第20話 飴玉に映る声

「あれ、フジサキは?」

「少し出てくる、って外に。すぐ戻るって言ってたわよ」


 運営委員の打ち合わせから戻ってきた会長の質問に、アオがピアノを弾く手を止めて答えた。


「そっか。ま、去年とそう変わらないし、彼は後で説明すれば良いや」


 会長は納得し、定位置――ソファ、トウカの隣――に腰を下ろす。


「じゃあ、ちょっと早いけど、学祭の話を始めるよ」


 三日間の学祭期間、メインステージは常に何かしらのパフォーマンスが行われる。そのタイムテーブルの中で、BGMが必要なステージは八つ。ステージによっては複数曲を希望しているものもあり、また転換時のBGMを合わせて、全部で十七曲作ることになるようだ。


「結構作るのね」

「まぁね。それから、ジングルもいくつか。これはもう少し後に依頼されると思うけど、数は毎年同じくらいだよ」


 最初に言った通り、変更点はほとんどなく、会長の説明は主にアオに向けてのものとなっていた。トウカは軽く聞き流す。


「あぁ、悪い」


 と、戻ってきたフジサキが会長の姿に気づき、謝る。


「大丈夫、大した話じゃない」

「そうそう。……続けるね。今年はお堅めなステージは二つだけなんだって。他は明るくてキャッチーな曲でって希望が出てる」

「俺は前者だな」

「うん、よろしく。僕と岸で明るい曲を、アオには僕らのサポートと、転換用のBGMを担当してもらいたい」

「オーケー」

「それともう一つやって欲しいことがあるんだけど、ちょっと待ってね」

「かいちょー、わたしは?」


 トウカが両手を挙げてアピールすると、ぷっとアオが吹き出した。もう、と睨むと、ごめんごめんと手を振るアオ。


「はは……トウカは録音の手伝い。去年みたいのじゃなくて、一人でできるように教えるから」

「そっか、もう卒業だもんね」


 同じように笑っていた会長の言葉に、トウカはやる気が出てきた。アオも一通りできるが、音を録ったり調整したりという作業が好きという様子ではなかったのだ。


(自分でできるようになれば、アオの歌もたくさん録れる……!)


 ――ドンドン。

 くぐもったノック音がして、ガチャリと扉が開く。そこから、明るめの茶髪が覗いた。


「ワタ、お待たぁ」

「あぁ、来た来た。入って」


 お邪魔しまぁす、と入ってきたのは、アオよりも小柄な女子学生だ。大学のロゴが入ったブルゾンを着ている。暑そうだな、とトウカは思った。


「丹代ちゃん、お久っ!」

「こんにちは、岩井いわいさん。お久し振りです」

「飴食べる?」

「もらいます」


 トウカが頷くと、岩井は手の中にあった飴を渡してくれる。口に放り込むと、柑橘系の、甘酸っぱい味がした。


 彼女は国文学科の三年生で、トウカは何度か講義で顔を合わせたことがある。そしていつも飴をくれる。会長と仲が良く、運営委員会に所属しているということも聞いていた。今日の打ち合わせにも出ていたはずなので、その関係の用事だろうと見当をつける。


 その岩井は、フジサキとアオを交互に見てからアオに視線を止め、首を傾げた。


「あれ、初めましてだね? 一年生?」

「はい。はじめまして。田どこ――」

「ふぁっ!?」

「……え」


 アオが挨拶をした瞬間、岩井の手からぽろぽろと何かが零れ落ちて、床を転がった。岩井は慌てたようにそれを拾い、ポケットから出したビニール袋に入れる。


「ごめんごめん、びっくりしちゃって。……あ、飴食べる?」


 揺らした袋の中身が、きらりと光った。


「……え?」

「あぁ、勿論落ちたのじゃなくて、新しいの出すよ?」

「あ、えっと……もらいます……?」

「はぁああ、ホントに良い声! 田所ちゃん、だっけ? ねぇワタ、この子に決めたよ!」

「そう?」


 会長は何の話か理解しているのか、大げさに眉毛を上げた。少し満足そうに見えるのは、トウカの気のせいだろうか。


 味見味見、と言いながら、岩井は自分の手の中の飴玉を口に入れた。


「んんん! これは初めての味! 美味しいっ! ほら、君も食べてみなよ」


 アオは押しに弱い。ずんずんと迫ってきた岩井から、両手で飴玉を受け取った。くるりと振り向いた岩井は、トウカにも飴玉を渡す。「甘いですね」と微笑むアオを見ながら、口の中の飴を端に追いやり、トウカはそれを口に入れた。


 甘くて、でも爽やかで。どこか懐かしいような。

 ……これが、アオの声の味。


 岩井は、音に味を感じる能力を持っている。そして何故か、その味を飴玉に込めて出すことができる。

 聞いた話では、飴自体は出し入れ自由らしい。だからきっと、手から溢したのはわざとだ。ただ驚いたことを表現したかったのだろう。彼女はそういう人だ。ひとつひとつのリアクションが大きい。


(まぁでも、アオの声が褒められるのは良いことだよね)


「……で、決めたって、何?」


 こういうときは、意外と冷静な岸が話を戻す。

 携帯電話を弄っているフジサキに飴を渡していた岩井は、ぐるりと全員の顔を見回した。


「そう! 田所ちゃんには、ナレーションをやってもらおうと思って!」




 岸が話の続きを促すと、岩井に代わって会長が説明を始めた。

 簡単に言うと、研究発表のステージで使用する映像の中で、ナレーションをする人を探しているということだった。

 初めは国文学科である岩井の元に話が来たらしいが、声のイメージが違うということで代わりを探すことになったのだという。


(確か、今年はウチだ……)


 そこまで聞いて、岸は発表が超感覚学科の担当であることを思い出した。ゼミが異なるので彼自身は関わっていないが、どのゼミが発表するにせよ、超感覚研究所が出てくることは確実だ。真面目な印象もある、アオの声が良いというのも頷ける。


「生で話すわけじゃなくて、録音だからさ、気軽にやってくれて良いんだよ。ねっ、お願い!」


 パチン、と両手を合わせた岩井を見て、アオは困ったように目を泳がせた。すぐに了承すると思っていた岸は、珍しく感じてその表情を見つめる。


「ええっと、そうですね……わかりました。引き受けます」


 しかし結局、アオは小さく笑って頷いた。その手前で、トウカの瞳が揺れたのを岸は見逃さなかった。

 アオに対するトウカの思いを、岸は信頼している。


(……解決は、していない。ということか)


「ありがとう! 詳しくはまた休み明けにね。それじゃ!」


 岩井の用事はそれだけだったようで、会長が上まで見送ろうと立ち上がった。視界の端に、岩井が会長に何かを確認している姿が映る。小声で交わされるやりとりを聞こうとしたが、それはフジサキの声によって遮られた。


「アオ。あんた、絵に興味あるか?」

「さっきの話? 私は絵心ないわよ」

「……いや、見る方だ。さっきの話ではある」

「まぁ、見るのは好きね。詳しくはないけれど」


 それは問題ない、とフジサキは手にしていた携帯電話をアオに見せる。横からトウカも一緒に覗き込んだ。


「気になる展示があるんだ。行かないか?」

「阿佐ヶ谷じゃない。行くわ」

「なあに、デート?」

「違うわよ……」

「トウカは興味ないだろ」


 からかうつもりだったらしいトウカは、二人にばっさりと切り捨てられてむくれた。


「良いよーだ。この前はわたしがアオとデートしたし、今回は譲ってあげる」

「じゃあ次はおれ?」


 一応便乗しておこうかと、岸も名乗りを上げる。実際、アオと遊びに行くのは楽しそうだ。

 しかし、トウカは、膨らませた頬をさらに大きくして威嚇してきた。


「岸さんは講義被ってて狡いから駄目っ!」


 理不尽な……と苦笑いする岸とフジサキの前で、アオが「わ、私のために争わないで、って、言えばいいのかしら……?」と困惑していた。

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