第7話 可愛くて仕方ないんだよ

 お陰で、導入研修最終日前日、夜、食堂でとんかつにフォークを突き刺しながら「あの三千風家のクソボンボンめ……!」と毒づく羽目になった。向かいに座る真弓がニマニマと笑う。


「口悪いなあ」

「だって今日の訓練のあの態度……八級なら五属性くらい余裕で全部発動できますけどってあの態度!」

「すごいよねえ。十八歳超えてる組は、十八歳超えた時点でこっそり訓練は積んでたんだろうけど、それでも五家とかでない限り、普通はできないもん。それを五属性全部、しかも八級まで使えるんだから、三千風くんはすごいよ」

「すごいから腹立つ」

「素直なのか素直じゃないのか、どっちなのかな、千璃ちゃんは」


 導入研修は明日が最終日。今日までの術式訓練の成果を生かし、模擬戦闘が行われる。三千風藍吏と当たれば顔面を殴ってやりたいと思っていたけれど、男女が当たることはないらしいので、残念ながらその機会はない。


「ていうか、術式訓練初日だって……腕輪使えって言われたんだから腕輪使えばいいのに、腕輪使わないでも術式使えますって言わんばかりのあの態度! 教官も注意すればいいのに!」

「まー、将来の幹部候補様だし。教官もエリートコースだけど、目をかけてるから甘くなっちゃうんじゃない? それに、腕輪は私達十八歳未満でも術式を使えるようにするための配慮で、三千風くんは精霊の力も制御できてるから暴発もしない。ルールの趣旨には反してないというか、例外として認めていいって思ったんじゃないかな」

「ぐっ……正論……!」

「うーん、正論じゃないんだけどね」



 もちもちとハンバーグを食べる姿からはあまり判別がつかないけれど、真弓は基本的に冷静で論理的だ。だから三千風藍吏のことも「好きとか嫌いとかはないかな。あんまり関わりなさそうだし。戦線ではぜひ私より前に立ってほしいけど」という程度。

 私も、あんなにあからさまに嫌な態度を取られなければ、こんな風に苛立つこともないんだけどな……。三千風藍吏の真意は謎だ。


「でも……三千風藍吏、本当にエリートなんだね。私なんか的に当てるので精一杯なのに……。ていうか、的に当てるだけなら、今日になればできるようになった人も増えたけど、十級で的を真っ二つにできたのなんて三千風藍吏だけだったじゃん」


 十八歳以上の人はいくらでもいるし、代々ユースティア隊員を輩出している家の出身だとかで術式を使い慣れている人もいた。だから、九級術式に挑戦できる人はそんなに珍しくなかった。ただ、十級という等級の縛りがあると、出せる威力はたかが知れている。「まーねえ」と真弓も頷いた。


「そう考えると、教官も『逸材だ!』って思って何も言わなかったのかもね」

「腹立たしいけど事実……選ばれしエリートめ……!」

「うーん、三千風くんと千璃ちゃんはー、日に日に険悪になっていくよね」

「……だって向こうが何かと喧嘩売ってくるんだもん」

「二日目の訓練は、三千風くん的には売られた喧嘩を買っただけだと思うんだけど」私は売ったつもりなんてなかったよ! と反論するけれど、真弓は無視して「初日ってか、開始式? のときから、結構突っかかってきてたわけでしょ」と続ける。

「うん……でも、あれは私が茂之先輩と話してたからだから。五家からしたら、茂之先輩って目の上のたんこぶ的な存在なのかも」

「どうなんだろうね。三千風くん、あんまり人と話してるの見ないから、いまいちどういう人なのか分かんないっていうか。お高く留まってるって思う人もいるのかもしれないけど」


 だから三千風藍吏自身が茂之先輩をどう思ってるのかもわからない……。五家を鼻にかけるようなタイプなら、まさしく茂之先輩のことは鬱陶しく思うかもしれないけれど、三千風藍吏自身の言動からはそういった様子はうかがえない。むしろ教官や研修生が、五家を理由に一方的に三千風に目をかけ、特別扱いしているだけだ。

 そんな三千風藍吏との険悪ムードなせいで、研修の滑り出しは好調とは言い難い。真弓も札幌本部派遣なだけいいけど、三千風藍吏とはこれからも半年間一緒に研修を受けるのだと考えると憂鬱になる。


「あーあ……」

「まあまあ、たった半年だと思えば」

「結構長いよ、半年! しかも誕生日もまだ三ヶ月も先だし! これじゃいつまでも三千風藍吏に追いつけない……」

「ぎょく、らい、ちゃん」


 文字通り頭を抱えていると、語尾に音符でもついていそうな明るい声と共に、誰かが私の隣に食事のプレートを置いた。見あげると、綾崎先輩がにっこりと笑う。


「お疲れ様。隣空いてるよね?」

「お疲れ様です! 茂之先輩はどこでしょう!」

「うーん、今日も清々しいくらい茂之だけだね。声かけてるのは俺なんだけどね」


 言いながら綾崎先輩は真弓に目を向けた。真弓は慌ててお箸を置いて「お疲れ様です」と敬礼したけれど「俺にはそんなちゃんとしなくていいよ。綾崎です、よろしく」「待朋まちとも真弓といいます。よろしくお願いします」「待朋ちゃんね、はいはい」と軽く手を振りながら席に着く。


「綾崎先輩……茂之先輩は……?」

「そんなご主人様探す犬みたいな。茂之は立川駐在。開始式で言ってたじゃん? といっても、まだ帰ってこないってことは長引いてるみたいだいね」

「え、でも綾崎先輩は帰ってきて……」

「俺、迎撃要請出てないよ?」


 いただきまーす、と綾崎先輩はお箸に手を伸ばす。真弓と同じハンバーグ定食だった。


「そうだったんですか。あの場にいらっしゃったんで、てっきり綾崎先輩もかと」

「ああ、俺、Jじゃないよ? 一昨年からTに転向したのよ」


 言いながら、綾崎先輩は肩章を引っ張った。茂之先輩がつけている肩章は金色の枠で囲まれていたけれど、綾崎先輩の肩章は焦げ茶色の枠で囲まれている。それは技術部を示す色で、目を丸くしてしまった。演練の日は、綾崎先輩は上着を脱いでいたから気が付かなかった。


「……なんで」

「Tに転向したかって? そんな顔しなさんな、別にデリケートな話じゃないよ」


 ハンバーグを口に運びながら、綾崎先輩は苦笑した。


「普通に、ヤになったんだよ。鬼人と戦い続けるのがね」

「……それはどうして」

「むしろ、俺のほうが玉頼ちゃんに聞きたいね。あんな目に遭いながら、どうしてユースティアになろうなんて思えたんだ?」


 まるでその日をさかのぼるように、綾崎先輩は卓上カレンダーを見た。次いで、私の経験が秘密ではないことを確認するように、真弓にも視線を移す。


「あの日も話したけど、俺だったら絶対トラウマになってる。……友達が殺されたんだろ。目の前で。玉頼ちゃんが助かったのは、偶然、俺達の班に茂之がいたからだ」

「……はい。不幸中の幸いだった、と茂之先輩からは聞いています」


 その話は、茂之先輩自身から聞いたことがあった。

『普通、中学生が帰る時間の地下通路に、鬼人なんて出ないからね。鬼人が出るのは、夜がけてからだから』

『俺がたまたま、悲鳴に気付いたからよかった。というか、正直、鬼人だとは思ってなかったからね? 子供が通り魔──人間が人間に襲われたんじゃないかと思ったくらいだったんだよ』

『偶然、俺達が様子を見に行った支部で、偶然、俺達が支部から帰る途中で、偶然、俺が悲鳴に気付いた。不幸中の幸いってやつだね』


 高校生になったとき、ユースティア入隊試験のために高校は中退予定だと話した私に、茂之先輩はそう教えてくれた。あの話は、きっと、ユースティア入隊を考え直せという趣旨だったのだろう。実際、この間の演練でも、茂之先輩はJはやめておけと言った。

 茂之先輩は、私にJになるなと言いたいのだろうか。


「話は変わるけど、教官たちから今年の有望株の名前聞いたんだよね。やっぱり三千風藍吏は有能らしいねえ」

「む」


 心の中に立ち込め始めていた暗雲が別の種類のものに変わった。真弓は「あ、この子、三千風くんと折り合いが悪いらしいんです」と他人事だ。いや、他人事だけど。


「もう五属性の術式が八級くらいまで使えるんだろ? 俺らの代でそれできたの、妃水と茂之くらいだったよ」

「三千風藍吏が茂之先輩と同列なの、許せませんね」

「玉頼ちゃん、三千風アンチ過ぎるな。いいじゃん、玉頼ちゃんも有望株に名前挙がってるし」

「えっ」


 ずず、とすすっていたお茶を吹きそうになった。


「な、なんですかそれ!」

「あ、ちなみに待朋ちゃんの名前も聞いたよ。優秀なもん同士つるんじゃうもんなのかね?」

「いやいや、私はきっと千璃ちゃんにくっついてるからあやかったんですよお」

「くっついててあやかるってなんだよ、この間までJKだったやつが謙遜なんかしないでいいじゃん」

「綾崎先輩、詳しく!」

「詳しくは知らないよ。俺が個人的に教官と仲良しだから聞いただけだもん、目かけてんの誰ですかーって。あ、だから自慢して回っちゃだめだよ? 俺が情報源ってバレるからね?」

「そんなことはしませんけど……」


 有望株、目をかけている研修生。立ち込めていた暗雲がじわじわと晴れていくような気持ちになる。私の心は大忙しだ。


「でも茂之先輩には自慢したいです。それを聞けば茂之先輩も見直してくれるかもしれないのに……!」

「見直す?」

「だって茂之先輩、私がJになるの、あんまりよく思ってなさそうじゃないですか。少しは私を見直してほしいです」


 でもこの話は綾崎先輩が個人的に聞いた話らしいし、もっと客観的な評価を貰わないと「綾崎にからかわれたんじゃないの」と一蹴されて終わってしまう。そうとなれば明日の模擬戦闘のやる気が出てきた。

 そんなやる気に燃える私の隣で「うーん」と綾崎先輩は首を捻った。


「茂之は別に、千璃ちゃんの実力がどうとか思ってるわけじゃないと思うよ」

「……そうでしょうか?」

「茂之は玉頼ちゃんのことが可愛くて仕方ないんだよ」


 きょとんと目を丸くする私の前で、真弓までもが「あー、それは私も話を聞いてて思ってました」と頷く。


「守貴先輩、お会いしたことはありませんけど、なんやかんや千璃ちゃんの不審な挙動に付き合ってくれてるみたいですし」

「挙動不審って言わないでよ」

「そもそも、千璃ちゃん、守貴先輩と結構会ってたんでしょ? 入隊試験に合格して久しぶりに再会したとか、そういうのじゃなくて」

「うん。茂之先輩、地方駐在が多かったから」

「あー、それはね、千璃ちゃん、違うよ」綾崎先輩は声を上げて笑った。「アイツは地方駐在を希望してたんだよ、しかも九州圏内のね。どうせ千璃ちゃんの地元なんだろ?」


 ……初めて聞く話だった。そして大正解、私の地元は九州圏内の沿岸にある。


「なんでわざわざ地方選んでんだろうと思ったけど、千璃ちゃん見て分かったよ。千璃ちゃんはね、茂之の可愛い後輩なんだ」

「やっぱりそうですよね」真弓も頷く。「守貴先輩、千璃ちゃんのこと可愛がってますよね」

「ああ。アイツ、別に後輩の面倒見がいいタイプじゃないから。まあ、千璃ちゃんくらいしか茂之に懐いてないっていうのもあるかもしれないけど。で、可愛い後輩がJみたいな危ない部隊に入ろうとしてるから、考え直させたいんだよ。親の心子知らずってやつかな」


 茂之先輩のことを冷たいと思ったことはない。もちろん、いつも冷たくあしらわれてはいるのだけれど、ちゃんと優しいことは知っていた。

 ただ、後輩としてそんなに可愛がられているのだとは思っていなかった。自分が茂之先輩にとって特別だと思ったことは、なかったといえば嘘だけれど、そこまで明確に思ったことはなかった。そしてユースティアやJ志望を考え直させようとしている理由が、そんなことにあるのだとも。


「でも、玉頼ちゃんはその茂之に憧れて、Jになりたいわけだからね。微妙にすれ違ってるけど、俺はいいと思うよ」


 『ただ俺に憧れただけなら、やめたほうがいいんじゃない』というあのときの茂之先輩の言葉の持つ意味が、少し変わった。

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