怪奇異譚
@Ryuzeturan
第1話
はあ……はあ……と暗闇に荒い息遣いが木霊する。ここは東京某区の廃工場、こんな時間に誰かが踏み入れるなんてそんなことはあり得ない場所だ。
「あり得ないあり得ない、こんなの認めないっ。」
右肩を庇いながらびっこを引いて歩く女性がこの声の主のようだ。服は切り裂かれその機能を最低限しか保っておらず、彼女の持つ絶妙なプロポーションをこれまでかと視覚に殴りつけてくる。だが、悲しいかな、これが廃工場でなく深夜のストリップバーであったらどれほどの興奮と熱狂を呼ぶことができただろうか。
「くっ…携帯も繋がらないしサイアク。」
いらつきが相当溜まっているようで、電波状況が最悪な携帯電話を地面に叩きつけようと大きく振りかぶろうとする。だが寸でで理性を取り戻したのか思いとどまった。
ペタッ……ペタッ……、彼女の背後、工場の奥から何かの足音が聞こえる。その不可解な音を聞いた彼女はヒッと息を詰まらせ動きの悪くなっている足を何とか前へ前へと進める。
その姿は捕食者に目を付けられた芋虫が精いっぱい藻掻こうと体をくねらせる姿と酷似している。
足音の間隔が段々と短く、そして大きくなってくる。追ってきているのだろうか、それに気づいているからか今倒れこみそうになる弱った精神と体に鞭うって彼女は悲壮感と焦燥を顔に浮かべて、本人は走っているつもりなのであろう滑稽で奇妙な動きをさらに激しいものにしている。
「なんで、なんで私がこんな目にッ……。」
顔を引き攣らせながら泣き言とも恨み言とも捉えられるどす黒い感情をにじませた声でくじけそうな心をどうにか保たせているようだ。
ペタッペタッ、さらに足音は近づいてくる。その距離はもう100メートルもないだろう。このままでは追いつかれてしまうだろう、そう分かっているというのに彼女の足は一向に前に進んでいかない。
「ヒッ……ヒッ……。」
折れた、心がもう折れてしまったのだ。恐怖で屈辱で、ありとあらゆる負の感情が彼女の最後の砦であったプライドを完全に砕き散ってしまったのだ。今までその精神で保ってきたものがすべて崩れ去り、もう一歩も前に歩く気力を持っていかれてしまったのだ。
ズルッ…ズルッ…、何かを引きずる音が廃工場に木霊した。
「被害者はB級退魔士、現場に残された留意物から旧株式会社鳴無工業の捜査時に失踪したものと合致しました。」
ここは警視庁怪異対策課、退魔士と連携し日夜発生している怪異に立ち向かっている表には知らされていない機関だ。
「該当怪異と依頼内容は。」
「地域開発の為廃工場の撤去、そこに住み着いた怪異の祓いが依頼内容だったようだ。」
「依頼者は地主?それとも地域開発会社?」
こんな感じで今回起きた退魔士失踪事件の黒幕や怪異の推測だったり、これ以外にも捜索班の結成や外部依頼を行うのは仕事だ。
「柳田君はどう思うのかね。」
俺に話が舞い込んでくる。俺の立ち位置は退魔士視点から怪異の推定と人員量の調整を行うもの外部のものというものだ。非常勤的な奴だと思ってもらえば幸いだ。
「そうですね、彼女の祓い方がどのようなものだったのかの資料が少ないので何とも言えませんが、B級一人だけでは歯が立たない相手だということは念頭に置かなければなりませんね。」
だからまずは黒幕の想定よりその怪異をどのように討つかに考えを集中させる必要があるだろう。
「今出動可能な人員はどれ程でしょうか。」
「C級が25人、B級が11人、A級が2人ですかね。」
そうだな、B級5人とC級10人いれば大丈夫だろうか、先に下見をさせる部隊を組ませないといけないだろうからまだ何とも言えないが。
A級はおいそれと使うことができない、個人依頼の方で忙しいからだ。企業から表向きにできない依頼を叶えるのに一日を消費するのが彼らの日常だからだ。もしかしたら今回の退魔士も中小企業クラスの財力がギリギリで雇ったものなのかもしれないな。
「まずB級5人でその工場に偵察を、C級10人で辺り一帯を封鎖しましょうか。」
「柳田君はどうするんだね。」
ああ、行けってことか。まあそうですよねB級に行けと言っておきながら俺だけ待機は許されませんもね。
「そのB級の一名に加えておいてください。」
「ああ分かった、期待しているよ。」
怪奇異譚 @Ryuzeturan
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