返しにきてくれたのだ。もしかしたら、近藤に様子を見て来いと言われたというのは、方便なのかもしれない。先ほどの近藤は、鳥居が来るとは一言も言わなかったのだから。

 鳥居は、自分を誰かと間違えたのだろうと言ったが、それが詩織だという事ぐらい先日の話から分かったはずだ。あえてぼかして言ったのは、佐木のプライベートを踏み荒らさないように気を使ってくれたのだと思う。

 すっかり迷惑をかけ、気も使わせてしまったと、佐木は身の縮む思いだった。


 鳥居はまた愛想の無い顔に戻り、おかゆのお椀を佐木に向かってすっと押してきた。早く食べろということらしい。じっと睨むように見ている。

 あまり食欲は無かったが、お椀を手にとりお粥一さじすくって口に運んだ。飲み物以外で暖かい物を口にしたのは、一体いつぶりだろうかと佐木は苦笑する。そして二口目を啜った。レトルトだと言っていたが、梅干しの味がほんのりして意外にも旨いものだなと、感心した。


「わざわざ届けにきてくれたんだよね。ごめん」

「別にいいです。私も佐木さんに尋ねたいことがあったので」


 正座していた鳥居が、すいと膝を滑らせてベッドに近づいてきた。なかなかに眼光が鋭い。

 佐木は反射的に身を退いてしまった。珍しく食べ物を美味しいと感じて、まったりとしかけたのに台無しだった。


「ラストサンクチュアリの管理者ルシファーは、本当は佐木さんじゃないんですか?」


 佐木は目を瞬いた。何を言い出すのかと笑いそうになるのを堪え、鳥居を眺めながら粥を三口四口と食べ続ける。

 違うと即答するのも芸がない気がして、匙を置くと佐木はルシファーというのは悪魔の名前でねと話し出した。


「明けの明星という意味があって、元々は天使なんだ。諸説あるけど、神からアダムに拝礼せよと命じられて、それを拒んだために天界を追放されたらしい。そりゃ、不快だろうさ。大天使の長なのに、人間なんかに頭下げられるかってね」


 佐木が笑うと、鳥居の眉間に皺が寄った。


「ルシファーが堕天使だということは知ってます。うんちくを聞きたいのではなく、佐木さんが管理者なのかと質問したんです」

「まあまあまあ。光の天使が堕天したんだよ。ドラマチックな話だと思わないかい? 高潔な者が罪に手を染める、その理由はなんだろうね。俺はプライドを傷つけられることが、理由の1つなんじゃないかと思うよ。故にルシファーは、七つの大罪の1番目「傲慢」に対応する悪魔だと考えられたのかもしれない」

「佐木さん」

「ってことで、ラストサンクチュアリを見てみようか。まだちゃんとチェックできてなくてさ」


 鳥居は大げさにため息をついた。


「違うなら違うと言えば良いじゃないですか。我々に協力してくれるなら、隠し事をしないで欲しいだけです。あ、私と近藤さん、zagiのアカウントで何回かログインさせてもらいました。いいんですよね」

「いいよ、好きに使って。隠し事ってほどのことは隠してないよ。そうそう、出禁のdeathの身元、割れるといいね」


 前日、天雲と何を話したのか、何か聞き出したのに隠しているのではないか、鳥居はそれを訊きたかったのだろうが、佐木としてはまだミキの事は警察には話したくなかった。鳥居や近藤には悪いと思うが、どうしても彼らより先に花師に接触したいのだ。

 佐木はラストサンクチュアリの掲示板を表示し、一昨日の夜のdeathとリッパーリッパーのやり取りの続きを見ていく。

 会員たちは、天雲が警察の保護下に入ってからずっと、花師は次の犯行をどうやって行うのかを話題にしていた。警察から奪って殺すのだと言う者もいれば、別のターゲットに変更するだろうと言う者もいた。

 佐木は、天雲はデコイで本命は長谷川だと考えているが、世間一般は長谷川の存在すら知らず天雲がターゲットだと見ている。

 この掲示板でもそれは同様だ。だが、佐木のように別の見方をしている者もいた。


Poe:20**/06/01 23:54

天雲愛美の写真を公開した時点で、警察が保護に動くことは予見可能で、花師は自らリスクを背負ったことになります。しかし彼が敢えて写真公開に至ったのは、この国をさらなる恐怖に陥れ警察に挑戦状を叩きつけるためであり、なおかつ犯行を実行する準備が既に整い、警察を出し抜く自信があったからだと、自分は考えます。故に、天雲愛美の写真は、彼女がターゲットであるというの表面上の意味以外の意図も隠されているはずです。


「ほお、さすがPoeを名乗るだけはある」


フローラ:20**/06/01 23:45

もったいぶるの得意だよねー何が言いたいのん?

リッパーリッパー:20**/06/01 23:46

インテリぶった言い方してんじゃねえよ

本当に賢い奴は誰にでもわかるように話ができるもんなんだよバーカ

death:20**/06/01 23:46

ブフフ☆

Poe:20**/06/01 23:47

あの写真から読み取れる全ての情報を吟味する必要があると言っています。

フローラ:20**/06/01 23:49

だ、か、ら!何?何だっての?

Poe:20**/06/01 23:50

気付きとはとても大事なことです。

フローラ:20**/06/01 23:50

うざ!

death:20**/06/01 23:51

ブへへ♡

リッパーリッパー:20**/06/01 23:51

おいポエ

バカがふんぞり返ってんじゃねえよ

もうすぐアイミは花になるんだから大人しく待ってろ

フローラ:20**/06/01 23:52

あのねえ、Poeってポーだよ。

リッパー君って頭だぁいじょおぶぅぅ?


 このやり取りを見ながら、佐木はニヤついていた。Poeも長谷川の存在に気付いたのだろう。大学のカフェテラスで撮られた写真であることから、大学の生徒がターゲットになりうる可能性や、天雲と同じライブアイドルを狙う可能性なども、Poeは考えたのかもしれない。

 と、鳥居が身を乗り出してきて、佐木の思考を遮った。


「このPoeなる人物が花師である可能性はあると思いますか?」


 鳥居が顔をぐっと画面に寄せたので、佐木の肩に髪が擦れていった。もしかして目が悪いのかと、パソコンの真ん前を陣取っていた佐木は少し横にずれる。それでも、彼女の肩が微かに腕に触れるのを避けることはしなかったが。


「どうだろうなあ。ただ、推理しているだけの様に見えるけど、みんながあまりにも的外れな事を言うもんで、じれったくなって花師が自分の行動を説明した、って線がないとは言えない。でも、Poeは今まであまり書き込みしていないから、判断が難しいな。花師有力候補の一人ではあるけど」


 むうと唸って、鳥居が離れてゆく。

 僅かに感じただけの体温でも、無くなると少々もの寂しく感じ、佐木はどれだけ人肌の温もりに飢えてるんだかと自嘲するのだった。


 その時、見慣れないアカウント名に目が止まった。

 ゾクリと毛穴が逆立つのを感じた。

 佐木は素早くテキストデータを開いて確認する。ラストサンクチュアリの会員の名前や特徴などを書き出したものだ。やはり、無い。


「誰だこいつ」

「どうしたんです?」


 佐木は書き込みをドラッグして反転させた。


顔のない怪物:20**/06/02 00:01

居るのは分かってる。笑ってろよ。今はな。


 ドクドクと心臓が鳴っている。奇妙に符合するその名に、佐木の緊張は高まった。詩織を殺した犯人を、佐木は〈顔の見えない怪物〉と呼んでいる。その名に非常に似たアカウントが、ラストサンクチュアリにも存在していた。

 その意味するところは。


――繋がっている? いや、まさか……


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