おかし教室はどこまでも飛んでいく

晴れ時々雨

𓆡𓆜𓇼

奥さんの台所の棚に気になる調味料がある。近所に住む、色々なお菓子の作り方を教えてくれる女の人はおばさんと呼ばれるのを嫌がるのでこう呼ぶ。

しっかり蓋のされたガラス瓶には紅色の粉末と乳白色の粉末が入っている。お菓子には使ったことがないし棚自体独立していて高さがあり手が届きにくい。

他のスパイスより減っていないのであまり使わないのかもしれない。が、なんだか今日はとても美しく見え、奥さんの説明にも上の空で眺めた。

「あれはなんですか?」

「普通お菓子には使わないの」

軽くはぐらかされたような気がした。

「いつ使いますか?」

「…気になる?」

「はい、なんだか今日は」

「そう」

奥さんは思い切ったように棚に手を伸ばした。そして紅色の瓶を取ると光に翳し、粉末をかさかさと鳴らした。

「これは子猫の心臓を乾燥させて顆粒状にしたもの」

もう一つの白っぽい瓶を翳し、

「これは生まれて初めて切った赤ん坊の爪を細かく砕いたもの」

傾いた白い粉末は瓶の中でしゃらしゃらと透き通った音を立てた。

そんなもの、何に使うのだろう。

「何に使うんだって思ったでしょ」

奥さんは表情を変えずに言う。

「だから言ったじゃない。お菓子には使わないって。あなたには関係ない物よ」

奥さんはいつもお菓子の作り方を丁寧に教えてくれる。私が慣れなくて失敗しても根気よく付き合ってくれる。そんな人らしくない、突き放した言い方だった。

「綺麗なんだもの」

私がつい拗ねたようなトーンを出してしまうと、奥さんはため息をつきながら言葉を継いだ。

「そうね綺麗よね。ほとんど意味なんかなくても持っていたくなる」

煤けた紅白の瓶を両手に持ち、目の前に近づける。

「これはね、実は毒なの」

「え?」

「一振りした物を食べると死んでしまうのよ」

そう言って二つを棚に戻した。

「さ、続きを。メレンゲがダレてしまうわ」

硬く立てた卵白に沈む泡立て器を持ち直し再び撹拌する。

立体的に膨張した卵白を手動で掻き混ぜながら、奥さんが紅色の粉をボウルに振り入れるところ想像する。ほんの少し柔らかいピンクに色付いた殺人メレンゲがもりもりと泡立つ。

紅白の粉末はまだ沢山入ったままだったけど未開封じゃなかった。


訳あって死んだ子猫の心臓を洗濯ロープにずらりと並べて干す日はきっと曇っている。小さすぎてぽちぽちとしか鳴らなかった心音が風に揺れて乾いてゆく。初めての爪切りをした赤ちゃんは掴まれた自分の手をじっと見つめ猫ではない何かになる。

あの瓶には私の爪と奥さんの爪も入っているのかもしれない。


老婆に擬態した魔女が乳鉢ですり下ろした爪と心臓がざらりと足の裏に触り、昔父と母と旅行した海岸に敷き詰められた星の砂の感触を思い出した。ピンクの砂が珍しくて大喜びしたあの浜が貝と珊瑚のばらばら死体だなんてその時は誰も教えてくれなかった。素敵な味がするんじゃないかと、私はこっそり食べたのだ。


ボウルを一掻きするごとに回る遅効性の毒。

私が母に似なくなったのも身長が止まったのもそのせいかもしれない。

時計の針をどんどん進める。どんな風に苦しむのか、どんな風に死ぬのか、おいしいお菓子よりずっと、ずっと出来上がりが怖くて楽しみ。

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