第27話 青い秋

「俺、ファンになる! いや、なった!」

「あ、ありがとうございます……」


 フジサキの友人だという男子学生が、アオの手をがしっと掴んで上下にぶんぶん振っている。それを受けて、アオは困ったように、それでも照れくさそうに微笑んだ。


「おい、アオが引いてるぞ」

「違うのよ、フジサキ。嬉しいわ」


 アオがそう言うと、フジサキの友人はまた歓声を上げる。


「いや、ホントすげえよ! この前フジサキに聞かせてもらった時にも思ったけどさ。俺、外でもバンドやりたいと思ってて。こういうエモいメロディっていうの? グッとくるような曲を作れるの、尊敬するわ……」


 トウカはその様子を、少し離れた椅子に座って眺めていた。

 まるで我が子を見守る親のように、自然に出てきた喜びを噛みしめる。

 このようにして、アオが他人に認められていくことが嬉しかった。二年前までの名声には遠く及ばずとも、彼女が受けるべき称賛を、少しでも多く取り戻したかった。

 それだけのものを、アオは持っているのだから。


 学祭二日目。作曲サークルの展示を行っている教室は、のサークルにしてはかなり賑わっている。

 フジサキの現代音楽にはじまり、超感覚との融合、岸のユーモア溢れるセンスで作られた曲、会長の作る若者が好む電子音楽。バラエティに富んだ曲たちが人々の足を止めさせ、アオの類まれなる才能が、彼らの心を掴んで離さない。

 本当に、良いバランスだ。と、トウカは思った。


 展示を訪れる人の波が引いてきたところで、トウカはアオを連れて学祭を回ることにした。

 しかし、普段のキャンパス内はともかく、こういう日のキャンパスでは歌声に触れる機会が多い。ヘッドホンは必須だ。

 アオは、隣を歩くトウカがヘッドホンを着けることを、当たり前に受け入れている。トウカが気負わないように、その気遣いを気取られないようにしている。

 そのことに、トウカは気づいている。


 写真研究会の展示を見たり、屋台でフランクフルトやポップコーンを買ったり、メインステージのビンゴ大会に参加したり……。

 トウカはその合間合間でノートを取り出しては、新しい詩を書く。

 笑顔がそこかしこで弾けている。この子供と大人の狭間にいる学生たちが持つ独特の熱気は、学祭の非日常感を、更に増して見せていた。


 目の前の喧騒が、トウカの耳に届くことはない。それでも、浮き立つ空気が、さわさわと皮膚を撫でるのをトウカは感じた。

 そういうとき、トウカの頬はだらしなく緩む。


 少し歩みが遅れていたらしい。振り向いたアオが、トウカの顔を見て一瞬、呆れたように眉を上げる。

 それから、涼やかに目を細めて何かを言った。


「た・の・し・い・ね」


 開いた口は、そう言ったように見えた。


 どこかから、奇抜な色や模様のシャボン玉が飛んでくる。

 きっと、誰かの能力がそう見せているのだろう。


 特別ではない、特別ではないのだ。

 ここには能力を持っている人間がたくさんいて、自分はそのうちの一人でしかない。それでも。

 目の前にいるアオの、その笑顔の一部を自分が作りだしているのだと考えると、それはとても特別なことに思えた。




 二日目が終了し、サー室に集まった面々。アオとトウカがビンゴ大会でもらってきた駄菓子を食べている。


「そうそう、明日の打ち上げなんだけど。いつも通りうちで良いかな? で、それはそれとして、せっかくだし後日どこか出掛けるのもありかなって思うんだけど、どう?」

「うん、明日はスタジオで良いんじゃないかな? 出掛けるのも良いねぇ!」

「あり」


 岸に続いて、フジサキも頷く。一同がアオに視線を向けると、彼女は軽く折った指の関節で、こつんこつんと顎を叩いていた。


「どこかに行くなら……紅葉狩り、とかどうかしら?」


 全員の顔を見回してから、トウカに視線を止めるアオ。何だろう、と思い、トウカは首を傾げた。


「ほら、前に話していたでしょう?」

「え? 紅葉狩り? いつ?」

「吉祥寺に行ったときよ。花見の話をして、それならまずは秋のイベントが先よねって」


 トウカは更に首を傾ける。傾けすぎて、項垂れているようになった。


 花見の話は覚えている。

 街並みの話になって、北口の商店街、公園近くの通り……と話が移ったところでトウカが言い出したのだ。

 そこで来年の話をしたことまで覚えているのに、どうしてか、秋の話を思い出すことができない。


「まあ良いわ。で、どうかしら? 高尾山なら近いし、まだ見頃でしょう?」


(……おかしい。最近、アオと話したことを忘れてることが多い)


「うん。良いんじゃないかな」


 アオも気づいているはずだが、彼女は何も言わない。そのことが逆に、トウカを不安にさせる。

 違和感が膨れ上がる。


「東京とはいえ、もう山は寒いだろうな」

「そうね。防寒対策はしっかりしないと」


 ふと、視線を感じて顔を上げる。岸が、じっとこちらを見ていた。


「ほらほら、その話は打ち上げの時に。まだ明日もあるんだから今日は閉めるよ」


 そう言って、会長はサー室の鍵をちゃらんと鳴らしながら、全員を追い出す。

 追い出されながら、トウカは岸の服の袖を掴んだ。


「岸さん、ちょっとだけ話、良いかな……?」

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