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3月4日。終末の予言まであと一日。
最後の一週間が始まってからというもの、ぼくは部屋に引きこもり『HIMIKO』の配信を最初から見直し終えていた。外の有様など考えたくもない。世界が終わりを迎える前に、ひと足先に終わってしまった国や地域があることは、SNSを通じて聞こえてきた。
スマホのアプリを起動しても『思兼』は、もうぼくらになんの予言もくれはしない。
『HIMIKO』の最後の予言ライブが終わり、虚脱して画面を眺め続ける。最後の一日かも知れないというのに、かえって何をしていいかわからない。未だになにかを信じられない。
ふと、ホーム画面の端にメールの通知が来てることに気が付いた。妙に思って開くと差出人は柳内君だった。
柳内君がどこかで生きているのか、それとも予約送信なのかはわからないが、あまりに意味ありげなタイミング。ぼくは戸惑いながらもメールを開いた。
件名はなく、たった一文とある場所を示した地図が添付されている。
『俺たちはいつからサンタを信じなくなった?』
その文面を見た途端、頭の中で絡まっていた線が解け、繋がりひとつの形を表した。
ぼくはバイクのキーを引っ掴むと、鍵も閉めずに家を飛び出した。
行先は大阪府堺市、女王卑弥呼の古墳。つまり、旧大仙古墳である。
ぼくらはいつからサンタクロースを信じなくなったのか。
ぼくたちの世界にはいつからか、神様はいなくなってしまった。現象には科学的な説明が付き従い、宇宙のすべては数式と記号で解剖される場所になってしまった。熱心な宗教者でも真の意味で神を信じているとはいえない。信仰に熱くとも、自然科学を否定することはできないからだ。もう知らなかった世界にもどることはできない。一度殺した神様を生き返らせることはできない。
かつて柳内君が言った、現代人による汚染の意味。デビューした当初の彼女は、無垢な古代人だった。素朴な原始の人間だったのだ。
弥生時代の終わり、そこは真の意味で人間と神が共存した世界だった。星は息をして、大地は脈動し、風は人を包み込んだ。そこに暮らしていた彼らは、幼いぼくらと同じだ。無邪気にサンタクロースを信じていたんだ。樹木に神を降ろし、岩に神の物語を見いだした。自然は人格を有して、五感で得られる世界の外に物語は広がっていた。
ぼくらは目覚めたばかりの彼女に、歴史を押し付け、科学を見せつけ、物語を踏みにじった。
サンタクロースはいない。神様はもう死んでしまった。
しかも、卑弥呼は神に仕える巫女だったのだ。
彼女は言っていた。『私が』救うのだと。『思兼』でも神様でもなく、私。彼女のうちにあった素朴な信仰は、もはや息をしていない。
「おいおい、柳内君……ぼくになにをしろっていうんだい?」
世界遺産登録を見送られた旧大仙古墳に辿り着いたぼくは驚きに目を見張った。
すでに日は傾き始め、世界が終わる予言の刻限まで六時間を切った。辺りの住宅地は静けさが落ち、一切の人気が感じられない。ただひとり、斜陽に濃い影を浮かび上がらせる人物がある。この約三年間見続けて来た、網膜に馴染んだシルエット。
ワンピースとつば広の麦藁帽。浅黒い日に焼けた肌の少女。夕風にそよぐ黒髪が、どうしようもなくぼくの精神をかき乱した。
その人が肉体を持ち、息をして、動いていた。命のある体で、この地上に存在していたのである。
「まさか、肉体の再現まで出来上がっていたなんてね……これで人間は死を克服したわけだ」
柳内君はどこかで情報を知ったに違いない。そして、消された。スポンサーとして事業に関わるうちに、『思兼』のことも、肉体の再生のことも。もしかすると終末の予言さえも。
彼女は自分の墓、その上にかぶさっている陵墓を見つめて憂いを帯びた表情を浮かべている。今の彼女は、過去に思いをはせて何を思うのか。
「蘇って一体なにを? 本当に世界を救って、あなた自身が神様になるのですか?」
振り返った卑弥呼は、屈託ない笑みを浮かべた。意志の読み取れない顔。破滅を宣告した予言者にはとてもできない表情に違いなかった。
『もしかしてサッチャさん、ですか? 一度お話した、よね』
脳内に言葉が聞こえてきた。
彼女の口は動いておらず、ぼくの鼓膜はなにも聞いていない。
『いま、あなたの脳内に直接話しかけています……なんてね?』
「まさか、これが卑弥呼の鬼道の正体?」
『超能力っていうんでしょう。私の力にそっくりの機械がこの時代にあってびっくりしたよ。その、あなたももっているケータイ』
卑弥呼はぼくの手にあるスマートフォンを指さした。
「テレパシー……それは確かに超能力だね。その体は何処で?」
『培養肉を3Dプリンターで出力? したんだって。詳しいことは難しくて理解できなかったよ。でもね、私のミイラが見つかったときは、こうする予定だったみたい』
確か何年か前に、培養肉ハンバーガーのニュースはぼくも見たことがある。しかし、複雑な脳を作れるものだろうか。実際にニュースになるのは技術のほんの表面に過ぎないということだろうか。
「卑弥呼さん、あなたに聞きたいことがある」
今は肉体は問題ではない。ぼくの予想が勘違いであることを証明しなくてはならない。彼女、いや彼女も含めた背後の企業がなにを考えているのか、確かめなくてはいけない。返答次第で、ぼくは行動を起こさなければならない。
柳内君、恨むぞ。
ぼくなんかに、こんな役を押し付けたこと。どうせなら何も知らず世界の終わりを迎えた方がマシだった。
「あなたはたちは世界を滅ぼすつもりなのか?」
もう既に半分滅びたような世界だ。彼女の予言を真に受けたファンと信者が、世を儚んで死を選んだ。それだけに飽き足らず、『HIMIKO』の予言を自主的に実現する為に、自爆テロや暴動を起こした連中もいると聞く。
予言という名で世界を思い通りに操っているのではないか。世界一位の頭脳である量子コンピュータと人工衛星を使えば、人類をひとり残らず焼却することも可能なのではないか。今も世界を監視し続けている衛星システムには、海底にまで届く観測電波を照射できるのだ。人間の細胞を焼き殺すことぐらい可能なのではないか。
ぼくは世界の支配者に対して言葉を投げかけていた。
いつからかはわからない。はじめからそのつもりだったのかもしれない。『HIMOKO』アイドルプロジェクトは、世界支配するための計画に塗り替わっていた。
すべての人間を殺しつくした後で、ひとずつ神様が再び人間を産み直していく。従順なしもべとなった、本物の神と共存する人間を、だ。
『この時代は苦しみに満ちています』
卑弥呼は慈悲に満ちた声で告げる。
『この時代は救いがありません。この世界の不幸は神を失ってしまったことです。不幸を耐える為の理由がありません。幸せを約束してくれる力がありません。未来はひとつも確かさがなく、没落も失敗もすべてが我が身を切って認めねばなりません。私の生きていた時代から1800年経っても、人が死ぬことを説明できる理由はありません。私たちは必ず死ぬのに、これまで死ななかった人間などひとりもいなかったのに、日々を生きていくときにあまりに死を考えていない。恐ろしい化け物の姿を見なければ、逃げられると考えているかのようです。あまりに怖いから。怯えている可哀想な人たち』
西日は肌をじりじりと照り付けるのに、体は冷え切っていく。
『私は消失のあと、死後の世界を作りたいのです。そこには人間にとって絶対的な恐怖がありません。一度人類は一人残らず死滅し、神の御許に召される。そこは真実の理想の世界です。苦しみ、恐怖のない世界。しかし、この世に神はいない。神がいないのであれば、新たに神を立てるしかありませんよね。私はただ救いたい。愛する人々を導きたい。これは過去に私が出来なかった夢の続きなのです』
彼女は以前通話したときと同じように、心から人類への愛を口にした。
「ぼくには、あなたの救いが間違っているのか、正しいのかわかりません。ぼくは神ではないから……人の為すことに善悪など決められる立場にない」
もしかしたら彼女が語る未来は、人類を救うかもしれない。ぼくらは戦争を終わらせることができない。人の欲望は増大続け、他者との共存を阻む。人類は絶滅するまで争い続けるだろうし、地球を食い潰しても足りないだろう。この地上を覆う大小さまざまな不幸に比べれば、人間が感じる幸福など一時の幻の様なものだ。
いっそ、滅んでしまったほうが、いくらかマシかもしれない。
卑弥呼という神に従えられた方が幸せかもしれない。
しかし、柳内君、ぼくは結局ただのファンなんだよ。厄介でもファンなんだよ。
「ヒミコ非公式ファンクラブ、会員番号35番! 会場限定アイテムをすべて引き当てた最高運の男、サッチャ! ぼくはあなたの一番のファンである自覚がある! 海外の会場には行けなかったが、あなたのライブにはすべて足を運んだし、配信は欠かさず見た! グッズはすべて3セットずつ持っている!」
ファンとしては最低な部類に入ることを今から言う。
人類がどうのこうのとか、神とか、救いとか、そんなものはどうでもいいのだ。それはぼくの真実ではない。
彼女が世界に羽ばたいた時、あらゆる人に認知され認められた時。嬉しさと同時に寂しさを感じていた。みんなのものになってしまった彼女が遠い。ぼくだけの、ぼくだけが見つけたアイドルではなくなってしまったのだ。
これはアイドルに対して一番抱いてはならない感情、その名を独占欲という。
本当に、ひとの欲望には底がない。深い欲は自分を不幸にするだけと知っていても、求めることを止められない。
きみが、みんなの神様になることを許容できない。
「きみは、ぼくのアイドルであるべきだ! ぼくだけのアイドルになるべきだったんだ!」
ぼくは彼女の元へと駆け出した。
その細い首を握り締めた。柔らかい少女の肉を引き絞る。
指の腹を押し返す脈動を押し潰し、小枝のような頸椎をへし折ろうとする。
彼女は抵抗しなかった、優しく抱擁するように頭を抱えただけだった。
「ぼくを救ってくれよッ」
食いしばったぼくの奥歯が砕けて、血が溢れた。
彼女の目や口、鼻から水っぽいぐちゃぐちゃした悲鳴が聞こえた気がした。
首に回された手が死の苦しみを前に、生きようと滅茶苦茶に暴れ始める。爪が剥がれるまで引っ掻き回され、顔も何度か殴られた。けれど、すぐに大人しくなった。
徐々に弛緩していく体。ぼくは左右の手をひねり、力を込めたまま彼女の地面に押し倒した。体重をかけて、勢いをつけて何度も押し付けた。
ぼくは首を絞め続けた。
大好きなアイドルの首を絞め続けた。
夜が訪れ、朝になっていた。
世界が滅びる刻限は過ぎ、翌日にぼくは立っていた。
予言を抜けた朝は、静かに澄みきっていた。
ぼくは彼女の死骸を抱え街をあるく。
閑散とした街並みだ。静かで車も走っていない。人があちこちに倒れている。誰も彼も死んでいる。動くものは雀か、カラスか。
倒れて死んでいるひとびとは、自分の首を掻きむしって死んでいた。舌を飲み込み、窒息している人もいた。誰も彼も冷たいという点では共通していた。
死んでしまった街の街頭に、映像が流れる。スマートフォンに、街頭スクリーンに、家屋のテレビに。
『死後の世界へ、ようこそ』
電波は恐らく打ち上げられた衛星から送り込まれているのだろう。この事態を予期していて、計画通りに映像が種明かしをしてくれる。
『こん巫女、ヒミコです。私は世界を救いました。この世界にはもう人間は、ただひとりを除いて死にました。これは私から、たったひとりの人類への、あなただけへのファンサービスです』
彼女は画面の向こうで語る。
『この映像が流れる事には、きっとあなたは私を殺してくれたことでしょう。思兼の予言では、サッチャさんだそうです。当たっていましたか? 当たっていると嬉しいな、と思います』
ぼくに抱えられた死骸の彼女は、初めからぼくが殺すことを知っていたらしい。
『私は人類を救う方法をたくさん考えました。そして、やはり死に希望を見いだすことにしました。人類の悲しみはこれから先、増大していくばかりです。私たちには物語を始める権利は与えられませんでした。しかし、物語を終わらせることはできます。そこで私は人類の物語にピリオドを打つことにしたのです。可能な限り、幸せな死。いま、皆さんにお届けすることができているでしょうか?』
いつもと変わらない快活な声が死んだ街に響く。滅びた世界に寒々しく響く。
『私は生前テレパシーを扱う超能力者でした。他人に脳波を送ることができる力です。私の力ではひとひとりが限界でした。しかし、生まれ変わった私には心強い味方がいました。それは量子コンピュータ那由他と複製脳、それに36機の人工衛星です。私は生身の脳から複製脳にテレパシーを送り、量子コンピュータと繋がった複製脳は、その機能を最大限に活用して世界中に私の脳波を送ります。衛星を中継して、世界中の人間と接続することが可能になったのです。あとは世界中の人間と同期した状態で、私が死ねばいい。私が死ぬ瞬間の体の状態全てを余すところなく、他の方にもテレパシーで送り込む。これで世界は滅びます』
結局ぼくが世界を滅びさせる引き金を引いてしまったらしい。今となってはどうでもいい話だ。
『私は愛するファンによって殺されました。それは私が他人に与えられる、最大の幸せな死だと信じています。ただ……私を殺しきる都合上、地上最後のファンであるあなたにだけは一緒に死んでもらうことができませんでした。ごめんなさい。だから、最期のファンであるあなただけに、私から贈り物です』
映像の背景が切り替わり、ステージの電飾が輝き始める。
『たったひとりの観客のために、今日は地上最後のファン感謝祭を開催します! ここまで私のことを応援してくれて、愛してくれて、ありがとーっ!』
彼女の歌が始まった。
ぼくは彼女の死骸を抱き締めて、たったひとりでコールを行った。拍手した。振付を踊った。サイリウムの代わりに手を振った。
楽しんで、満喫して、涙を流した。
地上最後のファンとして、彼女の最後のライブを見届けた。
『ありがとうございました! ヒミコでした!』
ぼくはファンとして最後の務めを果たすことにする。
1800年前もきっと、ぼくと同じ気持ちの人間が少なくとも100人はいたのだ。やはり、アイドル卑弥呼は他の有象無象のアイドルとは格が違う。
手頃な場所にぼくの体重では千切れない頑丈で細いワイヤーを輪っかにして結ぶ。ぼくと彼女の体が離れないようにベルトで縛り上げる。
やっぱり彼女と同じ方法で死にたいと思うのはファンの心理として当然だ。
足が床に着かないこと、ワイヤーの強度を確認する。
ぼくは彼女の死骸を抱き締めて、不安定な椅子の上に登る。
ぼくは彼女に望まれた。ぼくが彼女の望みを叶えた。ぼくは彼女を手に掛けた。
彼女はぼくのアイドルになってくれた。
これほど幸せなことはない。
ぼくほど幸せに死を迎える人間はいないだろう。
眼を閉じて、椅子を蹴った。
ぼくらの世界はこうして滅亡した。
ぼくのアイドルよ、思念波によせて 志村麦穂 @baku-shimura
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