第5話 鬼人にはならないから

 空からの日差しを一切遮ろうとするかのような巨大で荘厳な白い官舎。南北に広がるこの官舎が鬼討伐隊本舎だ。その本舎に対して垂直に東西にのびているのが各部隊舎となっている、らしい。


 呆然と立ち尽くしてしまいそうにさえなる威圧感。思わず身震いしてしまいそうになりながら、開始式が行われる講堂へ向かう。


 式典が行われる講堂は、それだけが時代にそぐわぬ木造建築だ。上から見えるとロの字型。正確にはロの中心部が講堂になっていて、これを囲む部分が歴代幹部の肖像や盾の飾られた廊下になっている。例によって歴代幹部は五家が中心なので、多くは五家を称えるためにあるといっても過言ではないのだけれど。


 講堂の入口に向かっていると「おーい、玉頼ちゃん」と少し離れたところから声が聞こえた。声のしたほうを向くと、本隊員の塊があり、その中の一人が手を振っている。


「茂之先輩!」

「待って、声をかけたのは俺。俺は綾崎先輩」


 喜び勇んで駆け寄ったけれど、茂之先輩は「綾崎が呼ぶから……」と面倒くさそうな顔をしている。


「早く開始式行けば?」

「なんでそんな冷たいこと言うんですか。先輩方こそ、なんでこんなとこにいらっしゃるんです?」

「迎撃要請を待ってるんだよね」

「へ? どういうことですか? 本部付近で、しかもこんな朝から鬼人が出るなんて、有り得ませんよね?」


 字面から、鬼人に備えているのは理解できる。しかし、ここはユースティア東京本部だ。ユースティアの本部・支部には特殊な結界が施されていて、鬼人が侵入してくることはない。そんなところで迎撃要請もなにもないはずだ。


 挙句、今はまだ朝。別に、活動できないわけではないけれど、鬼人が出るのは夕暮れから明け方前と相場は決まっている。


「いや、出たのはここじゃなくて立川のあたり。時間帯的には有り得ないけど、目撃情報は確からしいから、あと三十分もすれば出発かな」

「……そんなことがあるんですね」

「たまにあるよ。で、今日から一週間は立川に駐在だから。じゃ」

「え! 一週間経ったら導入研修は半分終わっちゃいますよ! せっかく導入研修中は先輩に毎日会えると思ったのに! 私との別れを惜しんでくださいよ!」

「毎日ストーカーされずに済んでよかった」

「先輩のいじわる!」

「ほら、早く行きなよ」

「またねー、玉頼ちゃん」


 開始式に出ないわけにはいかないので、そこはどうしようもない。くっ……、と誰に向けるでもない拳を悔しさで握りしめながらも講堂へ入り、組ごとに分けられた席に着く。隣には、既に男子が座っていた。


「アンタ、守貴隊員と知り合いなの?」

「え?」


 その男子に話しかけられて振り向いた瞬間、その顔に呆気にとられた。凛々しい眉に高い鼻、冷ややかな目は女子が羨ましくなるようなはっきり二重で、瞬きするたびに長い睫毛が存在感を放つ。思わず仰け反りたくなるほど、というか隣に座りたくなんかないほど整った顔だ。なんだこのイケメン。茂之先輩のかっこよさの足元にも及ばないけど、なんだこのイケメン!


「知り合い……とは……」

「講堂の前で話してただろ」


 あまりに美形だし、突飛な質問だしで一瞬うろたえてしまったけれど、確かに研修生が集まる講堂の前に本隊員がいれば誰だって視線を向けるだろうし、その中に研修生がいればなおさらだと理解した。


「昔から知ってる先輩で」

「……同じ訓練学校?」

「ううん、私は普通科高校だから」

「あー、だよね。田舎者のゆとりって顔してんもんな」

「は」


 そして突然の罵倒。いましたよ、先輩。普通科高校を中退したというだけで他人を馬鹿にする不届きものが!


「すいませんね、高校中退で。あなたはよっぽどいい訓練校を卒業しているんでしょうね!」

「おい、もしかして帝桜ていおう三千風みちかぜじゃないか?」


 彼が答える前に、誰かが話すのが聞こえた。少し離れた席の男子二人が私の隣を見ながら「まじだ、三千風だ」「今年の首席合格だろ?」と話し始め、周りの何人かも「あれが三千風か」「幹部席一つ消えたじゃん……」と輪のように“三千風”の名前が広がり始めていた。


「……帝桜の、三千風って……」

「まさか知らないわけないよな? それとも、知らないくらい田舎者か?」


 帝桜は知っている。国立帝都桜嶺おうりょう訓練校、通称帝桜、全国随一にレベルの高い訓練校だ。現に、ユースティア幹部に名を連ねる隊員の半分以上が帝桜出身だ。


 そしてミチカゼといえば五家。綾崎先輩と話した「今年首席合格をした三千風家の長男」というのは……。


 愕然とし、開いた口が塞がらなくなった。つまり、いま目の前にいるこの人は、サラブレット中のサラブレットの中でもトップクラスに位置する、幹部を──それどころか下手したら統括官を──約束されたスーパーエリートだ。


 ふん、とそのスーパーエリート様は再び鼻を鳴らした。


「さすがに知ってたか。ま、どうでもいいけどな」


 このっ……! さきほどまでは茂之先輩の迎撃に立ち会えない悔しさで握りしめていた拳を、今は目の前の男を殴りたい衝動で握りしめた。が、当然ユースティア研修生同士の暴力沙汰はご法度だ。ただし、ユースティア隊員同士だと喧嘩をしても「訓練です」と口を揃えて懲罰を逃れようとするらしいというのは余談である。


「で……なんであなたみたいな人が茂之先輩を知ってるんですかね……」

「あの期の無名の首席を知らないわけないだろ。馬鹿か」


 くそっ……! この三千風と模擬戦闘をすることになったら顔面を殴ってやることに決めた。


「つか、アンタ誰」

「……玉頼千璃です。どうぞよろしく」

「ふーん」


 自分からは改めて名乗ることもしない。しかも、私の名前を聞いたくせにさして興味も示さない。顔面を殴ろうと決めた拳が怒りで震えた。


 そんな遣り取りをしていると、研修組み分け表が配られた。クラスごとに研修地に分けられ、更に研修地で班ごとに分けられるので、その組み分け表だ。


 が、それを見た私と三千風は揃ってゲッと顔をひきつらせた。


「最悪だ……!」


 玉頼千璃と三千風藍吏が同じ班の上下に並んでいる。研修生の人数は五百人、研修組は一組約十人の合計四十七組、班は一班あたり約三人。その中で、特定の一人と同じ組になる確率は決して高くないどころか低い。それだというのに、よりによって……!


「こっちのセリフだよ」

「何も言ってませんけど!」


 心を読まれたことなんてどうでもいい、ただ最悪だ。しかし、冷静に考えてみると「研修組・班分けの基準はブラックボックスだけど、レベルは偏らないようになってるよ」と茂之先輩が教えてくれたことがあった。つまり、最も優秀な訓練校出身の三千風と、名もなき普通科高校中退の私とはあるべき組み合わせというわけだ。屈辱だ!


 私達以外にも、研修の班分けを見た研修生たちが「同じ班に知ってるヤツいねー」「班はいいだろ、俺はクラスにいない」など口々に感想を呟く。確かに、訓練校出身だと、顔見知り同士で研修を受けることはあるのかもしれない。


「起立!」


 轟くような声がその空気を断ち切り、私達は一斉に立ち上がった。ユースティア本隊員の一人が司会を務め「鬼討伐隊部総隊長、技術部部長、医療部部長、登壇」と告げれば、檀上にはその肩書通りの三人が並ぶ。からすのように真っ黒い軍服に身を包んでいる点は三人とも同じ。それから──仮面で顔を隠していることも。


 三人の背格好はばらばらだ。医療部部長は屈強な大男で、技術部部長は顔が隠れていても妖艶さが分かる女性。そして討伐隊総隊長は、戦闘部隊の長にしては線が細く、少し長身なだけで、ごく普通の男性だった。


 異様な風体の統括官たちに、研修生のほとんどが動揺を隠せず、それが空気になって現れる。しかし、医療部部長、技術部部長が挨拶を終える頃には、その空気はユースティア入隊を現実のものとして感じ始めた緊張感に代わっていた。


 実際、こういう場でのあいさつはダラダラと長いのが通例だけれど、討伐隊部隊総長の挨拶は「特に話すことはない。心構えも、訓練中に身に着ければ足りる」なんて手短な枕詞からスタートし、旧態依然とした式の存在を鬱陶しく思っていることが伝わってきた。


「君達は、ユースティア入隊試験という最難関の試験を、才能または努力、もしくはその両方で乗り越えてきた優秀な人材だ。そんな者達に、机上の学びなど所詮は知識に過ぎないと釈迦に説法じみたことをするつもりはない。ただ一つ、心得ておくべきことは──」


 仮面の裏から、あまたの死線を潜り抜けてきた英傑の目が、新米を見渡した気がした。


「同僚や恋人との死別は免れず、その悲哀は鬼にとっては隙となり、その隙は自分を鬼にする。努々ゆめゆめ忘れることなきよう、心して戦え」


 研修生のうち、八割はJ志望が占める。しかし、三年後にJとして残るのは、そのうちの僅か二割とされる。


『千璃……あなたに、才能があるのか、お母さんとお父さんには分からない。ただ……才能があってもなくても、ユースティアの鬼討伐隊だけは、やめてほしい』


 Jとして残ることができない原因の八割は、戦線に恐れをなしての転隊。残る二割のうち、一割五分は穢れによる離隊、そして更に残る五分は──死による殉隊。


『おばあちゃんは喜ぶだろうけど、討伐隊に入って戦線で戦うのが立派だとされてた時とは時代が違う。わざわざ、千璃みたいな女の子が、わざわざ危険を冒す必要なんてない』


 鬼人との戦闘、それ自体はそう危険なものではない。鬼人が危険なのは、穢れのおそれが高いから。一般市民は襲われると危険だけれど、戦闘訓練を積んだ討伐隊員にとっては、そう苦闘する相手ではない。


 ただ、稀に、鬼神とも戦わなければならないだけだ。鬼神を討伐する必要が生じれば、死者は出る。だから──茂之先輩がいうとおり──危険と隣り合わせでないといえば嘘になる。


『……でも、私は、鬼討伐隊に入るよ』


 それでも、私は、鬼人の怖さを知ってしまった。目の前で早希ともだちが殺された瞬間、一瞬で、日常が切り裂かれた。つい先ほどまで隣で歩いていた早希が、突然死んだ。そして、生き残った詩織でさえ、鬼人の瘴気で穢れてしまった。ユースティアの寮用施設に駆け付けた詩織の両親は、今後閉じ込められることになった娘の将来を悲観して泣き叫んだ。


 どうして、私の娘だけが──。


 その一年後、詩織は療養施設内で死んだ。鬼人となったから。


『私は……鬼人にはならないから』


 あの平和な田舎の町で、自分の家族が鬼人に殺されるくらいなら──鬼人になるくらいなら、自分の身を顧みずに死線に飛び込んだほうがマシだと思った。


 茂之先輩への憧れのほかに、私がユースティアを目指す理由は、たったそれだけだ。組み分け表を握りしめながら、わずかに瞑目する。


 たった、それだけ。

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