第17話 天雲愛美の告白

 天雲によると、その生い立ちは苛酷なものだったようだ。

 4つの時に両親は離婚し、彼女は母親に引き取られた。その後、母親の交際相手の男と同居を初めた頃から、天雲は二人から暴言や暴力の虐待を受けるようになった。途中から幼稚園に通せわなくなったのは、身体にできたあざから虐待が発覚するのを恐れたのだろう、と天雲は言う。

 小学生になってからは、見えないところにあざができるようになった。暴力をふるうのは主に男だったが、母親はそれと止めなかったし、殴られるお前が悪い、これは躾だと言うばかりだった。

 家に帰れば邪魔だと言って殴られ、外で時間を潰していると遊びほうけるなと殴られる。大人しく部屋の隅で教科書を読んでいても、そんなに暇なら家事をしろと怒鳴られる。大きな痣ができる度に学校を休み、勉強などできる環境ではなかった。しかし、テストでひどい点を取るとなんてバカなのだと罵るのだ。

 小学3年生の時に、通報により虐待が発覚し、男と母親は逮捕された。天雲は数週間の入院の後、児童施設に入所した。そして3年後、里親に引き取られ18歳までを過ごした。

 里親のもとにいた間は、彼らの姓久松を名乗って中学、高校と通い、穏やかな生活を送っていたらしい。


「あいつらと離れることができたあの日、私の人生は変わったのよね。通報してもらえなかったら、多分死んでた。……すごく感謝してるの。誰も気付いてくれない、助けてくれないって諦めてたから……。気付いてくれて、涙が出る程嬉しかった」


 1年前、大学に進学するタイミングで里親から自立することになった。初めはアパートを借りていたのだが、3か月で引き払い、ネットカフェ暮らしをするようになったらしい。アイドル活動を始めたのも同じ頃だった。


 天雲を保護したあと、警察は母親に連絡を取った。天雲を実家に帰した上で警護しようとしたのだ。

 しかし、母親は天雲を受け入れることを断った。9歳で別れて以来、10年間一度も会っておらず、親子の関係が希薄になっていたということもあるが、母親は以前の交際相手とは別の男性と結婚を前提に同棲していて、その男性に天雲の存在を隠していたためだった。

 天雲自身も母親の元へいくことを猛烈に拒んだこともあり、事情が事情だけに警察が匿うことになったのだった。


「里親さんのとこに行こうとは思わなかったの? 近藤さんは連絡しなかった?」

「久松のお母さんは、病気だから。ガンでさ……あ、初期だよ、超初期。だから絶対治るよ。でもさ、やっぱ大変じゃない。守ってあげるから帰っておいでって、二人とも言ってくれたけど、迷惑かけたくないから」

「あー、まあ、それは分からなくはないけど。甘えちゃってもいいと思うんだけどねぇ。里親さんだって、もっと頼って欲しかったかもよ?」

「分かってる。生みの親なんかより、私のこと大事に思ってくれてるって。だからこそ、っていうのあんたに分かる?」

「何と言うか、人生の出だしがハードモードだった君としては、色々と考えてしまうわけね」

「そうよ。私のとこなんも考えてない、バカだと思ってたんでしょ」

「いやいや、何と言っても名門大学の学生だし、実はできる子なんだろうなって思ってたよ?」

「なんか嘘くさい……」


 小学生の頃の成績は酷いものだったが、勉強は嫌いではなかった。久松家に引き取られると落ち着いて勉強できる環境になり、中学生になった天雲は一人で小学生の学習からやり直したそうだ。そこから徐々に成績を上げていき、ついには難関大学に合格を果たしたというのだ。天雲は自分を根性はある方だと評した。

 施設にいた頃、ある職員にお前はバカだから高校なんか行けないぞ、中卒じゃろくな仕事ないから体を売るか結婚するしかないぞ、と言われたのを根にもって奮起したのだそうだ。


「後で知ったんだけど、あいつ、おバカ大学の出身でさ! だから私、わざわざ施設に行って、合格証見せつけて言ってやったんだ。私のこと、バカだバカだって言ってたのは誰でしたっけって。お前みたいなバカでグズな能無しは社会でやってけないって。仕方がないから16になったら俺が結婚してやるって。小学生のお尻触りながら言った下衆なロリコンはどなたでしたっけってね! 職員や子どもたちがいっぱいいる前で言ってやった!」

「はっはっは。ざまぁを果たしたってわけだ」

「天罰よ。施設長にちょっと来いって連れていかれて、真っ青になって引きつっちゃってさ、大笑いだったなぁ。でも天罰っていっても、こんなの軽いもんよ」

「花師は軽くじゃ済まさないけどね、ってことだよね?」


 何気ない風を装って佐木はさらりと言ったのだが、アハハと笑っていた天雲の顔色は一瞬で変わった。


「あんた、花師に天罰下したいの? 恨みがあるの?」


 少し弛緩していた車内の空気が、またピリピリとし始めた。

 天雲はじっと上目遣いで佐木を睨みつけていた。探るような視線だが、どこか期待を込めているようにも感じられる。

 佐木は天雲から貰ったペットボトルのお茶を一口二口と飲んでから、焦らすようにゆっくりと彼女の方に顔を向けた。


「恨みは無いよ。興味は物凄くあるけどね」

「ファンだとかなんとか、バカなこと言ってたけど本当に?」

「ああ、会いたいんだよ。会って話してみたい」

「……殺人鬼となんの話する気」

「そりゃ色々と大人の話をさ。そう、下衆な大人同士のね」

「チッ。子ども扱いして、はぐらかさないでよ」

「そうは言っても、君は俺と対等じゃないから。いいかい、君は俺を利用すればいいんだ。多分俺たちは利害が一致する。だから無茶をする必要はない」

「な、何のことよ。私がなんだっていうの……」

「花師に復讐したいんだろう? そのために自分を餌にしておびき出そうとしていた」


 佐木から顔を逸らせた天雲の瞳が、せわしなく揺れていた。頷くことはしなかったが、それは否定する態度でもなかった。


「話してみろよ」

「…………」

「じゃあ代わりに俺が言ってあげよう。君の過去に関係あるよね? 長々と自分語りしたもんね」

「あんたが、なんで実家に帰らないんだって聞いたからでしょ!」

「そうだね。でも、君は意味なく自分語りするタイプとは思えないから。そうだな、俺の勘では里親さんは多分関係ない。とすれば、施設でのことか、虐待してた二人に関連がある。さて、花師とはどうつながっているのか」

「待って! 利害が一致するって言ったよね。利用しろって言ったよね。それってさあ、あんたが私の代わりに花師をぶっ殺してくれるってこと?」

「お、やっと本音が出てきたかな? でもさー、天雲ちゃん。人殺しはね、犯罪なんだよー、知ってるぅ? 俺にやらせるのも殺人教唆になるんだよ?」


 お道化て肩をすくめてみせると、天雲は目を見開いて固まってしまった。そしてみるみるうちに顔が真っ赤に染まってくる。眉がこれでもかという程に吊り上がっている。


「なんなの、あんた! 思わせぶりなこと言っておいて!」

「怒らない、怒らない。君はね、知っていることを全部話すだけでいいんだ。それ以外のことは何もしない、何も言わない。俺のことも詮索しない。もちろん近藤先輩にも何も言わない。それで丸く収まる」

「うるさい! 邪魔しないで!」

「邪魔してるんじゃない。ただ、俺に話せって言ってるんだ。知ってるか? 日本では毎年約8万人が行方不明になってるんだ。とはいえ、大半は死亡も含めて所在が確認されるんだけどね。確認が取れない、本当の失踪者数はおおよそ2千人くらいかな。それは自身の意思で姿を消したのかもしれないし、何か事故や事件に巻き込まれたのかもしれない。何処に居るのか生死も分からない。そういう人間が実際に毎年2千人ほどいるんだ。……そこにもう1人くらい加わっても、いいと思わない?」

「……え?」

「露見しなければいいんだ。つまり、正体が警察に割れる前に花師が失踪者の仲間入りしたとして、永遠に見つからなければ何が起きたかなんて誰にも分からないということ」

「あ、あのさ、もしかして今ものすごく怖いこと言ってる?」

「あれ? 殺すってダイレクトに言ったのは誰?」

「だ、だって私は狙われてるから、せ、正当防衛だもん」

 

 佐木はクスクスと笑う。

 自ら狙われにいき、返り討ちを目論んでいながら、正当防衛もないものだと思うのだが、何をやっても露見さえしなければいいのだという言葉に、戸惑いと嫌悪感を抱ける感性を天雲が持っていたことに、佐木は少しほっとしていた。強引だったが彼女と話すことができて良かったと心から思った。

 彼女に復讐は出来ない。人を殺すことはおろか、傷つけることもできないだろう。どんな計画を立てていようとも、彼女のような心根ではきっと失敗する。佐木の悪意ある囁きを是と受け入れられなかったこと、正当防衛と言いつつ目を泳がせていること、それが証明だと思った。

 この無鉄砲を無駄死にさせるわけにはいかない。


「さっきも言ったけど、君は知っていることを俺に全部話すだけでいいんだ。それ以外は何もしない、何も言わない。それが君の最善だ。ま、これだけ言っても、自分の思うとおりにやるって言うなら、残念ながら俺は君にさようならを言わなきゃいけない。今生の別れになるんだろうなぁ。君を生け花にしたくはないんだけど」

「……ヤなこと言うのね」


 天雲は黙り込んでしまった。

 コンビニの駐車場に停車してから、かれこれ30分以上経過している。一応買い物をした客であるから遠慮しているようだが、店主らしき男が先程からこちらをチラチラと覗っていた。親子とも兄妹とも恋人同士とも見えない二人組に不信感を抱いているのかもしれない。

 佐木はごくごくと残りのお茶を飲みほした。


「なくなっちゃった。天雲ちゃん、もう1本お茶奢ってくれない?」

「嫌。コンビニのおっさんが、こっち睨んでるからでしょ。ほっとけばいいのよ」

「君のその察しがいいとこ、俺好きかも」

「キモッ!」


 わははと笑う佐木の膝に、天雲は自分のミルクティーのペットボトルを放った。


「本当に喉乾いてるんなら、それ飲めば」

「サンキュー」


 遠慮なく飲む佐木を、天雲はため息をついて眺めた。


「私、花師を殺せるなら死んでも良かった。本当に、本気で、復讐するって。絶対、あの人の仇を取るんだって思ってた。できるって信じてた。ううん、信じたかった」

「過去形、だね」

「あんたのせいよ。あんたに初めて会った日、お前には無理だ、覚悟が足りないって言われた気がして……」

「ああ、君はやっぱり察しがいい」

「マジでウザ! あのさ、スタンガンで人を殺せないことくらい最初っから知ってんのよ。だから、怯んだスキにめった刺しにするつもりだったし、ナックルも用意してたし。私に声かけてくるヤツが少しでも不審な行動したら、車に乗せようとか人目のない所に誘うとか、そしたら即行動してやるって。相手は何人も殺してる殺人鬼だからね、先手必勝よ。……でも、もしその人が花師じゃなくて、全然関係ない人だったら……そもそも、私は本当に人を殺せるのか……そんなこと考えたら……」


 天雲は唇を噛んで俯いた。膝の上でぎゅっと拳を強く握っていた。


「ま、殺せないだろうな。もうこんなに弱気になってる」

「でも、囮である私の前に花師が現れたら、その顔を知ることができるのよ。そりゃ、無事じゃすまないだろうけど……。なんとか隠し撮りできたら、きっと警察が捕まえてくれるって思ったのよ」

「いやいや、写真のために命かけなくても」

「だって、何もしなかったら気が狂いそうだった。久美さんは、私の大事な人だったのに……」


 天雲の握り締めた拳の上に、数滴の雫が落ちた。

 予想どおり、天雲は第一の被害者、谷口久美の名を口にした。やはり、花師の正体を暴く鍵は最初の事件にあるのだと佐木は微かな笑みを浮かべる。







 近藤は開口一番、ふざけるなと怒鳴り、佐木を襟首を締め上げた。無抵抗の佐木の目が虚ろで身体が脱力していることには、天雲が声をあげるまで気が付かなかった。


「そんなにしたら、ザギが死んじゃうよぉ? ホントにすごい熱あるんだよぉ?」


 舌足らずを演出し、少し笑いながら天雲は近藤を止めた。

 巨大な猫をかぶっている彼女に突っ込みたくなったが、佐木にその力は残っていなかった。

 天雲の話が終わると彼女が滞在しているホテルに戻るつもりだったが、佐木は猛烈な寒気と眩暈に襲われてしまった。想像以上の急激さで体調は悪化して運転どころではなくなり、近藤の叱責覚悟で、迎えに来てくれと連絡したのだった。

 コンビニはホテルからさほど離れていなかったので、10分も経たずに近藤たちの車は到着した。そして鳥居、松田、島田の4人の警官が飛び降りてきて、鬼の形相で佐木たちの乗った車のドアを開けたというわけだった。

 首を締め上げられている佐木は、朦朧としながらギブギブと弱々しく近藤の横腹辺りを叩いた。


「何が熱だ、甘えるんじゃねえ! 勝手しやがって! ……ん? 熱っ! なんじゃこりゃ!?」


 たかが風邪と思っていた近藤だったが、佐木の額に手を当てた瞬間、顔つきが変わってしまった。佐木を怒鳴りつけて叱りたい思いと、あまりの高熱に驚き心配になる気持ちに挟まれて、ギリギリと歯ぎしりをするのだった。


 5分後、彼らは二手に分かれることになった。

 後から駆けつけてきた車は近藤が運転し、天雲と二人の刑事を乗せてホテルへと戻り、先にコンビニに来ていた車には鳥居が乗って、佐木を病院に連れて行く。

 近藤は自分が行こうか迷ったが、仕事が山積している上に、言う事をきかない上に自分にスタンガンを食らわせた天雲に説教せずにはいられず、鳥居に佐木の付き添いを頼んだのだった。


「すまんな鳥居。そいつを頼む」

「はい」

「病院のあとは、家の中に放り込んどけばいいからな。看病なんかしなくていいぞ。それで今日はもう上がれ」

「いいんですか?」

「お前も少し休んだ方がいい」


 頭を下げる鳥居に、近藤は窓から手を振って去って行った。

 鳥居も車に乗り込み、助手席でぐったりしている佐木を横目にため息をついた。


「ほんと、はた迷惑な人。勝手に天雲さん連れ出したかと思えば、次は高熱って、私にうつさないでよね」


 ブツブツと文句を言いながらキーを回し、ブルルとエンジンが動き出した時、隣から小さな声が聞こえた気がした。思わず佐木を覗き込む。

 苦しそうに荒い息を吐き、途切れがちに佐木が呟いていた。


「ごめんな、詩織……いつも心配かけて……」


 目を閉じた佐木は、ほんの少し笑っていた。

 自分のジャケットを彼に掛けてやると、鳥居は静かにアクセルを踏んだ。

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