第4話 イエスと共に人生やり直し

 翌日、店の前になんとアイツが立っていた。当然ながら、私は完全無視を決め込んだ。

「待てえ、信田。お前ケジメもなしに、組を抜けられると思うのか?!」

 二人のチンピラ風が、アイツを追いかけている真っ最中。

「でも、俺は組からちゃんと破門状ももらったんだ」

「そんなもの、建前や。お前は組のことを余りにも知り過ぎた。もう死ぬまでつきまっとったる」

 とっさに私は前に出た。

「やめてよ。この人のうちの店の用心棒よ。みかじめ料も支払っているの。店長呼ぶわよ」

「信田、あとから話つけような。まあ、指の一本でも詰めてもらうことになるがな」

 二人のチンピラ風は去って行った。

「ありがとう。お陰で命拾いしたよ。きららさん」

「親切でやった、あなたを助けるためなんて、思わないでね。私はただ、営業妨害してほしくなかっただけ。まあ、店へ入りなさいよ。ただし客としてだけどね」

 信田と二人でドアを開けると、すかさず黒服が声をかけてきた。

「ウワッきららさん。同伴出勤ですね。これで成績アップですよ」

 私はちょっぴり誇らしく胸をそらせた。クラブホステス時代も、よく同伴出勤したものな。

 職業上、私たちは売春していると間違われることが多い。しかし、私は客から本番行為なしでも、満足させる自信は十分ある。

 事実、先月ナンバー1の子も、本番しているなんて、陰口を叩く奴がいたそうだ。女同志のねたみって怖いわねえ。まあそんな噂を流す奴は、二十代後半の引退予備軍だけどね。

 私はいつものように、シャワールームへと入っていった。相変わらず、あいつ―信田は、突っ立ったままである。

「俺はあなたを救い出したいんです。俺は、曲りなりにもヤクザから抜けられた。そして、イエス様に向かって生きようとしてる。あんたもこの世界から、抜け出してイエス様に向かって生きてほしいんだ」

「えっ、イエス様ってキリストのこと? キリストは救い主だという意味だというのは聞いたことあるけど。でもイエス様とやらを信じたら、天から金が降ってくるのかよ。いい年したオッサンが夢かお伽話みたいなことばかり言って。頭がおかしいんじゃない? それとも苦しいときの神頼みを地でいってるのかな?」

 その途端、信田はひざまずいて祈り出した。

「天にまします我らの父よ。どうかこのきららさんを救い出したまえ。アーメン」

「今日は雨じゃなくて晴れてるわよ。アーメンソーメン冷ソーメン」

 私は一応は茶化してみたけど、でも内心は嬉しかった。だって私の為に祈ってくれる人なんて初めてなんだもの。私は、信田に心のドアの隙間を開く決心をした。


 今夜は、ちょっと外で飲みたい気分だな。といってもノンアルだけど、今日は特別。ちょっと気取ってワインでも飲みたい気分だけど、身体がむくんだりするので、相変わらずノンアルコールで我慢。

 この仕事していると、あちこち身体にガタがくるので、酒は控えている。

 なんだか、心の奥にぽっと灯りがついたようで、私のガチガチに凍り付いてた心を癒してくれるような気がした。

 まあ、水商売ではナンバー3に入っていても、お金で心の隙間までは埋めてはうれない。

 心の隙間は、ノンアルで満たすしかない。私は今日初めて女としてよりも、人間として認められた気がした。

 店の近くじゃまずいから、店から二十分ほど離れた繁華街の裏通りに足を延ばした。最近できたばかりの昼間はセルフサービスのカフェで、夜は居酒屋に商売替えする女性向きの洒落た店がある。

 私は、ノンアルとさんまの塩焼きを注文した。なぜかいつもより気分爽快。

家では魚は煮る程度だったが、この焼さんまは大根おろしも添えてあって、ふうわりとした風味が嬉しい。調子に乗って、二杯目のノンアルをお代わりしてしまった。


 フワ―ッ いい気分だなあ。何年ぶりだろうなあ。こんな気分。帰ったらすぐ寝ちゃおうっと。

 マフラーを首に巻いているとはいえ、外に出ると北風が身に染みる。どうしてこんんなに世間の風は冷たいんだろう。肉体が冷えると、やはり精神まで影響する。私って、不運な女なのかなあ。どうして他の子と違うんだろう。他人の苦労までみんな引き受けなければならないんだろう。なーんて、悲観的になっちゃうことがある。

 そもそもこの世界に入ったとき、面接で店長にダメ押しされちゃった。

「この仕事、好きでやってる人は一人もいない。賛成する親の顔が見たいくらい。

 じゃあ、なぜこの仕事をしているのかというと、お金の為ですよ。ただ、この仕事は一日の売上は自分の身体で稼ぐということですね。店が資本じゃなくて、自分が資本。だから、誇りが持てますよ」

 もう一人の店長代理が言った。

「この仕事のメリットは人に見られるという緊張感から、自然とスタイルが良くなり、服装のセンスも垢ぬけてきますよ。それに、人間に幅と丸味がでてきますよ。これ、人生で重要なことですよ。まあこの業界、私ら男の方がアホらしいですよ。同性にヘイコラヘイコラしなきゃならないから、その点、この仕事は女性上位ですよ」

 はいはい、そんなことぐらい、今更言われなくてもわかってますよ。

 ところがそのとき、鼻の奥を棒で突っ込まれたような強烈な刺激が走った。途端に目の前がクラクラとして、倒れこんでしまった。

 何時間たっただろうか。急に揺り起こされた。

 なんと目の前に刃渡り五十㎝の日本刀が突きつけられている。

「オイッ信田はどうした。今どこにいる?! 居場所を教えないなら殺すぞ」

 中年男が日本刀を突きつけながら、ドスのきいた声で私にすごみをきかせてきた。ガタガタと歯がかみ合わないほどの恐怖を感じた。その男は、一見インテリ風でイタリヤ製のスーツを着て、アルマーニのネクタイを締めている。こういうのを、インテリヤクザというんだろう。

「し、し、知りません」

 ドモってしまって言葉にならない。

 インテリヤクザは日本刀をさやにしまい、急に優し気に笑みを浮かべた。

「驚かせてすまなかったな。まあ、今のはジョークジョーク。見世物だと思ってくれよ。なあお嬢さん、俺たちは信田って男を捜してるんだ。携帯の番号でもいいから、教えてほしいんだ」

 飴とムチとはこのことだな。最初は脅し、なだめすかして、相手を思うままに操ろうとする。

「私、信田さんのことは本当に何も知らないんです。会ったのは店に来た二回だけで、名前すらも知らなかったんです」

「つべこべ抜かすな」

「ウソつきあがると、承知しねえぞ」

 インテリヤクザの子分らしき、店の前で信田に因縁つけてきたチンピラが次々と脅し文句を吐く。

 まあ、職業上、こういった奴らとも接してきた体験からいうと、こういう雑魚は、相手にしちゃダメだ。こいつらはただ、上の言いなりになって動く兵隊でしかない。相手にするのは、インテリヤクザだけで充分だ。

「私、本当に何も知らないんです」

「フーン、あんたの言葉を信じることにするか。しかしだ、このままでは帰れねえぜ。あんたは信田の大切な人質として取っておくんだ」

 じゃあ、私は信田が来るまで監禁されてろっていうのか。

 ああ、神様、イエス様とやら助けて下さい。苦しいときの神頼みが口をついて出た。

 途端に目の前がもうろうとして、仰向けのまま、眠り込んでしまった。

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