第12話 正義とは

「お久しぶりです、小野田先生。佐木です。わざわざお時間をいただきありがとうございます」


 佐木は軽く頭を下げたが、小野田は眼鏡をカチャリと直し戸惑った表情を浮かべていた。誰だったか、必死で思い出そうとしているようだ。

 近藤は捜査の協力者が、小野田の話を聞きたがっているので少し時間をくれと、佐木の身元をぼかして伝えたらしい。


「今は退官しているのですが、以前、近藤巡査部長と一緒にこちらにお邪魔したことが……。えー、大変言いにくいのですが、解剖中に盛大に吐いてご迷惑をかけたことがあるのですが、お忘れになりましたか?」

「ああ! あの時の新米くんか! どうしたんだね、そんなにやせ細ってしまって。誰だか分からなかったよ」


 小野田教授はポンと手を叩いて、そうかあの新米くんかと繰り返すのだった。

 会ったのは随分前のことだし、あの時から体重も激減し見かけも変わってしまったが、嘔吐した新米刑事のことはしっかり覚えられていた。自分で掘り返したことだが、忘れてくれてても良かったのにと、佐木は力なく笑いながら再度頭を下げた。

 立ち合い中に気分が悪くなり退室する者はたまにいるが、解剖室で嘔吐して床にぶちまけただけでなく、検査器具にまで吐しゃ物をかけるという大惨事を起こしたうつけ者はそうそういないだろう。

 近藤にも滅茶苦茶叱られたし、法医や技師たちからも大ひんしゅくをかい白い目で見られてしまった。小野田の記憶に残るのも道理というものだ。


「あの時は、このバカが本当にすみませんでした」


 近藤が苦笑しながら言った。

 鳥居は目を丸くして近藤、小野田、佐木を順繰りに見つめていた。まさか本当のことだとは思っていなかったようだ。

 ひとしきり昔話をしたあと、佐木は花師に関する小野田の見解を尋ねた。


「先生は被害者4人の遺体を全てみてらっしゃいますよね。やはり同一人物の仕業とお考えですか?」

「別の人間が模倣したとして、ここまで同じように切断できるかと聞かれればノーと言うしかないですね。例えば腕を切断するにしても、肩から関節で外すのか、二の腕で切り落とすのかで、ご遺体の状況はは全く違ってきますから。警察はそこまで発表しませんしね」

「犯人しか知りえない事実というヤツですね。少し視点が違うのですが、遺体の切断面はきれいに整えられていますよね。美しくしさへの強い執着のようなものが感じられませんか。花を生けるときに余計な枝葉を取るように……。この特異な美意識の持ち主が同時期、同地域に複数いるなんて俺にはとても思えないんですよ。その意味から、俺も模倣犯が混じっているとは考えていません」


 小野田は、ほうと珍しいものを見るようにあごをさすりながら、佐木を眺めた。


「面白い見方ですね、佐木くん」


 その後、佐木は自分が遺体から読み取ったことを話し、小野田の見解を聞き、概ね同意を得ることができた。大いに話ははずみ、間違った方向に推理を進ませていないことを確認して、佐木は満足げに頷くのだった。

 テーブルの上に何枚もの凄惨な写真を並べての会話と思えない程に、佐木はにこやかで饒舌だった。


「例えば怒りや憎しみから、めった刺しすることがありますよね。遺体はそりゃあ無残な状態だ。相手を傷つけようとする、加害者の激情がぶつけられた結果なんですから。また、本来は防衛のためだったのに反撃される恐怖や動転のあまり、過剰に攻撃してしまうこともあります。同じめった刺しにされた遺体でも、犯人の精神状態が大きく異なる場合、よくよく観察すれば遺体にも違いがあるんじゃないでしょうか。遺体は加害者の心を映す鏡みたいなものだと思うんです」

「犯人を知るために、ご遺体から情報を得ようとする佐木くんの考え方は、正しいと思いますよ。我々は正に、遺体を解剖することで、死の真相や事件の真実を見つけるべく努力しているのですからね」


 小野田は肘をついた両手を組んで、その上にあごを乗せて、じっと佐木を見つめていた。その視線を風のように受け流して、佐木はうっとりと薔薇の写真を手に取り眺めている。


「俺は知りたいんですよ、犯罪者の心理が。こうやって写真を見ながらね、花師は最初に何処から切ったんだろう、何を考えながら花を挿したんだろう、きっとこうに違いないああに違いないって、色々想像するんですよ。俺ならこうやる、とかね。まあ、その具体的な妄想内容は控えますけど、だんだん俺が切り刻んでいるような気になれるんですよねぇ。で、花師の嗜虐心を味見しているうちに、俺の中で殺人鬼がここにいるぞって嗤う瞬間があって……。そういう時は物凄く、気持ちイイです」


 佐木は写真から小野田に視線を移し、ニタっと笑った。


「先生、この感覚、分かります?」

「佐木くん、君は少し感情移入し過ぎなのではありませんか? あまり思いつめるのは精神衛生上良くないですよ」

「犯罪者に感情移入するものではないと?」

「違います。君は被害者にこそ感情移入していませんか? だから犯罪者の心理を知りたがる」

「…………」


 佐木は目を瞬いて、小野田を見つめ返した。そのような指摘をされるとは思ってもみなかった。

 今回の事件だけでなく、遺体の写真を収集し眺めるのはいつだって加害者になり切るためだった。

 犯行時の加害者の心理を類推し思考を重ねるうちに、佐木は彼の心を少しづつ理解するようになる。そして彼の衝動、欲望、怒り、憎しみ、快楽などが、まるで自分のもののように思えることさえあった。寸分違わず彼になり切れた、自分が殺したのだと感じられた瞬間は、吐き気をもよおすと同時に昂ぶりが振り切れてしまうほどの愉悦を覚える。

 彼に近づきすぎて、同じ闇に染まっても構わない。魂を売り渡してもいい。

 もしも、彼の全てを知ることができたなら、今どこで何をしているか、これから何をするか予測できるようになるだろう。そうすれば、彼を見つけることができる。追いつめることができるのだから。

 そして、殺すことができる。

 そう、佐木は殺人者を殺したいと願っていた。


 今、見つけたいのは花師だ。会って話して、殺したい。

 彼がやったように、生け花にしてやりたい。自己顕示欲が強く美意識の高い花師の為にどんな花を選ぼうかと、今からウキウキするほどに、殺したい。

 彼が作ったどの作品よりも、もっと美しく豪華な大作にしてあげよう。そうすればきっと彼も喜ぶはずだ。他の誰にも作れない世界で唯一の美術品に生まれ変われるのだから。

 想像しただけで、身体が震える程興奮してしまう。既に脳内では、花師の生け花がいくつも転がっている。彼のためにも、早くそれを現実のものしてあげたかった。

 佐木が遺体写真を収集するのは、様々な殺人犯殺しの妄想を楽しみ、いずれ本命殺しを完遂させる日のための資料にするためだった。


「先生にはそのように見えますか」

「そうとしか思えないのですが……。佐木くん、早まっちゃいけませんよ。君の正義は歪んでいるようですから」


 小野田の顔は柔らかでその声音は穏やかだったが、言葉は厳しかった。そして、佐木を見透かすように核心をついていた。


「先生、歪んでいても正義は正義でしょうか」


 佐木の質問に、小野田はため息をついて軽く天井を見上げた。


「正義の定義はとても難しいですね。私が言っておいてなんですが」

「確かに。……まあ、俺は正義を守ろうなんて気はないですよ。自分が正しいとも思わないですし。ただね、因に対する果は絶対必要だと思ってるんです。それだけです」


 因果応報は世の摂理だと思っている。善因には善果、悪因には悪果が還るべきだ。

 佐木に世の事柄の善悪を判断する権利など、当然ながら無い。ましてや、報いを与えるなど傲慢の極みと言える。

 それでも、佐木は個人的な感情で他者を断罪したいと思っている。それが故に、己に悪果が還るならば、それはそれで構わない。

 正義なんて、時代と場所が移ればいかようにも変わる。一人の人間の中でさえも揺らぐ。そんな不確かなものを信じはしないし、振りかざすつもりも無かった。

 正義でなくていい。お前は悪だと糾弾したいならすればいい。天が因果応報を現わすまで待ってはいられないのだ。

 傲慢の大罪なら喜んで犯す。


「因果応報ですか。君はとても怒っているんですね」


 小野田は、静かに佐木を見つめている。諭すでもなく、憐れむでもなく、ただ興味深く観察しているようだった。

 佐木は、もう前置きなどせずに聞きたいことは全部聞いてしまおうと思った。


「6年程前の通り魔事件のことを覚えてらっしゃいますか? クリスマス前、駅前のショッピングモールで13人が殺傷された事件です」

「ああ、覚えているよ。被害者の司法解剖をしたのは私ですからね。あの事件が何か?」

「おい……」


 近藤が佐木の肩を掴んで首を横に振る。もう止めろと、呆れた顔をしていた。

 しかし、佐木はニヘラと笑って、近藤の手を振り払った。


「あの事件に関して、どうしても知りたいことがありまして」

「私に答えられることなのかね?」

「先生でないと答えられないです」


 佐木はじっと小野田の目を見つめていた。

 そんな佐木と、止めろと制止しする近藤を見て、小野田は小さくあっと呟いた。そして、頷いたのだった。


「今、思い出しましたよ、佐木涼介巡査でしたね……」

「もうとっくに巡査ではありませんけどね。先生、三枝詩織の死因を教えて下さい」

「三枝詩織さんの……。いいでしょう、ちょっと待っててくれるかな。資料を持ってくるよ」

「いえ、小野田先生、もういいんです。これ以上お手間を取らせるわけには。あれはもう終わった事件で、今更……」


 立ち上がった小野田を近藤が止めたが、さらに佐木がそれを遮る。


「先輩、終わってないです。何も終わっちゃいないんです」


 近藤を睨みつける佐木の拳が微かに震えていた。

 暗く淀んだ目に見据えられて、近藤はそれ以上言葉を発することこはできなくなった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る