二部 箱の中に閉じ込められた、猫のように
一章 なんどでも、なつのおわりをくりかえそう
第18話 ドーパミンのような
夏が来た。
アオは夏があまり好きではない。二年前、好きではなくなった。
夏の思い出は、すべてCOLORFULのメンバーとの間にあった。楽しかったことや甘酸っぱい記憶を思い出して、アオは唇の端をキュッと噛む。
濁り始めた感情を流すために、ストローを口にくわえ、コーヒーを口に含んだ。
今年は違う。トウカや、作曲サークルのメンバーがいる。これから、新しい夏の思い出を作れば良いのだ。
(……今日だって、そのひとつになるんだわ)
夏休みに入ってからは、芦花公園駅近くにあるスタジオで活動をしている。大学も開いてはいるが、機材の充実具合や居心地の良さなどを考えると、会長の実家であるこのスタジオの方が便利なのだ。
何も気にせずだらだらと楽器に触れる時間も、ロビーで中身のない話をする時間も、アオにとっては新鮮で、少しずつ幸福に満たされていくその感覚が何ともくすぐったかった。
「はぁぁぁ、耳が幸せだっ!」
突然ロビーに響いた、溜め息とも叫びともとれる声に、全員の視線が向かう。
その先で、だらしなく頬を緩めたトウカが、耳に当てていたヘッドホンを外す。それから興奮したように、開いていたノートに何かを書き始めた。
「……大げさね」
「大げさじゃないよ! アオの歌は本当に凄いんだから」
緩んでいたトウカの頬が、ぷくりと膨らむ。
トウカの能力を知ってから、アオは何曲か、自分の歌が入ったデモをトウカに渡していた。もう日の目を見ることはないと思っていたそれらの曲は、あっという間に彼女のお気に入りとなったようだ。
アオとしても、それは嬉しいことだった。……トウカがアオの歌を聞くたびにだらしのない顔で笑うのだけは、恥ずかしかったが。
「ズルいぞ」
「へへへー、良いでしょ」
そんな文句にも、トウカは嬉しそうに笑う。処置なし、といった風に肩を竦めたフジサキは、すっと真顔に戻った。
「でも実際、俺が聞いたらどんな景色になるんだろうな」
その答えを、この場にいる誰も持っていない。
アオが紡いだ旋律を聞いた時、フジサキははっきりと見えた景色に驚いていた。色しか見えないことも多いと言っていたことを考えれば、それはアオの旋律がそれだけ洗練されていたということに他ならない。
事実、COLORFULで活動していた当時からそのセンスは称賛されていた。とある音楽評論家をして、「世界で最も美しい旋律」と言わしめた程だ。さすがに褒め過ぎだとアオは思ったが、それなりの自信は確かにあった。
しかし、アオの真骨頂は、自身がうたう歌にある。
当然のことだ。自分の声を、自分の感情を乗せるための旋律なのだから。
バンドの、それぞれの楽器が活きるようにとも勿論考えていたが、あくまでも中心はボーカル。それが一番バランスが良くて、そのことをメンバー全員が納得していたのに。
また沈みかけたアオの思考を止めたのは、会長だった。
「うーん、立体的というか、VR的な感じとか?」
「楽しそう」「良いねそれ!」
岸とトウカの声が被った。フジサキも想像してみたのか、軽く目を閉じて楽しそうに頷いている。
「……ま、試せないだろうけどね」
「そうだな。見た景色を覚えていても、結局昔のアオのことは思い出せなかったからな」
仕方ないが諦めるか、とフジサキは残念そうに溜め息をついた。
「そういえば、そろそろ学祭の準備しなきゃなんだよね」
「随分と早いのね。十一月でしょう?」
会長の言葉に、今年入学したアオが首を傾げる。誰が説明するか、と降りた沈黙に、受付から渡辺が乗り出してきた。
「あはは、ごめんね。サークル作る時に、色々我儘言ったからさ。うちの学祭は忙しいんだよね」
「わたしも去年はびっくりしたよ。こんな小さいサークルなのに、やること多すぎ! って。わたしできること少ないしさぁ」
「フジサキは、嬉しそうだった」
「張り切りようが凄くて、そっちに驚いたくらいだよね」
「まぁ、な。あぁいうのは一番やりやすいんだよ」
確かに、と何やら納得し合っている五人を軽く睨み、アオはむくれてみせた。
「……私にもわかるように説明して頂戴?」
パッと視線を向けてきたトウカが、宥めるようにアオの隣に移動してくる。それを微笑ましそうに岸が見ていて、アオはそっと視線を逸らした。
「あのね、アオ。学祭の、サークルやゼミがやるのとは別に、大学側がやるメインステージがあるのは知ってる?」
「知っているわ。ミスコンとかのでしょう?」
「そうそう」
実際に見たことはなかったが、有志の学生が大学として運営するステージがあることは知っていた。有名なアーティストやお笑い芸人を呼んでのライブや、著名人のトークショー、ミス・ミスターコンテストなどが開催される、豪華なものだ。
ゼミやサークルに所属のない学生や外部の人間からすれば、これこそが学祭のメインだと言えるだろう。
「作曲サークルは、メインステージの音楽を全面的に担当しているのです」
「……。えっと?」
きりっとした表情のトウカを、アオは訝しげに見つめる。いくら何でも冗談だろうと思ったのだ。
「疑ってるでしょ」
「当たり前じゃない。そういうのって普通、使用料払った既存曲とか、外部発注するものじゃないのかしら」
「うん。だから、父さんが我儘言ったんだって」
そんな簡単に受け入れられるものなのだろうか、とか、初期の作曲サークルはとても大きかったのでは、などと考えてみるが、考えたところで意味がない。アオはひとまず置いておくことにした。
「大々的な宣伝はしていないから、まぁ、人数はこんなだけどさ。おかげでたくさんの人に曲を聞いてもらえるし、そこからの繋がりで就職が決まった先輩も多いんだよ」
「へぇ」
自分の「我儘」を息子に良く言われたのが照れ臭かったのか、渡辺は一瞬、咎めるような視線を会長に送った。どうやらこの一連の話は本当らしい。
「ま、とにかくさ。明日その打ち合わせがあるから僕はキャンパスに行くんだけど。ついでに展示用の教室も見ておく? 去年と割り振りが変わったんだよね。そっちはもう決まってるし」
「あ、行く行くー!」
全員が当然のように賛同する中、アオはその驚きを隠すのに必死だった。
(メインステージの音楽も作って、その上、展示もですって? めちゃくちゃ忙しいじゃないの……!)
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