第6話 てっきり三千風くんに喧嘩を売ったのかと

 導入研修は、開始式の次の日から実戦形式になった。九月になったとはいえ、まだ夏の日差しは健在、そんな空の下、私達は訓練場の上にある森の中に集められていた。森の中といっても、研修用に開拓されているので、使い勝手のいいように木々が伐採されている区域もあれば、逆に訓練用に鬱蒼と生い茂っている場所もある。今日の訓練が行われる場所は前者だ。


「まず、貸与の腕輪バンドについて説明する」


 腕輪は、研修時間(午前十時から午後五時半)の間だけ貸与される。バンドには精霊の力が込められていて、一定レベルの術式を一定回数発動できるらしい。とはいえ、与えられてすぐに使いこなせるわけもなく、私達は利き腕につけた腕輪をしげしげと眺めるばかりだ。真夏にも関わらず、腕輪はひんやりと冷たく、マーブル模様で少し重たいこともあって、白い大理石のようだった。


「十八歳以上であるか否かを問わず、腕輪をつけていれば術式が使える。ただし、使えるのは最大でも七級術式までだ。十級術式が七回、九級術式が六回……と、下級術式であればあるほどエネルギーを消費しない」


 腕輪に込められた精霊の力を「エネルギー」ということに違和感があったけれど、教官は「そう聞くと六級術式が三回使えて、そこから四級術式も一回使えそうだが、腕輪で使えるのは七級までだ。中級以上の術式は、エネルギーの放出量に腕輪が耐え切れんからな」と「エネルギー」という言葉を繰り返した。


「導入研修中は、一属性を八級まで使えるようになるか、二属性を九級まで使えるくらいでいい。ただし、集合研修──地方から戻った後には、ある程度高いレベルの術式が求められるからな。特にJ志望は地方研修で習得しておくように」


 頭には綾崎先輩が浮かんだ。綾崎先輩がJなのは、あの日に助けてくれたことを踏まえれば分かる。そして、術式が苦手だと話していた綾崎先輩がJになっていることを考えると、綾崎先輩のレベルをクリアできればJになれるのだろう。


 といっても、術式なんて、教科書で見たことしかないのに、突然発動させろと言われてできるわけがない。


「まず基本からだが、術式には詠唱が必要だ。詠唱は何によって構成される? 待朋まちとも?」

「あ、はい」


 突然当てられたのは、私の隣に立っていた待朋まちとも真弓まゆみ。私と同じく札幌本部に派遣される予定で、しかも同じ班である。三千風藍吏とは到底気が合いそうにない一方、真弓とは開始式直後から意気投合した。


「宣誓、祈請きせい、呪文の三つです」

「そうだ。そして宣誓と祈請はすべての術式に共通する詠唱となる。違うのは呪文だけだな。下級術式であればあるほど呪文も短い。十級であれば概ね一言だ」


 教官は「Liz pendlum, et shinebe en penexis……」と比較的短い術式を詠唱しながら、訓練場の端にある的へ手を向けた。地面の小石が宙に浮き、そのまま飛礫つぶてのように的へぶつかる。研修生の塊からは小さな歓声が上がった。


「ただし、その分、威力も弱い。十級術式を使う場面があるとすれば、鬼人の意識を逸らす場合くらいだろう。研修中ほど十級術式を使うことはない」


 基礎の基礎、ということか……。教官は地面の小石を拾い上げ、手持無沙汰に手の上で放る。


「術式の発動は、はたからみれば簡単だが、実際には相応の集中力が必要だ。特に、宣誓と祈請に際しては雑念を挟むな。精霊の力に対する冒涜ぼうとくだからな、力が自分に反ってくる。その意味でも、使う術式は十級から徐々に上げていくべきだ」


 「では」と教官が的から少し離れた場所を親指で示す。そこには赤色のビニールテープが埋めてある。「十級術式であれば、属性は問わない。順に発動してみせろ」


 そんなことを急に言われても、大半は今まで術式なんて使ったことがないのですが? ……なんて言えるわけがない。術式を発動するために必要なのは、精霊の力と正確な詠唱のみ。極端なことをいえば、本を読めば誰でも使える。要は教官の主張は「すでに本は読んだのだから使えるはずだ」という、至極シンプルなものだ。

 ただ、みんな同じことを考えたので揃って顔を見合わせた。教官は片手に持った名簿を見ながら「十八歳以上もいるだろう、情けない」と呆れる。どうやら年齢も書かれているらしい。

 その教官の目が名簿の上を彷徨さまよった。じっと見ていると、教官は顔を上げて、私の、後ろを見た。


「……三千風みちかぜ藍吏あいり


 ざっ、と全員の視線が同じ方向へ向く。その視線が意味することを、三千風藍吏は分かっているように見えた。


「術式の経験は?」

「ありません。先月、十八歳を迎えたばかりですので」


 噂ではとっくに十八歳になったかのように聞いていたけど、先月なのか……。ただ、その声は堂々としていて──きっと教官は術式の手本を見せてやれと言うつもりで、きっとそれを三千風藍吏も分かっているだろうに──「そこから的に当てればいいですか」おくする様子は微塵みじんもなかった。


「……ああ。十級であれば、属性は問わない」


 教官もそれに面食らうことなく、背後の的を示す。

 三千風藍吏は、道を開けた私達の前を悠々と歩き、赤色のビニールテープの手前に立った。腕輪をつけている左腕を地面と平行に上げ、的に狙いを定める。


「Liz pendlum, et shinebeen penexis le hanut fore ventesprit.」


 三千風藍吏の詠唱は、まるで日常の会話のように滑らかだった。ビュオッと隙間風のような音がしたかと思うと、バンッという音と共にひとつの的が揺れた。その中心にはナイフでつけたような深い傷ができていて、私も含め、みんな「すげ……」「さすが五家」と感嘆する。

 教官も軽く頷き「さすがだな」と三千風藍吏に声を掛けた後、「見よう見まねでやれとは言わないが、基本は三千風がやったとおりだ」と少し解説するような態度になる。


「術式の発動に必要なのは、基本的には集中力だが、イメージも重要だ。自分の詠唱する術式がどの属性で、どんな効果とどんな威力を持つのか、しっかりと思い描くことができなければならない。『本を読めばできる』というのは、術式の説明を読めば、理屈上は頭の中に効果を思い描くことができるからだ。したがって、見たことのある術式のほうが発動をしやすく、また発動を重ねるごとに精度や威力も上昇する」


 どおりで、術式の教本には術の写真が載っているわけだ。隣の真弓は「うーん、術式なんて見たことないんだよな」と渋面だ。


「真弓、ご両親が名古屋本部に勤務してるんじゃなかったっけ?」

「うん、でも親が仕事してる様子なんて見ないよ。八級以上は、ユースティア隊員以外による使用は禁止だし」


 結局、ユースティア隊員を代々輩出する五家の人間が一番その機会に恵まれているというわけだ。

 三千風藍吏の見本の甲斐なく、その後も我先にと前に出る研修生はいなかった。仕方なく、教官は「時間がない、こちらが指定するぞ」と名前を読み上げ、五人ずつ前に立たせる。ただ、二、三割は術式を発動することができたので、段々とみんなの緊張はほぐれていった。ただ、的に当てるとなると一割、更にど真ん中に当てたのは三千風藍吏だけだった。


「次、玉頼千璃、待朋真弓、佐郷さごう美沙梨みさり司馬しば洋子ようこ長谷ながたに澄江すみえ


 ドキリと心臓が跳ねた。真弓は「ぎゃー! きた!」と口では言ってみせるけれど、狼狽している様子はない。他の女子三人の様子をうかがえば、一人はあたりを見回しながら少しオロオロしていて好感が持てた。ただ、一人は自信満々の顔で、もう一人と「何属性にする?」なんて話している。もしかして私以外の四人のうち三人は余裕なのでは、と嫌な汗が出た。


 そもそもどの属性を選ぼう。三千風藍吏と違って、私はまだ十七歳、自分の属性は分からない。真弓と違って両親の属性も知らない。馴染みのある属性なんてない。

 唯一、あるとすれば。脳裏に過るのは中学生のときの、あの日の光景だ。助けてくれた茂之先輩。今思えば、あの時の術式は、風属性の術式・第八級。ただ、風属性は基本的なイメージが共通しているので、第十級のイメージと被るところはある。それに、風属性の第十級は、最初に三千風藍吏が完璧なお手本を見せた。だったら。


 女子五人で横一列に並ぶ。脳裏に浮かぶのは、あの日の鬼人の姿と──三千風藍吏が見せた術式だ。神経を研ぎ澄ませ、的を見つめる。


「Liz pendlum, et shinebeen penexis le hanut fore ventesprit.」


 バンッ、と二つの的が揺れた。一つの的には、中心から少しずれたところにナイフで刻んだような切傷、もう一つの的には、中心から少し離れたところに二つ、三つの傷跡がついている。残り三つの的は動きもしなかった。

 私の的と、真弓の的だ。揃ってほっと胸をなでおろすと同時に「よかったー、当たった!」と手を取り合った。教官には「次があるから、早くどけ」と怒られたので、慌てて研修生の塊の中へ戻る。


「あー、よかった、緊張しちゃった」

「よかったよねえ。千璃ちゃん、風の十級にしてたけど、なんで?」

「昔、茂之先輩が助けてくれたときに見たのが、風の術式だったんだよね。だからイメージしやすいかなと思って」

「あー、なるほど」


 茂之先輩の話は色々としていたので、真弓は「至極納得いたしました」と頷いた。


「てっきり三千風くんに喧嘩を売ったのかと」

「え。そんなことし……ないよ、多分」

「だって、みんな風属性は使ってないじゃん? あれ多分、三千風くんを意識してるんだと思うよ」


 なんだと。言われて気付いたけれど、次々と並ぶ研修生の中に、風属性の術式を発動しているらしい人はいなかった。そもそも教官が地属性の見本を見せたので、イメージしやすい地属性を選んでいるとは思われるものの、それにしたって他の属性はちらほらいるのに、風属性だけはいない。


 ヒッと背筋を正す私の隣で、真弓がニマニマと意地悪く笑った。


「多分、三千風くんも同じこと思ってるよ。喧嘩売られたって」

「──売ってません!」


  が、私の言い訳も虚しく、二巡目の三千風藍吏は教官の指導を無視して腕輪を外し、つまり自分自身の精霊の力を使って発動した十級術式で的を真っ二つに破壊した。ただ、教官は「腕輪を使えと言っただろ」と軽く注意しただけだった。

 三千風藍吏は、擦れ違いざま、私に小馬鹿にしたような笑みを向けた。

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