第33話 誰がための能力(後編)
急いては事を仕損じる。そう言い聞かせながらも、逢沢は速やかに、そして着実に計画を進めていった。
とりわけ彼が重要視していたのは、超感覚研究所との繋がりである。アオの能力を詳しく分析するためにも、法に触れることなく特定の人間を排除するためにも、研究所の協力は必須だ。
誰にも疑問を持たれることなく、少しずつ、少しずつ人脈を広げていく。
逢沢が芸能事務所としての会社を設立し、能力を使用したイベント事業、という名目で研究所との取引を開始した直後、アオの能力の本質が判明した。
それは断絶だ。
アオの歌声によって引き起こされ、彼女に関する情報と、脳との間にあるはずの繋がりがなくなるというもの。そこに声帯の振動は関係なく、ある一定の抑揚とリズムを持った声であれば「歌声」と判定されること。
このことを知り、逢沢は興奮に打ち震えた。クロがその能力を強めることで起こり得る未来を想像して。
(アオが自身の能力を認識する前にこれを知ることができたのも、幸いだな)
「クロ。バンドの調子はどうだ?」
「うん、上手くいってると思うよ。アオは曲を作るのも上手い」
「……よく頑張っているじゃないか。そうだな……年に一度なら、良いだろう」
「え、何が?」
「君が望んでいたことだ。言うなれば、君たちは織姫と彦星。年に一度だけなら、キスをしたって良い」
逢沢の言葉に、純粋な少年はぱっと顔を上げる。
「……っ、ほんと?」
「あぁ。だが、そうだな……みどり、いや。毎年、アカネが許可を出したらにすることだ」
「アカネが許したら? どうして?」
「考えてごらんなさい。アカネの気持ちを」
軽く俯いたクロは、アカネのことを考える。
彼女がクロに向ける視線、言葉。そこに含まれている感情を。
彼は気づいているはずだった。
「……うん、わかった」
青と、黒。
そこに、緑が入り込むためには。
(……違うな)
青と緑ではなく、
中身だけを、入れ替えるように。
約束も、大切なものも、何もかもを。
「“逢沢さん。アオちゃんの能力が、みどりから碧色を奪うのです。この女の子、アオちゃんの居場所を教えてください”」
アカネに手渡された写真に触れる。アオの今を見る。
周りからの評価がどれだけ高くても、自分はまるで納得していない、歌うたいの女の子。マイクの前で、今日も希望の歌をうたい続けている。いつか、誰かの心に届くようにと――。
アカネは毎月、逢沢にアオとの繋がりを知らせる。
アカネは毎年、クロにアオへの口づけを許可する。
これは保険だ。立場上、逢沢がアオの歌を聞くことは避けられない。だから、アオを忘れてしまっても、彼女への憎しみだけは失くすことがないように。
みどりから何かを奪うなら、たとえそれが知らぬ人間だとしても、許すことはできないから。
想定外のことが起きたのは、COLORFULのメンバーが高校三年目を迎えた夏の日だった。
東京都渋谷区某所。日本各地の大きなライブハウスを巡るツアーの最終日。
大人気バンドとして成長していた彼らのライブチケットは、即日完売となっていた。
ライブ前の緊張感と、ステージ脇で組まれた円陣。
昔から変わらぬそのルーティーンに近頃、妙な握手や抱擁が混じっているな、と逢沢は気づいていた。が――
(あの馬鹿……)
どさくさに紛れるようにして、アオに口づけをしたクロ。
他のメンバーからは見えない角度を意識していたようだが、逢沢からは見えていた。
もう既に、アオの能力は、自身の記憶を失わせるのにあと一歩、というところまできている。
ここでアオを忘れるわけにはいかなかった。
逢沢はその日、彼らのライブを見ることなく会場を後にした。
翌日、能力の影響を確認し、それが中途半端なものであることを知る。アオの歌を少し聞いたくらいでは、アオの記憶を完全には失わないという程度の。あるいは、きっかけがあれば、アオのことを思い出すという程度の。
このままでは混乱を招いてしまう。早急に、みどりをボーカルにし、その立場を確実なものにする必要があった。
アカネの能力による保険をかけておいたのは正解だったと、逢沢は安堵の溜め息をつく。
アオを世間から切り離しながらも、自分は目的のために動くことができる。
幸い、普通に生活をしていればCOLORFULを聞かない日はない。多少の出費は必要だが、プロモーションはかけやすかった。
もともとみどりはボーカルになることを望んでいたし、周りもそのことを知っていた。そのこともまた、失った記憶に対する違和感をなくすための一助となる。
「“逢沢さん。アオちゃんの能力が、みどりから碧色を奪うのです。この女の子、アオちゃんの居場所を教えてください”」
アカネに手渡された写真に触れる。アオの今を見る。
殺風景な部屋でひとり、涙を堪えている女の子。彼女がアオという人間であることを、逢沢は曖昧に思い出す。
「終わりましたか? 写真、返してください」
言われた通りに写真を返すと、アカネは、バンドスコアのあるページを開き、大切なものをしまいこむように挟んだ。
逢沢以上に、アカネはアオに関する記憶を失くしている。
それでも彼女は、逢沢とアオを繋げるこのバンドスコアの存在を忘れない。それゆえに、伝える言葉も変わらない。
なぜなら、アカネはここに、アオとの関連性を認識していないからだ。楽譜の通りに動くアカネにとって、能力が言わせる「アオちゃん」という言葉は、ただの記号でしかない。
そして一年後、クロの口づけによって、世間はCOLORFULのボーカル・アオを忘れた。
ここからは、アオの歌を聞くことがない。
逢沢はただ、新しく構築されたアオという人間への恨みだけを重ねていく――。
最後のピースを得るためには、アオにはある程度、自主的に動いてもらう必要があった。
必要以上にアオを忘れてしまわないよう、以前のアオの歌は残していない。だが、計画を実行するためには彼女の歌を手に入れなければならない。
それも、能力について警戒しているであろうアオが、自然に差し出す形で。
自身の能力が人の記憶に関わるものだと気づけば、アオの向かう先は超感覚研究所しかないとわかっている。彼女が研究所を頼ったときのため、逢沢は事前に指示を出していた。
ひとつは、声を発することへの抵抗感を少なくさせるというもの。
一定の抑揚がつくことで、アオの声は歌声であると判定される。
よって、淡々と話すことで、意図せぬ能力の発動は抑えられるのだ、と。だから、淡々と話してさえいれば問題はないのだ、と。
彼女がそう安心できるように。
そしてもうひとつが、大学へ行くことを勧める、というものだ。
今のアオは自分の能力を恐れている。どの大学へ入っても問題はないが、アオが気を許し、隙を作るためには仲間を持たせるのが手っ取り早い。
これはアオ自身も望んでいたということもあり、たった一年間の浪人生活だけで、彼女は大学への入学を果たした。
(まさか、ここまでこちらに有利なサークルに入ってくれるとは思わなかったが……これも運命というものだな)
トウカをはじめ、サークルのメンバーは良いはたらきをしてくれた。
さすがにトウカ以外の手が届くところに自分の歌を置くようなことはしなかったが、問題はないと逢沢は思っている。
そう、淡々としていても良い。歌でなくても構わない。
……そう。たとえば、アオの話し声を録れさえすれば。
渡辺の触れている空気が、渡辺が聞いている音の形に波を作る。
音を伝える。
空気に、世界中に。
世界との繋がりを失ったひとりの歌うたいは、それを自覚する。
はたして、その表情を知ることができる人間がいるのか、いないのか。
「……同じ空の下にいる、か。本当に、素晴らしい言葉だ」
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