昔話ーある亡国の話ー

雨野榴

昔話ーある亡国の話ー

 はるか昔、まだ世界の本当の広さを誰も知らなかったくらい昔のこと、あるところに大きな王国がありました。その国は穏やかな海に接していて緑も豊かな、人々の活気が夜もなお絶えない美しい国でした。

 この国の王とその家族は神でした。いえ、この国だけではありません。その頃、どの国の王族も神とされていて、王は神々のあるじとしてそれぞれの国を治めていたのです。

 彼らは常に正しく人よりも偉かったので、彼らが決定を間違えることはありませんでしたし、彼らが望むことはすべて叶いました。一つだけ叶わないとすれば、それは他の国の神、つまり王たちと戦うときです。王たちはしばしば、自分が本当の神々のあるじだと示すために戦いました。そのときばかりは、神と神のぶつかり合いなので思い通りにはなりません。負けてしまった国は、相手の王こそが本当の神々のあるじであることを認めて、相手の言うことに従いました。この国もまた、そうして他の神を打ち負かして大きくなった国なのでした。

 王は国のあちこちに城を持っていて、ふた月ごとに移動して暮らしていました。そうすることで、広い国内のすみずみにまで神の素晴らしさを示していたのです。そのおかげで、この国は一丸となって神である王をたたえていました。王が正しく国を治めていると疑わなかったので、この国は争いがとても少なく、毎日が平和でした。

 さて、ある町に王の一行が訪れた時のことです。王はいつものように、城の手伝いをする人手を出すよう町に言いました。

 そうして集まった人々のなかに、とても美しい娘がいました。その娘が王に食事を運んできた時、王はそのあまりの美しさに心を奪われました。娘は町一番の美人として有名でしたが、王もまた娘の美しさのとりことなったのです。

 王はある時、娘に言いました。

「どうかわたしの妻になってくれ」

それに対して、娘は、

「私のような町娘が、どうして王様の妃に、神の一族になれましょう。どうか一時の気の迷いとお気づきください」

と言って断りました。

 しかし王は諦めませんでした。

「分かった。ならば、お前の前ではわたしはただの人になろう。だから、わたしといる時はお前もただの人でいてよい」

 王のすがるような言葉に、娘はついに折れました。こうして、娘は王の妃となり、娘の家族は王族として神の仲間入りをしたのです。娘の父は、まもなく大臣として王を支えるようになりました。王の一行は各地を巡りながら娘とその家族を人々に紹介し、人々は彼らを新たな神として迎えました。

 今や妃となった娘は、ことあるごとに王に言いました。

「どうか、あの約束をお忘れにならないで」

そう言われるたび、王はしっかりうなずいて答えました。

「もちろんだとも」

 王は約束通り、妃と二人きりの時はただの人として彼女に接し、彼女をただの人として扱いました。二人が共にいる時は、互いに冗談を言ったり、一緒に本を読んだりして楽しく過ごしました。時にはつまらないことでけんかをしましたが、どちらが正しいくてどちらが間違っているのかが分からないため、しばしば長引きました。そんな時、不機嫌そうな王の様子を見て、城の人々は「きっと何か恐ろしいことが起こるに違いない。王は神として何かをうれいているのだ」と噂して怖がりました。しかし本当は、妃が彼の好きな菓子を勝手に食べたとか、彼の歌う歌を下手だと言ったとか、そんな理由でした。




 こうした日々がしばらく続ていた頃のことです。王は、妃が時々浮かない顔をしているのに気が付きました。

「いったいどうしたんだ?暗い顔をして」

 王が聞くと、妃は王の目を見上げて言いました。

「私はあなたを心の底から愛しています。それなのに、人々の前に立つあなたはなんだか別人のようで、そんな時に疑問が浮かぶのです。神であるあなたを、私は愛しているのだろうか、と」

 戸惑う王に、妃は続けました。

「私が愛しているとはっきり言えるのは、人であるあなた。神であるあなたを、私は愛していないのかもしれない」

 妃はそれきり黙って、涙をこぼしています。王は、そんな妃の肩を優しく抱いてやるだけでした。

 それ以来、王は神として人々の前に立つたびに、そんな自分を見て悲しんでいる妃の姿を思い浮かべるようになりました。神への供え物である食べ物を受け取る時や、人々に神の言葉を伝えるため演説をする時、ふと、妃はどうしているだろうと思うのです。

 王は沈んだ妃の顔を何度も見ているうちに、やがてこう自分に問いかけるようになりました。

「わたしが神としてあるのは、はたして正しいことなのだろうか?」

その疑問は、日常のさまざまな場面で王に違和感を持たせました。そしてついに、王は食事もろくにのどを通らないほどに思い悩んで、体を壊してしまいました。

 ベッドに横たわる王の顔を、妃は不安そうにのぞき込んでいます。妃は王の手を握って言いました。

「私があんなことを言ったばかりに、あなたを苦しませてしまいました。どうかもう、私の言葉は忘れてください」

すっかりやつれた王は、妃の手を握り返してこう言います。

「いいや、お前の言葉のせいではない。わたしは気づいたのだ。わたしは神にふさわしくないのだと。なぜなら、人としてお前と共にいるとき、わたしは神であるときよりも満ち足りているのだから。本当に神ならば、このようなことはないはずだ」

 それから、王はじっと天井を見つめて言いました。

「わたしは、神をやめようと思う」

 妃は驚いて、王に考えを変えてもらおうと必死に説得しました。しかし王の決心は固く、少しして起き上がれるようになると一枚の紙にある文章を書きました。それは、王が神をやめて人になることを伝える演説の原稿でした。王はその演説を、王国で一番大きな町を訪れたときに行うと妃に言いました。妃は、その言葉に黙ってうなずきました。

 季節は巡って、王の一行はついに国で一番大きな町へやって来ました。城へ入っていく王をひと目見ようと、王の行列の両側には大きな人だかりができました。口々に神である王をたたえる人々に笑いかけながら、王は明日のことを考えていました。明日こそ、王があの演説を行うと決めていた日だったのです。

 その夜のことです。城では歓迎のパーティーが開かれ、多くの貴族がそれに参加していました。テーブルはごちそうで埋め尽くされ、人々は互いに王の偉大さをささやき合います。王はそんな光景を、いつくしむようなまなざしで眺めていました。

 パーティーの終わりが近くなってきた頃、デザートを食べていた妃は、隣の王の様子がおかしいことに気づきました。王は真っ青な顔で、汗を顔いっぱいに浮かべています。そして、妃が背中をさすろうと手を伸ばした時、小さくうめいて前のめりに倒れました。

 パーティー会場に妃の悲鳴が響きました。笑いあって食事をしていた人々は、驚いて声の方を見ました。そしてすぐに王の様子に気が付くと、叫び声をあげて手にしていた料理を放り出しました。混乱に包まれたパーティー会場の中心で、妃は王の体に抱き着いて大声で泣いています。妃の腕の中で、王はゆっくりと冷たくなっていきました。

 ぐったりしたまま自分の部屋に運ばれた妃は、妃の父である大臣から王が亡くなったことを伝えられました。枕に顔を押し付け声を殺して泣く妃に、大臣はこう言います。

「王は料理に毒を入れられて死んだが、毒を入れた人物はもう捕らえた。だから、もう安心していい」

それから大臣は、その人物を明日処刑するのでそれに来るよう妃に言うと部屋を出ていきました。

 大臣がいなくなると、妃はようやく顔を上げました。その顔は、怒りと憎しみで歪んでいました。妃の頭には、ひとつの思い出が浮かんでいました。

 それは、王が神をやめると妃に言った数日後のことでした。言いようのない罪の意識に悩まされていた妃は、ある夜、城の廊下で偶然に会った父の大臣にそのことを話したのです。大臣は驚き、ついで顔つきを厳しくしました。王の意思は変えられそうもなく、こうなっては受け入れるしかないと妃が言うと、大臣はうなるように言いました。

「何としてでも、王にはご決意をひるがえしてもらわねば。神でなければ、この国を治められない」

それから眉間のしわを深くすると、大臣は妃におやすみを言って去っていきました。

 その記憶を思い出していた妃は、王の死についてある確信を持っていました。王は、父とその仲間に殺されたに違いない。そして関係のない人を罪びととして処刑し、自分が王の席に座る気でいるのだと。

 妃の怒りと憎しみは、父である大臣、そして彼に王のことを教えてしまった自分自身に対してのものでした。妃は涙を乱暴にぬぐうと、王がよく座っていた椅子に腰を下ろしました。それから、ずきずきと痛む心を押し込めて、胸に抱いたひとつの考えに身を沈めました。その考えで自分をいっぱいにすることが、妃にとっての復讐でありつぐないだったのです。




 王が亡くなった翌日、王が死に、妃の父が新しい王になったと人々に知らされました。それによると、王は病気で死んだことになっていました。人々は前の王の急な死に驚きましたが、新しい王が力強い演説を行うと、その姿に喜んで尊敬の言葉を投げかけました。王が新しくなったという知らせはあっという間に国中を駆け巡り、そのさらに翌日には多くの人が王を見るためにその町を訪れました。新しい王は、彼らの期待にこたえるためにパレードを開くことにしました。

 パレードの日、町にはすべての国民がいるのではと思うほどに人が集まりました。人々が胸躍らせるなか、パレードの始まりを告げる太鼓の音が響きました。足並みのそろった勇ましい兵隊や、宝石で飾られたおみこしに乗った王族が城の門から現れると、集まった人々は手を叩いて歓声を上げました。

 やがて、新しい王が乗るおみこしが現れました。そのかたわらには、妻と娘が座っています。ごうかな服に身を包んだ王の堂々とした姿を、人々は口々にほめたたえました。

「新しい王様万歳!」

「新しい神々のあるじ万歳!」

人々は王に夢中になっていて、その妻と娘がどこか浮かない顔をしているのに気づいたのはほんの一部の人だけでした。

 パレードが盛り上がりを見せるなか、道端で王のおみこしを眺めていた少年があるものを見つけました。くしゃくしゃに丸められた紙が足もとに転がってきたのです。それを開くと、いくつかの文字が書いてありました。ところが少年は字が読めなかったので、近くにいた男に尋ねました。

「ねえ、おじさん。これにはなんて書いてあるの?」

「なんだい坊や。ああ、これは……おや?」

首をかしげる男に、少年が聞きます。

「どうしたの?そこになにが書いてあるの?」

 男は、困ったような顔をして少年を見下ろしました。

「前の王様は、毒で殺されたと書いてある。病気だと聞いていたのに……」

男はそう言うと、もう一度紙に書いてあることをじっくり読み直しています。少年は少しぽかんとしていましたが、やがて

「神様でも、毒で死んじゃうんだね」

と言いました。

 それを聞いた周りの人が、何ごとかと集まってきました。男から説明された人々は、「毒で殺されたというのは本当なのか?」「病気なら、病気の神がもたらすものだが……」「そういえば、貴族のなにがし様が、死ぬ直前の王様が毒でも飲んだようだったと言っていたぞ」「だとすれば、確かに神が毒で死んだことになる」「人をむしばむ毒で神が死ぬ。そんなことが……?」と、すぐに議論をはじめました。平和なこの国では、議論も大事な楽しみだったのです。

 パレードが大成功のうちに終わり、人々が酒場でその素晴らしさを話して盛り上がるなか、少年の周りにいた人々はまだ議論を続けていました。ああでもない、こうでもないとうなりあっていましたが、ついに、彼らはひとつの結論を出しました。

「王は、神ではなかったのではないか?」

 翌日、新たな王は玉座に座って嬉しそうに笑っていました。傷つき悲しんでいた前の王の妃である娘が、今朝は明るく元気になっていたからです。妃ではなくなった娘は、昔のように働きたいと言いました。娘が神であることは変わらないので娘の頼みを王は嫌がりましたが、娘が望むのならと妻が認め、王も嬉しそうな娘を見て許してやりました。

 そんな王のもとに、家臣の一人が慌てて走って来ました。

「王様、大変です!一部の国民が、王は神ではないという話をしているのです」

家臣の言葉を聞いて王は一瞬顔を真っ青にしましたが、すぐにそれを真っ赤に変えて怒鳴りました。

「そいつらを捕まえて、牢につないでしまえ」

 兵士はすぐに、王の命令のとおりに動きました。王が神であることを疑う話をしていた人々は、兵士に捕まって城の牢屋に入れられてしまいました。彼らはその考えを捨てるようにおどされましたが、数人はがんとしてそれを断りました。そんな人々は決まって、「王が神ならば、人間におびやかされることはないはずだ。こうして私たちを捕えているのが、王が神でない何よりの証拠だ」と言って譲りませんでした。

 彼らがあまりにかたくななので、王はついにしびれを切らして兵士に命じました。

「奴らを処刑しろ。奴らは、神を冒とくする者だ」

 兵士はやはり、王の命令のとおりに動きました。最後まで意見を変えなかった人々は、みんなその日のうちに殺されてしまったのです。

 この知らせはすぐに町に広まり、やがて別の町へと伝わっていきました。王が神でないかもしれないこと、それを唱えた人々が殺されたことは、多くの国民に疑いと怒りを植え付けました。そして、処刑したよりはるかに多くの人々が死んだ彼らの考えを支持して、王への批判を始めたのです。王はただちにそんな人々を捕えるよう命じましたが、あまりに数が多くて兵士も牢屋も足りませんでした。

 王の一行が、移った先の町でかつてのように迎えられることはなくなりました。王国はいまや、王を神と認める人とそうでない人に分かれていました。彼らは互いに相手を警戒していて、ぶつかり合いを避けるために王を歓迎することも控えてしまったのです。そうなってからの王は演説に立つと、自分を神と認める者をほめて祝福する一方で、そうでない者をひどく非難するようになりました。それにつれて、二つの考えを持つ人々による争いもしばしば起こるようになりました。そこにはもう、以前の平和なおもかげはありませんでした。

 月日は過ぎて、王の一行は最も大きな町に帰ってきました。彼らが静かに城に入っていくのを、町の人々は戸口や窓からさまざまな思いで眺めていました。

 その翌朝、王やその家族が死んでしまったという知らせが町を駆け巡りました。人々の混乱はすさまじく、人々は詳しい話をどうにかして聞こうと城の前に押し寄せました。王に姿を見せてもらおうと祈る人、どうして死んだのかその理由を問う人、いろいろな人が大声を上げており、そのうねりは地面を揺らすほどでした。

 やがて、城のバルコニーに一つの人影が立ちました。それは、前の王の妃、今の王の娘でした。それに人々が気づいてざわめきが治まるまで、娘は目を閉じて待っていました。ようやく城の前が沈黙に包まれると、娘はゆっくりと目を開いて言葉を発しました。

「王と王族は死にました。私が毒で殺しました」

 娘は手を掲げて、再びざわめき始めた人々を静かにさせました。そしてふところから一枚の紙を取り出すと、一度胸に抱きしめてから読み上げました。それは、娘の夫が遺した演説の原稿でした。

 こうして、この王国からは最後の神がいなくなりました。




 その日以来、この国は人の国になりました。この国では、すべての人が平等で、それぞれが別のことを正しいと信じていました。そのため何が本当に正しいのか分からず、人々は話し合って正しいことを決めました。

 人を裁くのも人でした。人を殺したこと、国を混乱させたことのために、娘は人として裁かれ、処刑されました。娘の死体をどうするかで長い時間が議論に費やされましたが、結局死体は焼かれて、その灰は川にまかれました。多くの人々はそれを神と王からの決別として喜んで受け入れましたが、わずかな人々は気の毒に思い、川の水を汲んで前の王の墓にかけました。

 この国の決定は、もはや神による決定ではありませんでした。人が決めるので、当然間違えることもありました。そのたびに人々は間違いを責め、決定を下した責任者に罰を与えました。それでも人々は、人が国を治めることにこだわりました。

 しかし、人が治めるようになってからそう長くないうちに、この国は決定を間違えました。隣の国が攻めてきて、それに対しこの国は戦うことを選んだのです。戦争は数日で終わり、この国は滅びました。国民のうち王を神と認めない人々は、奴隷として隣の国に連れて行かれました。王が神であることを認める人々は、元から住んでいた場所で新しい王を信じながら暮らしました。こうして、人が治める国は元通りに神の国になったのです。

 これは、はるか昔、まだ多くの人が絶対の正義があると信じていたくらい昔の話です。そんなに昔のことを、どうして知っているのかですって?それは、あの国があった場所から記録が見つかったからです。それも、たくさん。

 あの国の人々が、人の治める国が滅んでもなお、あの国のことを誇らしげに書き残しているのです。

 


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