縁遠い恋

高田"ニコラス"鈍次

第1話

遠藤さーん

遠藤憩さーん


病院の待合室や、銀行で名前を呼ばれるたび

私は恥ずかしくてたまらなくなる


そして…こんな名前をつけた両親を恨む


遠藤憩。38歳。独身。職業フリーライター。これといった趣味はない。

勿論、浮いた話しは一切ない。


名は体を表すというが

遠藤憩…

縁遠い恋…


決して名前のせいではないと思うが

これまでモテるという経験をした事がない


ところが…


最近やっとモテ期というやつがやってきた

いやいやリアルの世界じゃなく

2次元の世界なんだけどね


半年くらい前から

私は副業でチャットレディを始めた

同じライター仲間から誘われたのだ

『空き時間に適当にできるわよ。しかも憩は一日パソコンの前にいるんでしょ? だったら、もってこいだと思うよ』


『えー…でもあれって、テレビ電話みたいなんでしょ? こんなオバサン需要なんかないと思うけど…』


『大丈夫。私だって顔出してないもん。ただちょっとエッチな会話に声だけでお付き合いするだけ。勿論顔出しの子も居るけど、若いならまだしも、恥ずかしいじゃない? 』


友人は言う


『熟女っていうの?私達(笑) 落ち着いた声がセクシーだ、って、そういう男性も結構いるのよ。憩はいい声してるから、結構ニーズあるんじゃないかな』


『えー、そうかな…』


私は確かに声だけは褒められたことがある。

ただ、顔見てガッカリされちゃうんだけどね


まあ顔が見られないなら…

嫌だったら辞めればいいんだし…


ものは試しではじめたチャットレディだったけど、確かに空き時間にやるにはもってこいの仕事だった。

ただ頷いて、御相手が言って欲しいというセリフを言ってあげるだけで…

男ってほんとバカだわ

こんな普通のオバサンなのに

ハーハー興奮しちゃって…


でも

私は満更じゃなかった

こんなに異性からチヤホヤされた経験は

これまで一度もないのだ

しかも今では、本業より稼げてるくらいになっている。


今日も朝から、昨日の夕飯の残り物で軽く食事を済ませパソコンの前に座り、ヘッドセットを付ける。


勿論会いたいとアプローチされることはあるよ。でもそれは絶対だめ。だって…顔見た途端に顔色変わるの、何回も経験してるから…


でも…

一人だけ…

たった一人だけ…会った事があるんだ



その男性は常連客の一人だったんだけど

その中でも紳士的で、私に無理強いすることなく、ただ会話してるだけで癒されるんだ

そう言ってくれるから、私も安心して会話する事ができた。そしていつしか、私の悩み事なんかも聞いて貰えるようになっていた。

恋心のようなものが芽生えるのは、むしろ自然な事だったのかもしれない。


ある日その男から提案されたの。

どうしても会って欲しい。そして僕の耳元でラブレターを読んで欲しい。勿論、顔を見られたくないなら、僕はずっと目隠ししたままでいい。どうか僕の耳元で、この手紙を読んで欲しいんだ…


悩んだわよ

だって…顔見られたらきっと嫌われる

でも…どんな人なんだろう…

私自身も好奇心に掻き立てられていたし


じゃ顔を見ないこと約束してくれるなら

という条件で、私はその男に会いに行った。


丁度梅雨の合間の

日差しが暑い平日の午後

紫陽花が綺麗に咲きほこる公園を抜け


指定された場所は

郊外のラブホテルだった。

はじめは危険を感じたわよ

だって…

何もしない、ただ声を聞くだけとはいえ

男の人って分からないでしょ?

でも…それでもいいか、って

もう1人の自分がそう言っていた。


201号室。フロントに伝えてくれたら、鍵が空くからそのまま入ってきて。僕は目隠ししたままで待ってるから…


心臓が高鳴る

こんなにドキドキするのは

何年ぶりのことだろう


私は恐る恐る201号室の部屋のドアを開けた


「やあ。いらっしゃい」


いつもの聞きなれた声


でもいつもと違うのは

男は一糸まとわぬ姿で、ただ目隠しをしてベッドサイドに座っている


男の人の裸を見るのも久しぶりだし

まして…そそり立つものを…


「はじめまして。あ、でも顔が見えないからはじめましてというのも変ね」

私は恥ずかしくて声が震えていたと思う


「来てくれてありがとう。僕の横に手紙があるでしょ? その手紙を読んで欲しいんだ。さあ、こっち来て」


私は、男の隣に座って手紙を手に取った

黄ばんだ封筒が年輪を感じさせる

ずっと大切に取っておいたものなんだろう


私は、封筒から手紙を取りだし読み始めた


あなたへ。


そう始まる手紙は、これから親の都合で離れ離れになってしまう、この男の彼女からの熱くてやるせない気持ちが、連綿と綴られていた。若い二人の情熱的な恋物語。でも決して成就しない情念の籠った筆の綴り…


私はそのラブレターを、心を込めて読んだ


そして男は

私の声を聞きながら

恍惚の表情を浮かべ、そして果てた

白濁した液体と

生々しい匂いが部屋に充満する


私は手紙を封筒に戻し

ふと差出人の名前を見た


遠藤憩


心臓が一瞬止まったように思う。


私は怖くなって

部屋を飛び出していた。


「ねえ、ちょっと待って…」

男の声を背中に聞きながら…


そして

紫陽花が咲く公園を通りかかろうとしたとき

ふと男の声が聞こえたような気がして

立ち止まった


「行かないで。お願い。そばにいて!」


紫陽花の花言葉は「移り気」


私は来た道を引き返し

足は自然と201号室に向かっていた


遠藤憩という女性に

二度も去られるのは余りに酷い…

そう思ったのだ


その後のことは…また今度話すわね


でもその男とはもう二度と会ってないし

チャットルームに来ることもなくなった


今でも時々どうしてるかな、って思うけど

連絡先も、本名も、何も知らないから


パソコンの電源を入れる

見知らぬ男からのチャットの申請が入る

「おはようございます」


今日もまたいつもと同じ一日がはじまる。








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