第3話 アウトローを卒業したあとは

「おはようございます。」

 いつものように、入口のドアを開けた途端、黒服に呼ばれた。

「きららさん。昨日ご指名のお客さん。十分も前から待ってますよ」

「はーい」

 元気よく返事をしたものの、一瞬疑惑が走った。

 昨日の男だ。あいつは自らアウトローと名乗ってたっけ。多分、私のヒモになろうって魂胆ね。それとも、私の貯金が目当て?

 でもそうなっても慌てちゃダメ。私はいつも目隠しをされたまま、綱渡りを渡ってきたような人生をおくってきたんだからね。

「昨日はどうも」

「またなんで来たの?」

「きららさんに会いたくて、一目惚れしちゃったのかな」

 ますます怪しいぞ。コイツ、詐欺師に違いない。でもこういうシチュエーションにおいても、つくり笑顔で応対するしかない。

「さあ、どうぞ」

「あっ俺、昨日と同じように話をするだけでいいです」

 部屋を開けた途端、男は小さな紙包みを取り出した。

「あっ、これは俺がつくった特製おにぎり。結構、自信作なんですよ」

「じゃあ、一口だけ頂くわ」

 男は直径5㎝くらいの俵型のおにぎりを、しきりに勧めている。

 一口サイズのおにぎりをほおばる。中には、味わったこともない具が入っている。

「おいしい。この具、なにからつくってるの?」

「これはね、カニフレークに玉ねぎのみじん切りに、明太子スパゲッティーソースの素をフライパンで炒めたおかず。ちょっとピリッとしてるけど、いけるだろ」

「へえ、こういう特技もあるんだ」

 こういうカリポリ、コリコリした食感が私の好み。仕事柄、バナナやフランクフルトの棒状のものは、男性自身を連想させそうでいやだし、カルピスや生クリームなど目をそむけたくなる。

 水商売の世界に入ってから、友達なんてつくらなかった私が、なぜかこの男に心を許しそうになる。危険状態。

「俺ね、昨日、親分に頼んでアウトローを辞めてきたんだ。そして、教会で洗礼を受けたんだ。イエス様はね、俺たち、人間の罪の身代わりになって十字架にかかって死んで下さったんですよ。俺はね、死が怖かった。アウトローの世界って、明日は同じ組の仲間から殺されてもおかしくない世界なんですよ。俺みたいな人間、死んだらどうせ地獄だ。

 でも俺はアウトローしかしたことないので、明日からどうやって生きていったらいいのかわからない。今更、堅気の世界からは受け入れてもらえないだろう」

「そんなあなたが、よくアウトローを辞められたわね」

「俺は必死で三日間、神に祈ったんだ。

『イエス様、あなたは俺の罪(エゴイズム)の身代わりになり、十字架にかかって死んで下さいました。しかし、三日目に死から蘇られ、天国へと帰っていったが、今でも生きてらっしゃるんです。どうか、こんな俺を救って下さい』ってね。そしたら祈りは聞かれたんだよ」

「親分も許してくれたってわけね」

「その通りや。俺が牧師になりたいというと驚きながらも、ケジメなしで辞めさせてくれたんだ。お前は死にもの狂いでアウトローをやってきた。だからその意気で、これからは死にもの狂いで堅気に這い上がれ」

「でも、刺青をいれた牧師なんて聞いたことないよ」

「心にイエス様がいれば、そんなことは大した問題じゃないよ。肉体より心の問題だ。反省は一人でもできるが、更生は一人ではできない。でも、俺にはイエス様が四六時中、防犯カメラ以上に俺を見守ってくれてるんだ」

「じゃあ、こんな私でもイエス様とやらを信じるだけで、救われるのかな?」

「もちろんだよ」

「おとぎ話みたいな夢物語ね。ウソばっかり、もうそんなキレイごとの嘘は、たくさんよ。さあ、出て行って。二度と私の前に顔を見せないで」

 私はだまされる一歩手前に、防御策を張った。すっかり感情的になってしまったが、あんなこと、つくり話に決まってる。上辺だけのキレイごとは、クラブホステス時代でたくさんよ。

 私はもう、この世界にどっぷりと浸かって一年。もう風俗の垢がこびりついているわ。今更どうしようもないのよ。血で汚れた赤いパンツはいくら、漂白剤で二晩つけおきしても、元の白には戻らないのよ。

 ふとセンチメンタル気分になり、涙がでそうになる。今日は久しぶりに家で一人、酒でも飲もうっと。


 午前零時。私はタクシーを待った。

 いくら、ジャケットを着て突き刺すような寒さである。私は普段は、ゴムの緩んだ下着しか着ないことにしている。ウエストのゴム跡がついたら困るからだ。こんなに風が冷たいと、肌が青ざめていくのがわかる。

 いよいよタクシーにありつける。とそのとき、横入りする奴がいた。

 五十歳くらいの中年おばさん。酒乱なんだろうか、わけのわからないことをわめき、一人で怒りを振りまいている。

「ワリャー、ぶっ殺したろか。邪魔だなあ、どけどけ」

「おばさんこそ、退くべきや」

ひとりの中年サラリーマン風が仲介に入った。

「ジャカマシイ」

その女は、サラリーマン風に飛び掛かっていった。サラリーマン風は身をかわした。

「あっ、まさか。あれはもしかして?」

 私の育ての親?!

 そう、私は生後まもなく海の親と死に別れ、親戚に引き取られた。

 私の義母にあたる人は、夫婦仲が悪く、それを酒で紛らわしていた。私の義父は当時、工場を経営していて羽振りがよかったが、外に愛人を次から次へとつくり、家に帰ってくるのは週に一度あればいい方だった。

 義母は、布団の下に包丁を隠し持っておくほど、義父に恨みを抱いていた。

「今度、浮気したら刺し違えて死んでやる」

というのが口癖だった。この頃から、既にキッチンドリンカーだった義母は、酒に酔い潰れ、ときどきわけのわからない恨み言をわめいたり、私が食事をするとき、上目遣いにじろりじろり観察し「箸の持ち方が違う。ポリポリ音させて食べるな」など、病的な潔癖症ともいえるいちゃもんをつけては、浮気された憂さを晴らしていた。

 私は小学校の頃から家出と万引き、シンナーを繰り返していた。そして、私がシンナーでラリッっていたとき、思いがけず義父が帰ってきて、あの忌まわしい事件が起こったのだ。


 あのときのことは、私の脳裏から片時も離れたことはない。

 意識がもうろうとしている私の身体に、とうもろこし状の固いものがくっついている。とたんに激しい痛みが股間に走った。それが何を意味するのか知ったのは、三年後の中学卒業のときだった。

 私の学校での成績は、中の下だった。勉強はそう好きではなかったが、それは恥をかきたくないという一心で、テスト前だけ一夜漬けした結果である。

 中学時代は自閉症と間違えられるくらいの、おとなしい方だった。ヤンキーグループなどとは縁がなく、ひたする地味な子で通っていた。この頃から、私には空想癖があった。今でいう瞑想だろうか。

 突然、自分で鳥になり、空を飛び回る気分になったり、海の底をダイビングしているように目の前に魚や、極彩色の熱帯魚が見えてきたりもした。

 今から思えばそうやって無意識のうちに、あの忌まわしい事件を頭から追い出そうとしていたのかもしれない。

 さっきの割り込みおばさんは、かつての義母とそっくりだった。まるで生き写しかと、目を疑ったほどだ。

 一応は(?!)私を食べさせてくれた義父夫婦は、二年前前亡くなったという訃報を当時のマンションの管理人から聞いて初めて知った。

 なんでも義父の方は、バブルが弾け、会社が倒産し、多額の負債を抱え、金策に走り回っていたところ、交通事故にあい即死。そして義母の方も、十日後、アルコール依存による肝臓病で亡くなった。

 二人共、哀れな人生だったなあと思う。でも私は、そんなにヤワじゃないのよ。









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