第9話 アオは選択されない
よし、と呟いた会長に目を向けると、彼はニヤリと笑いながらヘッドホンを外した。
手を伸ばし、受付の横から伸びているケーブルをパソコンに差し込む。ロビーに設置された、スピーカー用のケーブルだ。
「じゃ、再生するよ」
会長がマウスをクリックすると、すぐに曲が流れ始めた。フジサキの目には、また空の景色が映る。
「何、この音」
主旋律に当てられているのは、会長がよく使う音だ。
硬質な金属音のようにも聞こえるが、耳障りの良い、やわらかな雰囲気を持つ音。初めて聞くアオにとっては、不思議な音として聞こえているに違いない。
「かいちょーのコレクションだよ」
「音マニア」
「そうそう」
色々な音をサンプリングして集めることが、会長の趣味なのだ。彼の曲は、そうして集めた音を使って作られる。
「……でも気をつけて。やばいよ、この前なんて、おならの音を録ろうとしたんだから!」
「さすがに、引いた」
トウカと岸の説明に、アオは大げさに驚いてみせた。「まさか、これには使っていないでしょうね?」と、会長に確認する様子は、年頃の女の子らしい。意外と俗っぽい表情もするのだな、とフジサキはアオに対する印象を変える。
「使ってない使ってない。何だっけな……色々混ぜたから忘れちゃったけど、おならは使ってないよ」
「なら良いのだけど」
「でもあの曲、結構恰好良かったよね」
それにはフジサキも頷いた。あの時見た景色を思い出す。中々にファンキーな模様をしていたはずだ。
しかしそれは一瞬で、ロビーに流れている曲がサビに入ると、ぐんと空へ意識が引き戻される。昼間よりもずっと強い力を持った旋律に、思わず笑みが溢れた。
こちらの期待を簡単に上回ってくれるアオの実力は、やはり計り知れない。
その空は深い青色をしていて、どこまでも輝いている――
(待て。この空、青色。……前にどこかで)
突如、フジサキを妙な既視感が襲った。反射的に記憶を探る。
が、ぽっかりと穴が空いているかのように、その辺りの記憶が抜け落ちていた。しかしそれこそが、既視感の正しさを物語っている。
能力は嘘をつかない。
能力で見た景色に覚えがあるのなら、それは事実なのだ。
フジサキの能力が初めて発動したのは、小学生の時だ。それでも、印象的な景色を見たことは数回しかない。簡単に思い出せるはずだった。
……それならなぜ、昼間に見た時、「初めて見た」と思ったのか。
「どうしたの、フジサキ。怖い顔してるよ?」
と、いつの間にか曲が終わっていたらしい。閉じていた目を開けると、トントン、と自分の眉間を叩くトウカの姿が目に入った。自然と寄せていた、眉間の皺をほぐす。
「いや……前にも、この曲に似た景色を見たことがあったと思って」
「へぇ。何の曲?」
「それが、思い出せないんだよ」
「そりゃあ珍しいな」
会長の言うとおりだった。
不思議に思ったフジサキはもう一度、目を閉じた。記憶が頼りにならないなら、能力から思い出せば良い。
先程まで見ていた景色を思い浮かべる。どこまでも青くて、期待に輝くような光。
これを前に見た時、自分はどこで何をしていただろう?
(……家だ。俺はその時、家でテレビを見ていた)
フジサキ自身もだが、彼の両親も、ほとんどテレビを見ることがない。もっぱらコンサートや映画のDVDを再生するために、リビングのテレビは置かれていた。
おそらく、何かを見終わったあと、たまたま画面を切り替えでもしたのだろう。そうして映し出された何かの番組で、それは流れていた。
「二年くらい前、だな。同年代の今どきなアーティストが、こんなにも美しい音を、景色を作り出すのかと。……ものすごく驚いたんだ」
やはり、能力を軸にすれば何となく思い出すことができる。
「……」
と、妙に周りの反応が薄いことに気づく。普段なら、このような話にいちばん興味を持ちそうなトウカが、真剣な顔をして黙っているのだ。その視線は、真っ直ぐアオへと向けられている。
それを受けたアオは、すっと目を逸らし、それから小さく、「オーケー」と呟いた。
呟いた言葉とともに、息を吐く。
そもそも、トウカは初めからアオのことを知っていたのだ。本当のことを話しても良いかもしれない。アオはそう思った。
(それともこれが、深夜のテンションなのかしら?)
渡辺に断り、レンタル用のキーボードの電源を入れる。それから会長のパソコンに繋がっていたケーブルを差し替えて、ピアノの音が出ることを確認した。
「この曲、かしら」
そう言って、おもむろに弾き始めるアオ。問いかけられたフジサキは、少しの間、穏やかで優しげな旋律に耳を傾け、それからはっとしたように頷いた。
「これだ。何の曲だ?」
質問には答えず、今度は別の曲を弾き始める。特徴的なコードからなる、明るめの曲。新歓ライブでどこかのサークルがコピーしていたものだ。
すぐに会長が反応する。
「これはCOLORFULだよね」
「あぁ、そのバンドは俺も知っている」
「有名」
アオは首肯し、「でもね」と続けた。左手の伴奏はそのままに、右手で弾く旋律を変える。
「私なら、こんなメロディにするわ」
いくどとなく脳内で響かせてきた旋律を、この場に刻み込むように。
彼らのぽかんとした表情を見て、アオは薄く笑った。それだけの自信があった。
「……これは、贔屓目なしに良いな」
「よくこんな既存の有名曲を……アオ、何者?」
何でもないことのように、アオは、さらりとその答えを口にする。
「元COLORFULのボーカルよ。二年前までは、そうだったの」
口調とは対照的な衝撃の告白に、当然、全員が黙り込む。
あの有名なバンドと、目の前にいるアオを結びつけることができないのだろう。
それもそのはず、COLORFULには「みどり」というベースボーカルがいる。ボーカルが変わったという話も、彼らからしてみれば眉唾物でしかない。
(……トウカは何も言わないのね)
唯一事実を知っていると思われたトウカは、先程からずっと黙っている。彼女が何を考えているのか、アオにはわからなかった。
「信じがたいことではあるが……」
最初に沈黙を破ったのはフジサキだ。
能力で感じる記憶と、実際に脳内にある記憶。異なる二つの感覚に、彼自身、戸惑っているようだった。
「あの時、さっきの曲を聞いたのは本当だ。でも俺自身は、あんたを知らなかった。どういうことだ?」
「……能力は、絶対。でも、相性は、ある」
やはり、とアオは思った。
能力同士がぶつかるということ。超感覚学科の学生である岸は、その可能性を思いついた。
「そう。能力が意図しない動きをするなら、それはつまり、他の能力が関係している」
一度言葉を切り、次の言葉を発するための、心の準備をする。
「私の能力が、関係している」
COLORFULの元ボーカルだという話よりも、ずっと重要なことだ。
「〈能動型〉の、聴覚に影響する能力よ。私の歌を聞いた人は、私に関する記憶を失っていくの」
大人気バンドでなければ、ここまで忘れられることはなかったかもしれない。少しずつ失われていく記憶に、違和感を覚える人がいたかもしれない。
しかしそれは、今考えても仕方のないことだ。
当時、アオの歌は色々なところで流れていた。普通にメディアに触れる生活をしていれば、聞かない日はないくらいに。
ゆえに、高校三年生で初めて発動した能力は、強い影響力を持った状態で拡散された。
「私を知っていた人は、歌を聞くから忘れてしまう。聞かなかった人はそもそも私を知らない人だから、それをおかしく思うこともない」
おそらくトウカは、能力が発動するようになってからのアオの歌を、聞いたことがなかったのだろう。限りなく可能性が低いというだけで、全くありえない話ではないのだ。
「……そうして世界は、都合よく変わったわ。さっきの時間の話ではないけれど」
アオが存在する時間と、そうでない時間が並行していて、確かにアオは自分がいる時間を生きているはずなのに。
「うたえば、それを聞けば、アオの存在しない時間が選ばれてしまう、ということか」
フジサキの確認するような呟きに、アオが頷く。それを見て、ようやくトウカが口を開いた。
「わたしには想像することしかできないけど、それはきっと、とても寂しいことだよね」
「そうでもないわ。うたわなければいい話だもの。……そりゃあ、最初は落ち込んだけれど、もう吹っ切れているから」
こう言えば、彼らは勝手に想像してくれるだろう。
悩んで、それでも何か妥協点を見つけることができたのだな、と。それで良かった。
「何だか難しい話になってしまったわね。もっと、簡単な話をしましょうか」
だからこの話はおしまい、と暗に告げる。それがわからない人間は、この場にはいなかった。
「どんな話?」
「そうね……たとえば、好きなおにぎりの具について、とか」
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