第5話 すべてのことはイエスに働いて益となる(ローマ8:28)

「ドスン」

 何か大きな物体が、私の身体に覆いかぶさり、それと同時に目が覚めた。

「信田、テメエ、ナメた真似しやがって」

 すさまじい怒声が耳に鳴り響いた。

 なんとそこには、信田が隣で毛布にグルグル巻きにされていたのだ。ラッキー、これで私の役目は終わり。信田が捕まえられたんだものね。

「オイ、二人共ここで消えてもらうぞ。どうせ二人共、世間から蔑まれ、身寄りもないような奴なんだ。ここで死んだって誰も気づきはしないよ」

 エッ何?! 消えてもらうということは死んでもらうということか。なんで私が、おまえらみたいな世間のダニに殺されなきゃならないんだ。私と信田が世間のクズなら、おまえらは世間を食いつぶすゴキブリ以上のダニじゃないか。

 確かに身寄りはないし、私が死んで気付く人といえば、店の人くらいだ。

 でも私はお前らアウトローとは違い、人を恐喝したりせずに、逆に男を楽しませて生きて来たんだぞ。お前ら風情に批判されてたまるか。

 心の中で毒づきながらも、何も言えない自分が悔しい。 

 でも、ここから抜け出してみせるぞ。

「ウエーッ」

 なんと信田がグルグル巻きにされていた毛布をはぎ取り、チンピラの一人を蹴り上げた。

 おとなしく寝ているとばかり思っていた信田が急に起き上がったものだから、度肝を抜かれ、チンピラはもんどり返った。

 今だ、逃げようと思ってたところに、恰幅のいい六十歳くらいの和服姿の初老の男が現れた。

「おい、富山。何をなめたことをしてるんだ」

「アッ、組長」

「信田は俺から破門状を渡し、組とは無関係な人間だ。お前らが手出しする筋合いじゃあない」

 富山と呼ばれたインテリヤクザはうつむいた。

「さあ、信田、ここから即効出て行くんだ。もう二度と姿を現すんじゃないぞ」

 さぁすが組長、貫禄充分。あいつは部屋から出て行った。私も後についていった。

「ごめんよ、きららさん。俺のためにこんな目に合わせて」

「ホントにもう、あんたと知り合ったのが運のツキよ。あんたどうして、私の前に現れたの」

「これって、偶然じゃないと思うんです。俺は、きららさんをイエス様によって救い出すための試練だと思うんです」

「もうイエス様、イエス様ってあんたはイエスきちがいなの?」

「はい。私はイエス様により、ヤクザから抜け出し、イエスと共に新しい人生を歩もうとするイエス奴隷です。本当は俺、昨日店に行ったのですが、珍しくきららさんが無断欠勤だと聞いて、俺、一瞬ヤバいと思った。絶対あいつらの仕業だ。そう思って奴らの隠れ家へ行ったんだ。そしたら、案の定この通りだった」

「じゃあ、私を助けにきてくれたったわけ?!」

「そのつもりが、さっきのザマだ」

 信田は照れくさそうに頭をかいた。ふと、私は久しぶりに心の奥から温かいジワリと、にじみでるようなものを感じた。

 小学生の頃、階段から落ちて地を流したとき、抱き起してくれた担任の教師に対してのようなフワフワした感情が私を包み込むようだった。


 アイツは私にヘルスの仕事を卒業するよう、執拗に勧めた。でも卒業するのはもう少しあとになってから。今のうちに金を稼いどかなきゃね。それでなくとも、この業界にもすでに不況の波が押し寄せてきている。

 客の顔が聖徳太子一万円札に見えるのよ。なんで今更辞められようか。

 でもその前に、私自身が性病になり、性病の毒が頭に回るかもしれないという恐怖感が忍び寄ってきた。そうなると、体力も無くなり、頭もおかしくなってしまい、社会生活不適格者になってしまう。

 しかし、あまり金ばかり言っていると、ソープへ転落なんてこともありうるかもね。クラブホステス時代でも、客の売掛金が払えなくて、ソープに転落してきた子を見て来たものね。

 そんな不安感からか、気が付けばアイツとカフェ友達になっていた。いや、アイツと呼ぶのは今や失礼だよね。信田さんのいうイエス様とやらに、ちょっぴりすがってみたい気持ちになったんだ。

 ある日、信田はグレーのスーツに身を包み、私のマンションを訪れた。

「今日は改まって話したいことがあるんだ。俺、神学校に通うことになった。もちろん、念願の牧師になるためだ。そこで今、俺はきららさんにプロポーズする。俺と一緒になってくれないか」

 ナッナッナント、それひょっとして結婚のこと?! バーカ冗談きついよ。ヘルス嬢にプロポーズする男がどこの世界にいるの?!

 私はワザと空耳のフリをした。

「エッ、今なんて言った? 一緒になりたいってどういうことなの?!」

「もちろん、結婚に決まってるじゃないか。神学校に行けばもう会えなくなる。神学校は恋愛禁止なんだ。だから今のうちに、プロポーズしておきたい」

「でも私とあんたじゃ、住む世界が違うんじゃない。私、クリスチャンじゃないし」

「クリスチャンになってくれ。頼む」

 信田は頭を下げた。

「今更私なんかがどうやって? なったって意味ないよ」

「人間、自分の力で変わろうと思って変われるものじゃない。イエス様によって変えて頂くしかないんだ。ただ信じるだけでいい。心の中にイエス様を受け入れる。それだけで自分が変わり、生活も変えられていくんだ」

「じゃあ、私は今の仕事を辞めて何をすればいいの? 私には性病の毒はまわっていないけど、もう昼間の仕事なんて不可能よ」

「イエス様の御心に不可能はないんだ。イエス様は十字架の上で死と絶望から蘇られ、天へと帰っていったお方だ。そのイエス様にお祈りして変えて頂くんだ。俺だって現に変わっただろう」

「ああ、イエス様とやら、私をクリスチャンとして信田さんと同じ、堅気にして下さい。ただし、イエス様の御心でしたらの話ですが。アーメン、これでOK?」

「うん、これで充分。イエス様の名によって祈ります。アーメン」


 半年後、私は今まで貯めた少しの貯金で、小さな弁当屋を開業している。といっても、販売するときは風俗時代の顔がさしたら非常に困るので、マスクと手袋をして接客。一応、家庭料理は得意なので、それに一工夫加えて、創作料理と称して彩りのいいお惣菜を販売している。

 例えば、マグロの切り落としを茹でで、トッピングに玉ねぎのみじん切り、ニンジンの細切り、ソースはマヨネーズ、バルサミコ、すりゴマ、醤油を加えるだけで、味の濃いマグロの煮つけよりも、イタリア製カルパッチョ風になる。

 場所は駅から十分離れたところの、公団住宅の一階を借りた。

 信田さんとは、籍だけ入れていわゆる別居結婚。でも、神学校から毎日、ラインはもらう。もちろん即、返すことなど不可能だけどね。

 やっぱり、私は客商売が向いてるのかなあ。お客さんの笑顔とありがとうという言葉を聞くと、今度はもっと違うお惣菜を発明しようかなんてガゼン張り切っちゃうものね。

 まあ、今までの仕事と違う点があるとすれば、今までの客は男ばっかりだった。でも、今は男二割、女八割で自転車の後ろに子供を乗せた主婦層が圧倒的。

 昔は子供連れの主婦を見るたび、コンプレックスを感じたりしたものだったけど、もう今は私も立派な人妻だものね。

 こういうのって幸せっていうのかなあ。やはり、イエス様のお陰としかいいようがない。イエス様は私を生かして下さったんだ。

 ついさっき、テレビを見ていたら、ヘルス嬢が未婚の母になっちゃったという特集を組んでいた。原因は相手の男の母親が結婚に反対したからだってさ。なんでもヘルス嬢は私と同い年。相手の男は三十四歳。ところが、その男はなんと母親のことをママって呼ぶんだって。こりゃ典型的なマザコンだよ。

 また2013年頃、朝の番組で、忍び寄ってくる不況の折りで、離婚したシングルマザーの最後のセーフティネットは、寮完備のファッションヘルスという特集が出たとき、女性ゲストは一斉に絶句してシーンと静まり返り、到底、朝の番組とは思えないほど暗く沈んだムードに包まれていた。

 たまりかねて刑事役のベテラン俳優が口火を切った。

『その前にまず、声をあげてほしい』

 するとたちまち反論FAXが寄せられた。

 『私は親戚中に声をあげたが、誰もなにもしてくれなかった』

 そりゃそうだろう。親戚がシングルマザーの面倒をみてくれる余裕ないわね。

 また反対に『私は、つい三年前までナンバー1のヘルス嬢でした。私は若く、アイドル並みの容姿があったから、客のうけがよかったようなものの、年をとればとるほど条件が悪くなるので、そうならないうちにスッパリと辞めました』

 じゃあ、私もgood timingで辞めてラッキーだったかな。

 あっいけない。お客さん待たせてた。大急ぎでレジまで向かう。

「ありがとうございました。また明日、お待ちしています」


 なんと信田がテレビ出演することになったらしい。信田は、元アウトロー同志を集めた伝道集団ミッションGODの一員になっていた。

 当然のことだけど、元アウトローと堅気の間には大きな隔たりがあるので、いくら隠してもすぐバレてしまうので、始めから元アウトローと名乗り、それを承知の上でつきあって頂くしかない。

 元アウトローが、堅気の人と同じ生活をするには、想像を絶するくらいの努力が必要であるが、イエス様と共になら努力を続けていけそうである。

 しかし、イエスが十字架にかかって罪の身代わりをして下さったんだから、過去の罪は消えないが、イエスと共にいるという新しい姿に復活することができたんだという意味で、ミッションGODが成立された。

 それを提案してくれた元格闘技選手だった牧師自身も、昔はアウトローとまではいかなかったものの、名の知れた不良だったという。

 クリスチャンというのは、元々品行方正で聖人君子がなるもの。そう誤解している人が多いなかで、人間は皆、エゴイズムという罪をもっているので、状況が悪くなれば罪を犯す危険性をもっている。人間の良心や自制心は、ブレーキになってくれるケースもあるが、そうでないケースがあるから、犯罪を犯すんだ。

 罪を犯すから罪人ではなく、罪人だから罪を犯すんだ。

 また、人間同士が裏切る理由は、人は自分の心と身体はひとつじゃなく、心で良心や自制心があっても体が裏切ってしまうからだという。

「常に目を覚ましていなさい。心は燃えていても、肉体は弱いのである」(聖書)

 それをわかってもらうために、あえて刺青をさらけ出し、伝道することにしたという。


 今日はユーチューバーが私の店まで取材に来る。もちろん最初はお断りしたが、ヘルス嬢という名称よりも元水商売ということで、取材を引き受けた。

 これで全国の風俗嬢が、イエス様を信じて将来に希望をもってくれたらと思い、素性がバレるのを承知で取材を引き受けることを一大決心した。

「隠していたものはあらわにされるためにあるのであり、覆いをかけられたものは、取り外されるためにあるのである」(聖書)

 イエス様、ありがとう。

「私は主にふれられて 新しく変えられた

 イエスの名を褒め歌おう 私は変えられた

 イエスの恵み イエスの愛 なにものにも代えられぬ

 主を信じて 主に仕えよう 新しい心で

 イエスの名を褒め歌おう 私は変えられた」

 信田さんがよく口ずさんでいたゴスペルが、思わず口をついて出た。


 END(完結)

続編として

https://kakuyomu.jp/my/works/16816700426097348242

 

 



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☆ 元風俗嬢とアウトローの十字架 すどう零 @kisamatuma

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