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彼女のデビューストリームは、生前の生い立ちや女王としての生活、神に仕える巫女としての役割の話が主であった。すこし不思議な力(手品的なものか?)を使った祭祀を主な役目として、連合国家の象徴となり生きた人生。
恐らくもっとも注目を集めているであろう、過去の証人としての声が届けられた。歴史書や遺跡からは知ることのできない、彼女の主観に満ちた日本の古代はどこか遠い世界の物語のように感じられた。
彼女の記憶はリアルタイムで流れるコメント上でも物議をかもしていたが、配信が終わるころにはおおむね好意的に受け入れられていた。
現代の日本語ではなく、上代日本語であったこともいい方に影響したのかもしれない。所詮はAIが喋っていると見透かされたら、どんな偉業も白けてしまうから。簡単に書き換えができて、言語機能も追加できるなら、それはもはや創作物でしかない。彼女の記憶が例え本物でも、人間感情では偽の歴史でしかない。そういう人の心理を理解した配慮がなされたのだろう。アイドルとして彼女を起用した人間は相当なやり手であった。(もちろん、ぼくらの見えない裏側で都合のいい操作が行われたことは、蘇生の混乱がないことからも明らか。)
上代日本語を同時通訳する字幕。南方の方言のようでもありながら、まったくの外国語らしくもある。同じ日本の言葉であるのに、ひとつも聞き取れない。耳馴染みのない日本がそこにはあった。
訥々とした言葉で語られる素朴な彼女は、情報と感情で加飾されたぼくらが忘れ去った人間らしさを持っていた。彼女の口から零れる、地を感じる喜び、人のいる温もり、死への親しみと生の実感。そのどれもが確かな息を感じさせるのだ。
彼女は女王と呼ばれながら、その心はただの少女であった。巫女でも、為政者でもない。事実、彼女はお飾りの象徴であり、ひとの幸福を願う、ひとりの女の子に過ぎなかった。
なぜか泣いていた。ぼくは生まれて初めて人間をみた、ロボットだった。
デビューストリームは三時間に及ぶ、生配信。
例えば、人類が火を手に入れたとき。例えば、蒸気機関が産まれたとき。世界が変わる、強い確信があった。
配信後、数時間のうちに非公式のファンクラブが立ち上がり、一週間のうちに公式ファンクラブの開設など、バックアップ会社の精力的なサポートにより、配信環境も充実していった。
彼女はまたたく間に現代の日本語を覚え、ぼくらの常識に近い知識を身に着けていった。彼女は大変な勉強家(学習AIのサポートのおかげか?)であり、初期の頃の主流配信だった『日本語勉強する!』、『歴史のじかん!』、ライブカメラを通じて現在の日本の街並みを旅行する『修学旅行にいってきます!』は、沢山の名場面を産んだ。異文化への驚きや、まだ常識に不慣れな可愛い勘違いなど、見所が盛りだくさんでぼくの生活も一番充実していた頃だ。ネット上には、無数の切り抜き動画か作られ、拡散し、翻訳動画が海外にまで広がっていった。
「こん巫女~! ヒミコだよ~!」
他のネットアイドルに倣った配信の挨拶決めでは、ファン同士でひと悶着あったが、結局一番無難な挨拶に落ち着いた。
デビューからハーフアニバーサリーを迎えるころには、すっかり一人前の配信者となっていた。
「もしかして、俺たちは間違えているんじゃないか?」
大学の食堂で、同回生でふたつ年上の柳内君がそんなことを口にした。彼は非公式ファンクラブでも、公式ファンクラブでも、会員ナンバー一桁をもつ猛者だ。挙句の果てに浪人生の間に企業して、ベンチャー企業として正式に『HIMIKO』のスポンサーとなった才能と行動力の塊だ。彼の会社は大学と連携しているだの、人工衛星を打ち上げているだのと、大層なことを宣っていた気がする。
「久しく大学に顔を見せたと思ったら、藪から棒だ。悲しいかな、今まさに間違いを知ったよ。君とメニューが被った。しかも、また昨日と同じだった」
「うむ、まさしくそれだ」
「安パイを踏み続けてしまうぼくへの慰めかい?」
「人類は過ちを繰り返すという話だ」
柳内君はアイパッドを広げて、動画配信サイトを開く。そして、ひとつの切り抜き動画を再生する。それは半年間の『HIMIKO』の特徴的な笑顔の変化をまとめたものだ。
柳内君は動画よりも、コメントのいくつかをピックアップして指をさす
「ヒミコちゃん、前よりも暗くなった気がする? なんか、無理して笑っているみたいにみえる……こんなの杞憂コメントだろ? だって彼女の本体はAIなわけだし」
どのアイドル、配信者にもいる過剰に心配をしたがる連中はいる。そういう奴らはいずれ束縛彼氏(彼女)のような行動に出始める。アイドル自身の自由意志や行動に口出ししたりするようになり、粘着化する。いわゆる厄介ファンのひとつだ。
「あれだろ? 3Dモデルの変更とか、配信環境とか、あとはそれこそAIのブラッシュアップとか。逆にモデルが綺麗すぎるのが原因なんじゃないか?」
ぼくの意見に対し、柳内君は眉を吊り上げた。彼はぼくの性格を知っているだけに、意外だとでも言いたげである。
「坂本は思ったより冷静なのだな。実にお前らしくない。だが、的外れでもあるな。如何にもデジタルネイティブで、デジタルな偏見に毒された意見だ」
柳内君は腕組みをして、嘆かわしいと溜息を吐く。
「ぼくは一般人なんだ。意見を期待するには、役者不足ってものだぞ」
「坂本も彼女の初めての配信で感じたと言っていたではないか。無垢で純真な本物の人間を見た、と」
「ああ……」
ぼくは生姜焼きのキャベツを丁寧に取り除き、肉を残して野菜を食べ尽くしていく。例の切り抜き動画に改めて視線を送る。確かに、杞憂コメントが指摘するような表情の暗さは見ることができるかもしれない。しかし、それは昨日の生姜焼き定食と今日の生姜焼き定食のタレの濃さほどの違いだ。毎日食べ続けていなければ、わからないような微細な違い。
「彼女は歴史のことを詳しく知りたがったし、今でもよく勉強している。俺たちは視聴者は彼女に現代の常識を教えた。当たり前を教えた。彼女が死んだ後の世界の常識、人間の当たり前を持ち寄って、押し付けた」
「それが、曇りの原因だと?」
「彼女は確かにAIにサポートされているが、徐々に彼女自身の複製脳へと大部分の機能を移行しつつある。疑似的な霊魂をAIで補っているとはいえ、脳機能のほとんどは生身の人間を模したものだ。つまり、精神構造は俺や坂本となんら変わることはない。配信外でも彼女のシステムは起動し続けて、学習や思考を続けている。システムメンテナンスの為の、一日五時間のスリープを除けば、常に思い考え、蓄積している」
彼女の情報吸収の早さはAIのサポート、半機械的な存在であることの現れだと思っていたが、それだけではなかったらしい。ぼくらの見ていない裏でも、努力という形の泥くさい活動によって、彼女の成長は支えられていたようだ。
「ぼくたち視聴者が彼女に悪影響を?」
「悪影響じゃない、汚染だ。俺たち現代人は、純粋で無垢な古代人の精神を汚染したのだ」
「ずいぶん強い言葉を使うじゃないか。確かにデビュー配信では純粋な子に思えたけれど、古代も現代も人間はそうかわらないよ。実際、邪馬台国も戦争していたわけだし、国には身分も奴隷もあった。鬼道がどうのと言ったって、武力を背景に周辺国従えていたわけだし。実際彼女もそう言っていた。それに、生前の実年齢はぼくらよりも年上だろう? 子供じゃないんだ」
「ふん、坂本はそうして高をくくっていればいい。お前の心持は安全神話と同じものだぞ。簡単に崩れ去る。崩れて初めて、失って初めて後悔をするのだ……もう遅いかもしれんがな」
そういって柳内君は、ぼくが最後にと思って取っておいた肉を連れ去って行く。いつのまにか彼は皿の上を平らげてしまっていた。
「これでお前との学食も食い収めだな」
文句を言おうとしたぼくは、やけに神妙な柳内君の態度に心配になった。
「仕事、忙しくなりそうなのか?」
「まあ、そんなところだな」
結局彼がなにを言いたかったのか、この時のぼくにはよくわからなかった。
ただ小太りの背中は、いつもよりしゃんとして、ぼくよりも大人びて見えた。
それからしばらくして、柳内君は退学となった。後期分の学費が支払われておらず、連絡も取れなくなったらしい。ぼくからの連絡も通じず、あれほど熱心だったファンクラブにも顔を見せなくなったらしい。配信のコメントに彼のハンドルネームがないかと探したが、ついに見つかることはなかった。
風の噂で、彼の会社は、どこかの大手企業に買収されたのだと耳にした。
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