第25話 夢と羨望と嫉妬(岸の場合)

 無機質な内装のエレベーター。

 行き先階ボタンの上に表示される数字が、少しずつ大きくなっていく。


 岸は、ガラス張りの壁から下方に流れる吹き抜けを見下ろしていた。

 どうせガラス張りにするのなら、外壁に面した場所に設置すれば良かったのにと、ここへ来る度に岸は思う。広大な敷地に建てられた建物はどの棟もそれほど高くないが、なだらかに広がる多摩丘陵が見えるはずだ。


 超感覚研究所日本本部。超感覚に関する研究と管理を一手に担う機関である。

 そしてここが、岸の就職先であった。

 夏の間に所属が決まり、現在は準研究員のような立場でここへ通っている。


 エレベーターを降りると、吹き抜けをぐるりと囲うこれまた無機質な廊下を通って反対側、「kobayashi」と書かれたネームプレートの下がっている扉をノックする。返事はない。が、岸は構わず扉を開けた。


「おはようございます、室長」


 基本的に役職を持つ者は、名前と役職名を合わせて呼ばれる。この場合であれば「小林こばやし室長」と呼ぶのが正しい。

 岸は滑舌が良い方ではあるのだが、この「小林室長」という言葉を無臭で発することが難しかった。岸にとっての室長は一人であり、当の小林が許可を出したため、彼は「室長」とだけ呼ぶことにしているのだ。


「ま、わたしはその匂い、結構好きだから。キミの好きに呼んでくれて構わんよ」


 そう小林は言っていたし、実際、岸もそれには同感だった。けれども、さすがに室内で藁を燃したような匂いがするのは、火事と間違えそうで精神的に良くない。岸がそう言うと、小林は「はっはっは、そりゃあ確かに、ありそうだ!」と、大きな声で笑ったものだ。


 そんな豪胆な女性が室長を務めるこの研究室は、実は、小林と岸の二人しかいない。新設の部署なのだ。

 物が少ない割に、本棚や引き出しにしまわれていない本や書類が、この部屋を既に雑然としているように見せている。パーテーションの奥から聞こえていた、カタカタとパソコンのキーボードを叩く音が、一瞬止まった。


「岸くん? おはよう。……悪い、ちょっと待ってて」

「書類、片しておきます」

「あぁ頼んだ」


 そして再開されるタイピング音。急ぎで処理しなければならない案件があるのだろう。

 新設ゆえにワークフローが確立しておらず、小林が慌てている姿を何度か見ていた。岸にできることがあれば頼んでくるはずなので、今回は違うようだ。目の前に散らばった書類に目を通しながら、大まかに分類していく。


 この研究室に所属が決まり、岸は夢に一歩近づいた。これからは、その夢を現実にするために動くことができる。


 身近なところにアオやトウカという難しい能力持ちがいることで、岸の夢に対する思いは更に強まっていた。

 能力も、性格も、あの二人の相性はとても良い。しかし、だからこそ、危うさも感じる。

 ……二人の関係は閉塞的すぎるのだ。自己完結してしまう自分よりよほど、二人というものは不健全だと岸は思う。


(能力の問題には、能力をぶつけるしかない、か……?)


 研究所には様々な超感覚のデータがある。幼少期の岸のように、常に研究所のサポートを必要とする人もいれば、反対に、研究に協力するような人もいるのだ。

 そうして集まったデータを利用して、個人に対するサポートというよりもむしろ、社会全体でそういったシステムを構築する。そのたたき台を作るのが、この研究室の役割だ。いずれはもっと大きな部署になるだろうと、小林も岸も考えている。

 岸は、その第一案である「子供の能力持ちに対する自治体のサポート」に関する草稿をパラパラとめくった。


「……待たせたね」


 しばらくすると、パーテーションの向こうから三十代半ば程の女性が出てくる。背中まである髪を無造作に後ろで縛り、薄いボーダーのワイシャツをパンツに入れて、きっちりベルトを締めている。そこまで見るとキャリアウーマン然としているが、その足元はふかふかなスリッパだ。


「あぁ、そろそろこの辺りに着手しないとだ」


 小林はそう言って、岸が整理した山から書類を取った。その手には、絹の手袋がはめられている。


 手で触れた生き物を自分と同じ体温にする。

 それが、小林の持っている能力だ。


 彼女の子供が赤子の頃、感染症によって出た高熱が中々下がらず、慌てていたところで発動したらしい。「そのせいで普段は手袋必須になったんだから、後先は考えるもんだね」と、やはり彼女は笑っていた。


 その話を聞いた時、岸はスタジオ「horen」の店主かつ会長の父親である渡辺のことを思い出した。彼も常に軍手をしている。それまでは機材をいじるからだと思っていたが、彼もまた能力持ちなのかもしれない、と。




「こういうの、あるものなんですか?」

「……他人の能力に影響する能力、か。うん、あるね」


 草稿の後ろの方にあった箇所を指差すと、小林は苦い笑みを浮かべた。そこに書かれているのは、とある能力によって、子供の能力に方向性を持たせてしまおうという、少々推し進めにくそうな内容の案である。

 その内容はともかくとして、数多くある<能動型>の能力の中でも、能力そのものに影響を与える能力が存在するということを、岸は初めて知った。


「まぁ、かなり限定的なものだからね。研究するにも、発動方法や発動対象がおいそれと協力してもらえないようなもんだとか、ざらにあるから。そういうので生まれる問題もあるし、そこをクリアするのが今後の課題だよね」

「詳しく、知る必要がある、か……」

「あっはっは、そうだね。近いうちに行ってみようか」

「……?」

「管理室だよ。交流も大事だ」


 管理室とはその名の通り、膨大な量の超感覚に関するデータを管理している部署だ。確かにここで調べることができれば、能力持ちを守ることにも、活かすことにも繋がる。

 是非、と頷く岸を、小林は少しだけ真剣な表情で見つめ返した。


「研究職ってのはさ、簡単に人の輪から外れてしまうから。キミも気をつけるんだよ。意識的に他人と関わるようにした方が良い」

「はい」


 もう一度岸が頷くと、小林は、今度はニヤリと顔の右半分を歪める。


「ま、能力のこともあって自覚してるみたいだから、しばらくは大丈夫だろうけどね」

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