第28話 色褪せた世界で

 「かんぱーい!」


 音楽スタジオ『horen』のロビーに、楽しそうな若者たちの声が響く。

 相変わらずスタジオ利用客はいない。のんびりとネットサーフィンを楽しむ店長の渡辺の前で、この場は学祭を終えた作曲サークルの打ち上げ会場と化していた。


 一浪生のアオも酒を飲める年齢になっていはいたが、飲酒の誘いを「明日は片付けがあるでしょう?」と断り、ひとりパックジュースを抱え込む。

 長いストローを使い、ずずっとジュースを飲み込む彼女を中心に、五人はしばし、歓談に興じた。


 その話を切り出したのは、トウカだった。

 出前で頼んだ寿司やピザをあらかた食べ終え、それぞれが買い込んだスナック菓子やつまみに手を伸ばしはじめると、彼女は視線を一度岸の方に向けて、コホンと咳払いをする。


「あの、ね。大事な話があるんだけど」


 いつになく真面目な表情のトウカに、アオは背筋がすっと寒くなるのを感じた。


 そうして四人が注目したことを確認すると、トウカはぽつぽつと話し始める。

 自分とアオの能力について。

 そのバランスが崩れてきている気がするということ。

 岸から聞いた、他者の能力に影響を与える能力の話。


「今思うとね、多分、夏休みの途中くらいからおかしかったんだよね。……アオ。わたし、ちょいちょい、アオとした話を忘れてたでしょ?」

「ええ……まあ、そういうことは何度かあったわね」


 問われたアオはそう頷くが、そういうことはよくあるものだ、と納得できる範囲だと思っていた。が、大したことではないといった様子のアオにトウカは首を振る。


「駄目だよ、アオ。他の人ならともかく、アオは――」


 トウカが明言しなかった言葉の続きを、アオは正しく理解する。

 たとえそれが他愛のない会話だったとしても、“忘れる”という対象がアオに向かう場合、他人のそれとは全く違う意味を持つ。トウカが真剣になるのも、当然の話だった。


「ね、『能力が意図しない動きをするなら』?」

「……他の能力が関係している?」

「そう、だから昨日、岸さんに相談したんだ。能力自体は普通に発動してるから、わたしの能力が弱められているか、アオの能力が強められているか。その可能性が一番高いって」

「そういう能力があるの?」

「わからない。でも、ないとは言えない」


 岸の言葉に、全員が頷く。ないと言い切るためには、すべての能力持ちについて知らないといけない。それは悪魔の証明だ。

 それに、と岸が続ける。


「アオの歌、完全に流されなくなったのは、去年の夏になってからだって、言った」

「えっと、つまり……そのときと今とで、私の能力が強められたかもしれないと、そういうこと?」

「うん。それにね、わたし、夏の間はここのメンバーとしか会ってないんだよ。ねえ、アオは? 何か特別なこととか、なかった?」


 その言葉に、フジサキがはっと顔を上げた。それから考えるように眉根を寄せ、「儀式って、そういうことか……?」と口の中で呟く。何、とアオが問おうとしたところで、フジサキは大きく息を吐いた。


「……アオ。あれじゃないか?」

「あれ?」

「阿佐ヶ谷に行ったときの……その、俺が言って良いのか?」


 何となく言いにくそうなフジサキの様子に、あ……とアオは声を漏らす。


「クロの、キス……?」

「な、何それっ!?」


 驚いて身を乗り出したトウカに、フジサキは話の脱線を感じたのか、彼女を目で制す。


「あのとき、アカネは言っていた。これは儀式みたいなものだ、と。それに、彼女がわざわざ『年に一度』と言うこともおかしいと思っていたんだ。去年にも、同じようなことがあったんだろう?」

「……。それは……」


 去年どころじゃない、そう言いかけて、アオは過去を大事にするために黙り込む。


 ショックだったのだ。

 去年の夏までは完全に忘れられたわけではなかったから、会うことも、あの約束が続くことも、当然だと思っていた。思おうとしていた。


 それでも、不安は容赦なく押し寄せてくる。


(もし、クロの能力が岸さんの予想通りなら、私……)


「どうした?」

「……いいえ。考え過ぎね」

「駄目だ。考えられるということは、可能性があるということだ」


 珍しく強い口調の岸。能力を制御できていないのか、薬のような、変な匂いがする。


 そこに込められた思いに気づいて、アオは観念し話しだす。クロとのことは、十年くらい前から続いているということ。さすがに今年は驚いたが、毎年のことだから、去年までは当たり前だと思っていたこと。


「彼とは、付き合っていたとかではなくて……まぁ、好きではあったけれど。バンドもあったし、お互いそういう関係になるつもりはなかったから」


 アオはそう言いながら、ふと、この前テレビで見たみどりのことを、あの眼差しを思い出す。


(私は、みどりに恨まれているのかもしれない)


 あの頃のアオは、みどりが持っていないものを全部持っていた。

 仕方がないだろう、とアオは思った。自分だって歌が好きで、自分の方が上手にうたえたのだから。

 クロとのことだってそうだ。

 みどりがクロを特別な感情で見ていることに、アオは気づいていた。

 けれども明らかに、クロはアオを見ていた。だからこそ、彼が自分の能力を強めているということが信じられない。信じたくなかった。


 それももう、今となっては意味のないことだ。

 幼い頃からの大切な記憶まで、崩れていくようだった。


(……待って)


「幼い、頃から……? どういうこと? 私の能力が発動したのは二年前よ?」

「あいつに強められたって言うのであれば、最初は気づかない程度の能力だったんじゃないか?」

「今のトウカが、まさにそれ」


 アオと目が合うと、トウカは寂しそうに微笑んだ。


「なら、本当に……」


 確かに、考えてみれば、思い当たる節はあったかもしれない。再び黙り込んだアオに、今度は会長が声を掛ける。


「アオ、初めからそうだったとは限らないよ。毎年の話はたまたまで、あとからそれを利用するようになったのかもしれないし。まあその場合は……」

「能力を使っていたのは偶然ではなく、故意だということね」


 ずっと、クロはアオの能力を強めるためだけに動いていたのだろうか。そっと目を伏せたアオを、岸が気遣わしげに見た。


「昔のことを憶測で話すのはやめようか。これからのことを考えよう」


 会長の言葉には頷くが、正直なところ、アオは何も考えられなかった。

 過去のこととして切り離そうにも、彼らとの繋がりは深すぎた。いくら「思い出」として残すことができなかったとしても、簡単に捨てられるようなものではない。

 アオにとって幼馴染というのは、そういうものだった。


 だけど、きっと。

 彼らにとっては違うのだ。自分たちの夢を叶えるためなら、世界中を味方につけることだってするだろう。


 喉の奥が、ずきずきと痛む。


「……ねぇ」


 なんとか絞り出したその声は、笑える程に掠れていた。

 失うのが怖いなら、大切なものなど作らなければいいのに。それでも、手を伸ばさずにはいられないから。


「世界中が敵になっても……私の味方で、いてくれる?」

「勿論! 味方になる――じゃなくて、とっくに味方だよ!」


 トウカの勢いに、アオは一瞬ぽかんと口を開けて、それから微笑みながら首を振った。


「……いいえ。本当、おこがましいわね。世界中が敵になるなんて、あり得ないのに」


 世界は言う程、個人に興味を持たない。

 それは、有名人だったアオに対しても同じことで。


 けれども、世界へ飛び立つようになったCOLORFULが何をするかはわからないのだ。


「アオ……」

「そうね。私は、この世界に存在していたい。選択されない私のままで、いたくないわ」

「大丈夫だ」


 岸が胸を張った。そうならないように研究すると請け負ってくれる。

 フジサキもしきりに頷いている。

 会長も笑顔だ。その笑みはくしゃりと歪んでいて、今にも泣きそうに見えた。それに気づいたトウカが笑う。


「かいちょー、意外と涙もろい?」

「そういうんじゃ、ないよ」


 トウカにからかわれて、会長はふいっと顔を背けた。その隣では、フジサキが唸っている。


「これから、か……。プロジェクトでも立ち上げるか?」

「プロジェクト?」

「あぁ。このメンバーで、曲を作るんだ。バンドじゃないからプロジェクト。アオがちゃんとここにいることを証明するために。アオも、ちゃんとうたうんだ」


 どうだ? とフジサキが問うと、真っ先にトウカが反応する。


「良いねぇ! わたし、アオの歌をたくさん録るよ!」

「やろう」

「じゃあ、僕はトウカにもっと色々教えないとね」

「ありがとう、みんな……。そうね、私、うたうわ」

「よぅし! じゃあ、名前は『monochrome』にしよう! プロジェクトmonochrome、どうかな?」


 ――鮮やかな世界が碧色を選ばなくても、モノクロの中に入っちゃえば、変わらないでしょ?


 そう言ったトウカに、誰も異を唱えない。反対されることはないだろうと得意げな彼女に対して、アオは「そんなすぐに、よく思いついたわね」と、呆れたような、感心したような、いつもの調子で笑った。


「当ったり前でしょ! わたし、ポエマーなんだから!」

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