第18話 復讐

『どうよ調子は?』

「まあ、なんとか」


 あれから2日が経っていた。

 高熱を出した佐木はそのまま寝込んでしまい、天雲とのドライブの翌日は1日眠り続けていた。

 だが、佐木の体感としては一晩寝た程度で、先ほど目覚めた時には、6月3日と表示しているスマホが信じられなかった。テレビやパソコンでも確認したし、近藤から電話がかかってきた時も、まずは日付を訊ねたくらいだ。タイムスリップでもしたかのような気分だった。


『まあ、寝るのが一番の薬だな。水だけはちゃんと飲んどけよ』

「なぜか枕元に空のペットボトルが転がってるんで、多分寝ながら水飲んでたんでしょうね」

『夢遊病かよ』


 熱はまだあるようだが、車の中でガクガクと震えだした時のことを思えば随分と良くなった。

 鳥居が病院に連れて行ってくれたのだと近藤から聞いたが、まるで覚えていない。診察にも付き添い、点滴を受けている間もずっと待って、家まで送ってくれたらしい。それを覚えてないなんて薄情なヤツだとまで言われて、ようやく朧げな記憶が蘇ってきた。医者に栄養失調だから入院しろと言われ、絶対嫌だと断った気がするのだ。しかし、その時鳥居は側にいただろうかと首を捻る佐木だった。


「ところで、始末書はもう書けたんですか?」

『なんで俺が始末書なんか書かなきゃいけねえんだよ』

「天雲ちゃん誘拐事件が起きたじゃないすか」

『アホか。んなもん、上に報告するわけないだろう。鳥居たちに厳重に口止めして、それで終わりだ。……まったくこのバカが。いくら天雲から話を聞きたいからって、やっていい事と悪いことがあるんだって分かれよ。いいや、分かってやる奴なんだよな、お前は! 鳥居が緊急配備を要請しようとするのを必死で止めたんだからな! お前に甘すぎるって、鳥居に怒られちまったぜ』


 天雲を乗せて走り去った後の様子が目に浮かぶようだった。正論を言う鳥居に、近藤が不本意ながらも言い訳をしてくれたのかと思うと、感謝しかないのだが少し笑ってしまう。

 阻止できなかった鳥居や松田は殺気立って、後を追おうとしたに違いない。しかし、大事にできない近藤は必死に彼らを止めたのだ。天雲の話を聞くことが目的だから、必ず戻ってくると信じてくれたのだ。


「鳥居ちゃん、よく病院に付き添いしてくれましたね」

『野郎の世話は野郎にって、松田に行かせようとしたんだが、アイツお前をくっせぇ公衆便所のはみ出たクソでも見るみたいな顔で睨んでたからな。鳥居が仕方なく申し出てくれたんだ。お前、本当に感謝しろよ』

「ああ、はあ……」


 よくもそんな酷い例えができるもんだなと思ったが、なんとなく松田の顔が想像できてしまい、佐木は頬を引きつらせて苦笑いした。


『で、天雲とは何を話したんだよ』

「彼女の身の上話ですよ。なかなかの苦労人ですね。それであの明るさなんだから感心しますよ」

『聞きたかったのはそんな話じゃねえだろうが』

「まあね。自分を餌に花師をおびき出そうとしてたんじゃないのかって、何度も訊いたんですけどねぇ。そんなわけないじゃん、ってはぐらかされて、そうこうしてるうちに体調が急転直下ですよ。ああ、折角の機会だったのに、残念です。ああ、そうだ、花師のことは大嫌いだって言うんで、一緒にわら人形作ろうかって」

『アホか。なにか隠してるんじゃねえだろうな』

「まさか。先輩、もう1回天雲ちゃんと話す機会くれませんかねえ」


 近藤は可とも不可とも言わず、ため息をついた。佐木の言葉を信じているわけではなさそうだが、今は問い詰める気は無いようだった。


『4人目の遺体が見つかって、天雲がターゲットになってから6日目だ。少しでも情報が欲しいんだ。何か気付いたことがあればすぐに言ってくれ』

「分かってます。やれることはやりますよ。1日無駄になったのが悔しいですね。情報と言えば、さっき聖域の掲示板見たんですけど、deathは天雲が出てるライブハウスの常連だったみたいですね」


 近藤から電話がかかってきたのは、寝起きで掲示板を見始めたときだった。まだ、寝込んでいた間の全ての書き込みは確認できていないが、リッパーリッパーとdeathのやり取りだけは気付いた。

 それは、お前が天雲の情報を警察に売ったんじゃないのかと言われたdeathが、絶対にそれはないと反論するというものだった。

 なぜ天雲を知っていたのかという問いには、来夢というアイドル目当てにライブハウスXYZに行っていたのだが、足しげく通っていれば推し以外のアイドルにも詳しくなるものだと説明し、少し前に出入禁止になって来夢にも天雲にも全然会えていなかったとも答えていた。

 そして、自分は天雲が生け花をなった姿を見るのを楽しみにしていたのだから、警察に情報を流すはずがないと、重ねて無罪を主張していた。


『その書き込みなら、こっちでも確認した。まあ、deathが花師とは思わんが、あのサイトの利用者でしかも天雲を知っていたわけだし、これから調べるつもりだ。出禁になってるくらいだし、客の中では迷惑なヤツってことで有名かもしれん。これが少しでも足掛かりになればいいんだが』

「オーナーの清水さんになら、出禁になってるヤツの名前や連絡先、分かるんじゃないですか?」

『ああ、そうだな』


 か細いが、ようやく見つけた花師へと繋がる糸となるかもしれない。deathから他のメンバーの情報が引きだせたなら、そこから別の糸も見つかるかもしれない。

 その後、季節外れのインフルエンザにかかるのはバカか利口かで軽く言い争い、長電話を終えた。

 佐木は手の中のスマホに向かって軽く頭を下げる。近藤に伝えるべきものを伝えていないことへの謝罪だった。







 あの日、佐木は天雲から情報を得ていた。それは、一番最初の犠牲者谷口久美に関わるものだ。

 谷口はカルチャーセンターで開講しているフラワーアレンジメント教室に通っていた。会社を欠勤する前日もその教室に行っていたことは、警察も把握しているのだが、天雲はその講座の生徒の中に花師は絶対いると言うのだ。

 佐木は、警察がその教室の関係者に事情を聞かないはずはなく、不審な所はなかったからこそ未だ花師は捕まっていないのだと言って、天雲の考えを否定した。

 しかし、天雲は頑なだった。


「警察は見落としてるのよ。久美さんは友達の『ミキちゃん』って子のこと、会社の人と話してた。フラワーアレンジメント教室で出会ったみたいでさ。可愛くって、面白い子だって言って。その頃よく一緒に遊びに行ってたらしいし、家にも呼んだことあるらしいし。私がそれを聞いたのは事件の2週間くらい前よ。それでさ……久美さんのお葬式の時、弔問客の名簿にミキの名前は無かったの。幹子って人は居たけど、それは親戚のおばさんだったし。家までくるような友達なのにお葬式に来ないなんて、絶対おかしい」


 天雲は『ミキちゃん』を疑っていた。

 実際に自分の目で見たわけではないが、疑わしいと思う人物がいたからこそ、天雲は谷口久美の復讐を実行しようとしたようだ。

 そしてネカフェ生活もSNSも、佐木の予想通り、わざとスキだらけにして花師をおびき寄せようとしていたのだった。

 なぜ、命を危険に晒してまで復讐しようとするのか、谷口久美とは天雲にとってなんなのか、佐木は慎重に聞き出していった。


「久美さんは、私を助けてくれたから……。言ったでしょ、私、虐待されてたって。通報してくれたのが久美さんで……。みんな見て見ぬフリだったのに、久美さんだけが気が付いてくれた。あの日、私の手を引いてくれた温かい手の感触、絶対忘れない……。信じられる? まだ中学生の女の子が、大人に立ち向かって見ず知らずの私を守ってくれたのよ。久美さんは私のヒーローなの」


 呟く天雲の目には、涙がいっぱいに溜まっていた。

 谷口との関係がやっと天雲の口から語られた。

 10年前のことだ。天雲は、母親と男と3人でショッピングセンターを訪れていた。

 大人2人はクレープを食べ歩きしていたが、少し遅れて歩く天雲は手ぶらで足を少し引きずっていた。遅れすぎると怒鳴られ、近づきすぎても怒鳴られていた。

 そこに通りかかった谷口は、能面のような顔をした天雲を見て、虐待を直感したらしい。だが、周囲の客は誰もが通り過ぎてゆく。

 谷口は母親らに気付かれないように、商品棚の陰から助けがいるかと天雲に問いかけた。だが、きょとんする天雲の返事は待たなかった。彼女の手を引いて近くのトイレへと走ったのだ。そして多目的トイレに入り、ごめんねと言って天雲の服をたくし上げ、いくつもの痣を確認した。

 谷口が天雲を連れていくのに気付いた母親たちが追ってきて、トイレのドアをガンガンと叩いたが、彼女は怯まず警察に通報したのだった。そして天雲を抱きしめて、警官が来るまでずっと励まし続けたのだった。

 この時から、谷口は天雲にとって崇拝の対象となった。たまたま通りがかっただけなのに、天雲の状況に気付き、助けようと行動した。これは簡単なことではない。天雲は、すっかり彼女に心酔してしまったのだった。


 警察に保護された後、天雲たっての希望で谷口と面会し話すことができたが、その後は会っていない。会ってはいないが、天雲はこっそりと谷口の学校に行ってみたり、後をつけてみたりと、ストーカーまがいな事をしていた。彼女のことを、もっともっと知りたかったのだ。

 直接声をかけられなかったのは、まだ小学生だった天雲には彼女の周りの中学生が恐ろしく思えたからだった。時が経過するにしたがい、恥ずかしさやもう忘れられているのではないかという不安が大きくなり、ただ彼女の姿を遠くから見つめるばかりになっていった。そして、思いだけが募っていく。

 大学は谷口の母校を目指した。そして入学後、彼女に会おうと意を決した。感謝を伝えたかった。今こうして幸せに暮らしているのは、あなたのおかげですと。


「何よ、その変態を見るような目は! 乙女の純情を笑うヤツはぶっ殺す!」

「いや、そんなつもりは無いって。うん、いい話だと思うよ。ストーキング以外は」


 天雲にその自覚があるのかどうか定かではないが、谷口への思慕は恩人への感謝だけでなく、恋情も含まれているのではないかと思う佐木だった。同性であるという点はひとまず置いておくとして、恋すればこそ、命がけで復讐したいと思うこともあるだろうと、一人納得するのだった。

 ともかく、ストーキングを続けていた天雲は、谷口が会社の友人と喫茶店で話しているのを盗み聞きして、ミキの存在を知ることになったというわけだった。

 弔問客の名簿は、後日谷口久美の霊前に焼香しにいった時、話の流れでたまたま見せてもらったらしい。

 なかなかの行動力だなと、佐木は笑った。


「初めから疑ってたわけじゃないけど、名簿見てから、だんだん変だって思うようになって、フラワーアレンジメント教室に行って、ミキって方はどなたですかって聞いたら、そんな人いないって言われて……それからよ、ミキが怪しいって思うようになったのは。なんていうか、こう、ビビッてきたのよ! 教室で仲良くなったはずのに、いないなんて怪しいじゃない!」


 天雲は力説するのだが、佐木は苦笑し首を傾げる。第六感ではなく、もっと客観的事実に基づく推理を語って欲しかった。

 いくら友人でも都合によっては葬儀に出席できないこともあるだろうし、フラワーアレンジメント教室にいなかったのは、単にそこの生徒だと天雲が思い込んでいただけで、他の講座の受講生だったかもしれないし、全く関係ない可能性もある。なにしろ、天雲は谷口と直接会話してはいないのだから。

 なぜ、天雲がこんなにもミキなる人物を怪しむのか、佐木には理解できなかった。


「そうそう、言い忘れてたけど、出来上がったアレンジを見て、この花は似合わないとか、これは久美さんにとても似合うとか言ったり……。聞いてよ! 花と久美さんが一体になってこそ良い作品ができるって、そんなこと言ってたんだって! 今、思い出した!」


 天雲は当て推量を語っているだけかと落胆しかけた佐木だったが、この言葉には敏感に反応した。花師ならば口にしそうな台詞だと思った。

 通常なら、花と一体になると言われれば、比喩として捕らえるところだが、花師が放ったものであればこれは言葉どおりなのだ。犯行がそれを如実に示しているのだから。

 かったるさが吹き飛んで、心が逸りだした。よくぞストーキングしてくれたと、天雲を褒めたくなる。


「久美さんにはガーベラが似合うって、ミキに言われたって話してるのも、私は聞いた! ね? これって、ビンゴでしょ?」


 ビンゴだなと応えた。

 必死で同意を求める天雲に、それを最初に言えよと佐木は内心毒づいていたが、ここは大人として余裕をみせねばと無理やり微笑んでみせた。

 ミキが最重要人物として浮上してきた。何をおいても真っ先調べるべきだろう。今後、思い出したことはどんな些細な事でもいいから話すように言った。


 一つ不可解なのは、天雲の話をそのまま受けとれば、ミキは女のように思えてしまう点だ。それは佐木の思う花師像とは異なる。

 ただ、天雲にしても谷口の話からの印象で語っているため、ミキの性別を確定することは出来なかった。

 そもそも、ミキと呼ばれていたからといって、名前がミキとは限らない。ミキエ、ミキヨ、ミキオ、ミキヤいろいろある。ニックネームかもしれないし、苗字かもしれないのだ。

 早急に調べようと思うのだが、自分の容姿は聞き込みに向かないことを理解している佐木は、野崎にフラワーアレンジメント教室を中心に、谷口と親しくしていたミキなる人物がいないか調査を依頼をしたのだった。

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