第8話 歴然としてるよねえ
導入研修最終日。もうすっかり慣れた訓練場で模擬戦闘が行われる。対人で術式を使うのは初めてなので、訓練場は興奮気味な空気に包まれていた。私の隣でも、真弓が「緊張するよねぇー」とウキウキしている。
演練と異なり、研修生同士の模擬戦闘なので、使用できる術式は八級までだ。八級までであれば、周囲に影響を及ぼすほどの攻撃力はないらしい。加えて、腕輪以外による術式の使用は禁止。したがって、周囲に及ぶ危険は低いとして、訓練場の真横で見学をする。
「千璃は誰とだっけ?」
「
模擬戦闘は、同性で似たような体格同士の者が選ばれる。実際、佐郷さんは、私と似たような中肉中背のタイプだ。背は私より高いけど。
「模擬戦闘では、腕輪以外の精霊の力の使用は禁止する。使用する武器は木刀のみ。模擬戦闘に入る前に、首からこれを下げてもらう」
教官が掲げた紐には、五センチ程度の小瓶が括りつけられていた、中にインクが入っていた。大方、小瓶が割れたら負けなのだろうと想像していると「相手の小瓶をいちはやく割ったほうの勝ちだ。ただし、方法は問わない。木刀で直接壊されずとも、体勢を崩した結果小瓶が割れた場合であっても敗北として処理する」と説明が補足された。
「模擬戦闘は事前に配布した表のとおりに行う。一番訓練場は、三千風藍吏と
三千風藍吏が模擬戦闘の一人目に選ばれることは、半ば分かりきっていたことだった。あの五家の人間なのだ、術式と同じで、他の研修生の見本となるような模擬戦闘を見せてくれるだろう──そんな教官の期待が聞こえてくるようだった。
とはいえ、複数の訓練が並行して行われるので、全員が三千風藍吏の訓練を見学できるわけではない。私と真弓の模擬戦闘は後半なので、見学の時間がありそうだ。
「相手の虎谷? って知ってる?」
「確か、
真弓は五家や分家のことに詳しい。何も知らない私は「へーえ」と頷く。まあ、模擬戦闘とはいえ、あの三千風藍吏の相手をするのだ。優秀な家には違いない。
訓練場に降りた二人は、教官から小瓶つきの紐と木刀とを渡され、首から小瓶をぶら下げた。虎谷は三千風藍吏より少し背が高かったけれど、おおむね似たような背格好だった。その二人が、木刀の間合いの範囲内で向かい合う、
模擬戦闘開始の合図は、演練と同じくブザーの音だった。とはいえ、迫力まで演練と同じとはいかないだろうな。
が、三千風藍吏の木刀は、早速虎谷の木刀を弾き飛ばした。
見ていた私達は静まり返り、唖然として木刀が落ちた場所を見つめる。いや、誰よりも唖然としたのは虎谷本人に違いない。虎谷は木刀を構えた姿勢のまま硬直し、一方で、木刀は虎谷の背後に綺麗に刺さっているのだから。
「拾えば? 拾うまで何もしないし」
そのセリフのとおり、三千風藍吏は木刀を肩に担いで隙を作ってみせる。嫌なヤツだ。
挑発じみたその態度に、虎谷は舌打ちまじりで「Liz pendlum,」間合いをとりながら詠唱を始めるけれど、三千風藍吏も手を伸ばし、術式の準備をする。
「Foup coudre!」
「Seller veivetre.」
電撃が三千風藍吏に向けて放たれるも、光の壁がそれを弾く。虎谷はその隙に木刀を拾った。一応、形だけは攻撃の合間に武器を取り返したことになった。
「いやあ、歴然としてるよねえ」
真弓の呟きは、研修生の心を代弁していた。
「虎谷くんって、今年の入隊試験は次席らしいよ」
「え、じゃあ私達の中であれに次いで優秀といえば虎谷ってこと?」
「あれって」不躾にも三千風藍吏のことをあれ呼ばわりしたことに真弓は笑う。「まあ、そういうこと。だから、相手が三千風くんじゃなきゃもっと活躍してたんじゃないかなあ。教官も残酷なことするよね……って言いたいけど、虎谷くんがあれなら、三千風くんの相手なんて誰にも務まらないだろうし。仕方ないのかなあ」
木刀での
「……虎谷、術式の残り回数、数えてるのかな」
「うーん、余裕はなさそうだよね。三千風くんが相手じゃなきゃ数えてるだろうけど、この状態だと……」
腕輪のエネルギーが切れると、腕輪の色は白から灰色に変わる。外野から見れば、虎谷の腕輪の色が切れたのはすぐに分かった。ただ、三千風藍吏の腕輪の色は白いままだ。
「……なんでアイツの腕輪はガス欠にならないんだろ」
虎谷が術式を無駄撃ちしているとはいえ、それを防ぐために三千風藍吏も術式を放っていた。つまり、術式の発動回数は同じ、ガス欠になるタイミングは同じであるはずだ。
「いやー、それが三千風くんの凄いとこだと思うよ」
「……自分の力は使ってないよね、さすがに?」
「うん、模擬戦闘だし、ルールは守ってると思う。多分、術式を使うときに、使う力の量を調整してるんじゃないかな」
真弓の言っていることは、少し考えると理解できた。腕輪には一定量の精霊の力が込められていて、その一定量を越す術式の発動はできない。だから術式の等級ごとに発動できる回数が違う。逆に言えば、一度の術式ごとに使う量を少なく調整すれば、威力は小さくても術式を使える回数は増える。
「みんな同じ腕輪を貸与されてるのに、人によって発動した術式の威力が違ってたじゃん? あれを見て、三千風くんは気付いたんじゃないかな」
「腕輪を使った術式の威力に上限はあっても下限はないってことか……」
「うん。必ずしも最大限の力を発揮できるとは限らない。だから虎谷くんの術式の威力を見ながら、使うエネルギーを調整してたんじゃないかな。多分ね」
「……理論上は理解できるけど、そんなことできるのはあれだけなんじゃ」
「私もそう思うよ」
虎谷はそこまで考える余裕がなかったらしい。三千風藍吏が既定回数以上の術式を発動しにかかり、唖然として隙だらけの状態で突っ込んだところを、あっさりと小瓶を割られてしまった。そして結局、三千風藍吏は汗一つかかず、息一つ乱さず。
研修生の中に流れるのは「やっぱりね」「仕方ない」なんて空気だった。私と真弓は顔を見合わせて肩を竦める。こればっかりは、虎谷が不運だとしか言いようがなかった。
差が歴然としていたのはその二人の模擬戦闘だけで、他の模擬戦闘はそんなに力の差はなかった。やがて真弓も三番訓練場に呼ばれ、私も二番訓練場に呼ばれた。
「玉頼さんだっけ。よろしく」
訓練場の真ん中で向かい合うと、佐郷さんから手を差し出された。模擬戦闘前に握手をする儀礼なんてないけれど、言われたらやるしかない。
佐郷さんは、導入研修中の術式訓練で一緒だった。訓練校出身で、年は十八歳。もう精霊の力は目覚めていると聞いた。入隊試験に合格した後は実際に術式の訓練を積んでいたとも。とはいえ、模擬戦闘で使える精霊の力は、腕輪に限定されている。条件は同じ。
右手で木刀を構えて、腰を落とす。訓練中に何度か使用したとはいえ、木刀は見た目よりもずしりと重たい。腕の力は、平均的な女性よりはあると自負している。ただ、木刀を振り回すとなると話は違ってくるし、背の高い佐郷さんのほうが有利だ。と考えると、術式を中心に攻めたほうがいいけど……。
ごちゃごちゃ考えているうちに「ビーッ」と訓練開始の合図が鳴り、早速佐郷さんが木刀を振り上げた。
でも、振り上げるとそのぶん隙ができる。それに、実戦ならともかく、小瓶を破壊されたら負けの模擬戦闘で、正面から振り下ろされる木刀は打撃さえ防げれば問題はない。
先手必勝、後退することはせずに、木刀で攻撃を受け流した。
「Liz pendlum, et shinebeen penexis le hanut fore tonneresprit.」
そのまま十級・雷の術式を詠唱。威力は小さいけれど、小瓶を割るには十分だ。
雷属性の術式は攻撃が速い。加えてこの距離となれば一発で小瓶を割ることもできそうだけれど、さすがにフル詠唱は長すぎる。佐郷さんが、慌てつつも、私から距離をとるには十分の時間があった。同じように、佐郷さんが「Liz pendlum……」と詠唱を始めても、岩陰に隠れるだけの十分な時間がある。カンッと岩に小石が当たる音を聞けば、どうやら十級・地属性の術式であることも分かった。
そっか、術式訓練のときには気にしたことがなかったけど、どんなに短くても詠唱の時間って結構邪魔なんだ……。茂之先輩達の演練を見ていたときには「詠唱の省除なんてできるはずが」なんて思っていたけれど、実戦では省除できないとろくに使えない。でも省除できるのは才能がある人に限られるなんて、とんだ無理ゲーだ。
岩陰から、自分がいる場所とは反対側に向かって術式を詠唱する。地面から浮き上がった小石が、佐郷さんの(いるであろう方向に)一直線に飛んで行き、佐郷さんが動く音に耳を澄ませながら、岩陰から飛び出した。気づいた佐郷さんが私に左手を向け、術式を発動するために詠唱を始める。
模擬戦闘で使える術式は八級まで。術式訓練で見ていたところによれば、佐郷さんが使えた術式は九級まで。十級の術式で使えていたのは地、水の二属性で、九級の術式で使えていたのは地属性のみ。となれば、正面で一番狙いやすいタイミングなら、九級の地属性を発動する可能性が高い。更に、当然のことながら、佐郷さんは詠唱の省除はできない。
となれば、詠唱が終わる時点は読めるし、そのギリギリまでは近づける。佐郷さんの口の動きも見ながら、耳で「fore」まで聞いた。十級の詠唱だ、ということは水か地。両方とも大したスピードは出ない。だったら、躱せる。木刀を地面に突いた。
「eaulesprit!」
木刀の柄に手をついて地面を蹴り上げ、逆立ちの要領で水鉄砲を躱した。見学している研修生の中から「すげ」「猿かよ」と歓声のような罵倒のようなものが聞こえたけれど気にしない。
「Liz pendlum, et shinebeen……」
木刀を掴みなおしながら、詠唱を口にしながら着地する。茂之先輩の演練で妃水隊員がしていたように、術式を発動するときに決まったポーズなんてない。狙いを定めるのは、最後でいい。
唖然としている佐郷さんとの距離を詰めながら木刀を振りかぶる。木刀で防がれるのは予想の範囲内だ。ガァンッと木刀がぶつかりあう音が響く間、佐郷さんは腕に目一杯の力を込めるあまり、唇を強く引き結んでいる。それじゃ、術式は詠唱できない。
「penexis le hanut,」
私が小声で詠唱を続けていることに、佐郷さんが気付いたときにはもう遅い。首からぶら下がった紐をひっつかんだ。
「fore tonneresprit.」
ブチッと紐が切れ、佐郷さんの小瓶は、紐ごと私の手の中。それを木刀で刺すように地面に叩きつけ、割った。
ピーッ、と教官が笛を吹き「よくやったな、玉頼」と声をかけてくれる。内心ガッツポーズをしたいのを堪えながら「光栄です」と頭を下げた。佐郷さんは悔しそうに拳を握りしめていたので、開始時とは異なり握手はしてもらえないようだ。
ユースティア戦史 宵 @Anecdote810
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