第3話 元刑事佐木涼介
特に動きのないまま、昼の1時を過ぎていた。
動きがないとは、花師と思われる投稿がないという意味であって、スレッド自体は大騒ぎが続いているし、ネットもメディアも事件の話題ばかりだ。
件の無残な遺体や天雲の画像は削除されたが、時すでに遅しで拡散されている。そして、天雲の名前もネットで暗躍する特定班によって、周知されてしまっていた。
佐木は伸びをし、のろりと立ち上がるとキッチンへと向かった。ガリガリに痩せ細った身体を思い切り猫背にして、足を引きずって歩く。幽霊かゾンビのようだ。
キッチンはきれいに整理されていた。レンジ、トースター、炊飯器と一通りの調理家電がそろっている。食洗器もあった。食器棚には皿や茶わんが並び、ペアのマグカップはきちんと柄が見えるように納められていた。
シンクは水垢もなく乾燥してステンレスが美しく輝いている。ガスコンロにも一切汚れがなく五徳の上のやかんもピカピカだ。
佐木が綺麗好きで整理整頓が得意なわけではない。単に1度も使っていないだけだ。調理家電のプラグもコンセントには差しこまれていなかった。
キッチンの隅にはゴミ袋が大量に積まれていた。2リットルのミネラルウーターのペットボトルの袋、エナジードリンクの缶の袋、黄色く平たい小箱ばかりの袋と、ゴミは3種類しかなかったが。
冷蔵庫をあけると、エナジードリンクとショートブレッドタイプの栄養調整食品がずらりと並んでいた。下段にドリンク、上段に黄色い小箱だ。扉ポケットにはミネラルウォーターが入っている。それ以外のものは無い。
佐木は、それぞれ一つづつ手に取り、再びパソコンの前に戻った。そして棒状の栄養調整食品をちびちびと食べながら、掲示板の監視を続けるのだった。
ショートブレッドに口の中の水分を持っていかれて喉に詰まり、ゲホゲホとせき込んだ。慌ててペットボトルの水をあおったが、2リットルボトルが重くて勢い余り顔に少々水を被ってしまった。
「うぐぅ。筋肉落ちたな……」
床に放り投げている洋服やタオルの中から、1番上にあったもので濡れた顔を拭いた。ついでに、ビショビショになったTシャツとスウェットのズボンを脱ぐと、まとめて青い大きな袋の中に投げ込んだ。クリーニング店の宅配サービスの集荷用の袋だ。週に2度、洗濯物の受け渡しに来てくれる。佐木は洗濯機も所有していたが、これも電気は通っていないのだった。
新しい服に着替えたところで、スマホが鳴った。飛びつき、表示された近藤という文字を見てニヤリと笑った。
「見つけましたか?」
『天雲愛美、保護したぞ』
「結構、時間かかりましたね」
『なんだと! 超スピードじゃねえか!』
「彼女、秋葉原のネカフェに居なかったんですか? どこ探し回ってたんですか? SNS見なかったんですか? そのくらい推測できないんですか?」
『ちっ、そのネットカフェに居たさ。保護して、署で話聞いて、それから電話してんだよ、こっちは!』
「ナイスです。お疲れさまでした。花師より先に手を打てて良かったです」
『まあな』
溜息まじりの近藤の声を聞いて、佐木は満足気に笑った。これで最初の一手はこちらが取った。さあ、奴はどう出るかと、さらに微笑む。
『それで、どっからのネタだったんだよ。捜査員もかなり怪しんでたぞ』
「簡単です。ネットですよ。花師を神と崇拝するファンサイトがあって、そこの掲示板に書き込みがあったんですよ。会員がたまたま天雲を知ってたんです」
『それはダークウェブってやつか?』
「いえいえ、そこまでアングラじゃないです。会員制のサイトなんで、検索エンジンにひっかからないってだけで。まあ、URLとか詳しくはメールで」
『ああ、そうだな。お前さんにはとっくりと事情聴取させてもらおうか』
「は?」
『言っとくが、花師サイドの情報をいち早く掴めるってことは、一味なんじゃないかって疑いを持たれても仕方ないんだよ』
「ふぁい?!」
思わず変な声が出た。
「お、俺が情報流したのに? そのおかげで保護できたのに?」
『おお、お前のおかげさ。やっとやる気になってくれて嬉しいよ」
「面白くなってきたんで、つい首突っ込んじまっただけです。ああ、こんなことなら放っておけばよかった! 俺は出頭なんて絶対しませんからね! 聴取になんか応じませんよ!」
『慌てるなって。出頭要請なんか出てねえよ。俺がこれからそっちに行くから、じっくり話そうや』
そう言って電話は切れた。
警察に呼び出されたのかと早合点して腹を立てたが、近藤が自分の意見を聞きにくるだけのことかと脱力した。
警察はかつての古巣だが、今はできれば近寄りたくない。何と言っても、自分は警察の顔に泥を塗った前科者だ。そして、この痩せこけた骸骨のような風貌の上に、危ない画像収集の趣味。怪しさ満点すぎて、何も無くても取り調べで絞られそうだ。
冗談じゃない、と佐木は苦笑するのだった。
*
「よお、ザギ。相変わらずガリッガリだな」
「おかげさまで、まだ生きてますよ」
ドアを開けると、四角く厳つい顔の大男が立っていた。近藤だ。容赦なくバシバシと肩を叩いてくるものだから、佐木はふらふらと倒れそうになる。
そして予想に反して、近藤は一人ではなかった。後ろに小さな人影が見えるのだ。佐木との間に大柄な近藤が立ちふさがっているため、その人物は隙間から覗くようにして身分証を差し出し会釈した。
「鳥居と申します」
女性警官だった。ショートカットのキリリとした若い女性だ。
佐木は会釈を返しながらも、近藤に対しては露骨に顔をしかめた。女性警官を連れてくるなら先に言っておいてほしかった。近藤だけならパソコンがある寝室に通せばいいが、散らかったあの部屋に女性を通すのは少し抵抗があった。
近藤は、不満げな佐木を鼻で笑っていた。
「この春からコンビを組んでるんだ」
「そうすか。ども、佐木です。このデカ物カチコチ頭の近藤先輩のお守するのは大変でしょ? 同情します」
佐木は二人を招き入れた。リビングの全く使っていないテーブルを指さして座るように勧めたが、近藤は佐木の前を素通りして勝手知ったる顔で寝室にズカズカと入っていく。
「ネットで情報拾ったんだろ? だったらパソコンがねえと話が始まらないだろうが。鳥居、いいからこっち来い」
「はい……」
この野郎とムっとする佐木の横を、小柄な体を更に小さくしながら鳥居が通っていった。
「デリカシー無いっすね、先輩。いつもそうやってプライベートを踏み荒らしていく」
「おう、それが俺らの商売なんだよ」
ブツブツとこぼしながら佐木は窓を開け、部屋にこもったタバコの匂いを追い出し、散らかったバスタオルや服を、取りあえず青いランドリーバッグにぎゅうぎゅうに詰め込んだ。そしてパソコンの前に3人並んで座るのだった。真ん中左よりに佐木、その右に近藤、左に鳥居だ。近藤の図体がでかいせいで少し窮屈だった。
佐木はラストサンクチュアリのことを一通り話した。見つけた経緯や、すぐに入会したこと、今朝deathなる人物が天雲愛美の名を出したことも、包み隠さずにだ。
鳥居は熱心にメモをとっていた。そして、ハイと手を上げた。
「捜査の一環で、今後、佐木さんのIDでそのサイトにログインしてもいいですか?」
「どうぞ」
「ご協力ありがとうございます。それから、佐木さんがこのdeathではないと証明できますか?」
佐木は目を瞬いた。自演を疑われているらしい。
近藤は庇う様子も見せず、ニヤニヤしながら佐木のエナジードリンクを勝手に飲み始めた。
「あー、えっとね、それはdeathが別人であることが証明されない限り、俺じゃないことは証明できないんじゃない? でも、警察がdeathの情報開示を求めればはっきりすることだよね。で、それは鳥居さんたちの仕事」
「……そうですね。でも、佐木さんはそちら方面がお得意だと聞きましたので」
鳥居はあごでパソコンを示した。
2つのモニターには、某巨大掲示板とラストサンクチュアリの掲示板が表示されている。
「偽装がないとは言い切れません。調べてみろと挑発するところが、さらに怪しいとも言えます」
「ええぇ、それ、もしかして心証の問題じゃない? 決めつけはいけないと思うよ、そりゃ俺は見た目ヤバいけど」
「確かにヤバいですが、それは問題ではありません。実は、近藤さんがあなたとの電話で、不正アクセスしている、と言っていたのを聞いてしまいました。協力したら見逃すとか。心証だけで言っているのではありません」
ブッと隣で近藤がドリンクを噴いた。パソコンにかけなかったのはいいが、床を汚されてしまった。
佐木は、開いた口が塞がらない。怪しんでいる捜査員がいると言っていたが、それは鳥居のことで、しかもその原因を作ったのは近藤だったのかと、ギロリと睨むのだった。
鳥居は饒舌に喋り続けた。
「近藤さん、この人は本当に信用できるのですか? 騙されていませんか? 近藤さん、私は貴方を信用したいんです。この人は何処に不正アクセスしてたんですか? かなり親しそうですが、近藤さんも協力してたのですか? どうか、後ろ暗いことは何もない、花師とは何も関係と言って下さい!」
最後は嘆願だった。
もしも佐木が花師と繋がっていて、近藤がそれを見逃すと言っているのだとしたら大問題だ、と鳥居はどうやら最悪な想像をしてるらしい。
近藤は苦笑しながら頭を掻いた。
「いや、本当に大丈夫なんだって。俺まで疑ってるのか? 言い忘れてたけど、コイツは元警官でな、俺の後輩だったんだ。ある事件に巻き込まれて、辞めちまったけどな」
「警官!? この顔で!?」
「当時は普通に人間の顔してたさ」
「おいおい」
近藤ならまだしも、初対面の鳥居にまで散々な言われようだなと、佐木は苦笑する。
近藤は、佐木の不正アクセスとは、とある有料サイトをタダ見してた件で、それを見逃すから花師の捜査に知恵を貸してくれと頼んだのだと、でたらめの説明をした。大事の前の小事だ目を瞑ってくれ、と鳥居に手を合わせた。さすがに警察のコンピュータに侵入していたことは言えなかった。
警官時代は勤勉で真面目なやつだったのだと、近藤はベラベラと話し続ける。交番勤務から刑事課に配属された1年目で、検挙数ナンバーワンになった優秀な警官なのだと誇張するので、佐木はそれは言い過ぎだと首を横に振る。いくらなんでも話を盛り過ぎていた。
そして、佐木のおかげで次のターゲットと思われる天雲を保護できたのだと強調して、近藤は鳥居を宥めたのだった。
鳥居は、まだ疑惑の目で佐木を見ていたが、近藤の弁舌の甲斐あって取りあえずは矛を収めてくれた。
「来る途中でも少し話したが、このザギって男は、犯罪者、特に殺人犯に強い関心があって、色々と嗅ぎまわって……いや情報収集や分析して、犯人像を推理し特定するのが得意なんだ。過去にも事件を解決に導いてくれたこともある」
「単なる趣味の一部です」
「こいつは不気味な顔してるが、一応人間なんで優しくしてやってくれ」
「先輩、フォローしたいのかディスりたいのかどっちですか」
まったくとぼやきながら佐木は、今の会話の間に流れていった巨大掲示板の書き込みを流し読む。話を本題に戻さねばならない。
「うん、戯言ばっかりですね」
「お前、朝からずっとそれ見張ってるのか?」
「そうですよ。地道でしょ。警官時代の習性ですかね。それから、ターゲット確保の知らせの後に、試しに書き込みしてみましたけど、今のところ反応はないです」
ざっとスクロールし、1時間ほど前に戻す。
近藤と鳥居が勢いよくモニターを覗き込んできたので、佐木は後ろにはじき出されてしまう。仰け反りながら指さしたのは、極短い文章だった。
名前:zagi 20**/05/29 16:27:34 ID**********
次はどんな花を生ける?
「ちょっと突いてみました」
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