第4話 うたわない歌うたい

「トウ、カ……?」


 虚ろな目で首を傾げたアオに、トウカが抱きついた。

 なんて大胆なのだろう、と自分でも思った。しかし、そうしないと目の前の女の子が消えてしまいそうで、怖かったのだ。それくらい、アオは生気のない顔をしている。


「アオ! 良かった、来てくれたんだね」


 アオは何度か目を瞬かせてから、「……ごめんなさい、ぼーっとしていました」と溜め息をついた。それから今度はしっかりと視線を向けて、早口の小さな声でこう言った。


「アオと呼ぶのは構いません。けれど、COLORFULのことは言わないでくれますか」


 トウカの返事を待たずに、するりとその腕から抜けるアオ。先ほどの無気力感が嘘だったかのように、その瞳は明るい光をたたえていた。


「見学に来ました。社会学科一年、田所碧です」




 会長が最初に感じたのは、アオの声の良さだ。すぐに消えてしまいそうな、ふわりと揺れる声も、その中に芯を通したような不思議な話し方も、会長の好みだった。


(確かにこの子は、うちに欲しいなぁ……)


 サークルへの入会は任意だ。しかし彼はこの一瞬で、どうやって彼女を引き込むかを考え始める。




 フジサキは思考していた。一年間このサークルで過ごした日々は、彼にとって想像以上に大切なものとなっていたのだ。それを崩すような人間であれば、遠慮願いたい。


(だが、トウカがあれだけ興奮していたんだ。……少なくとも歌に関しては、良いやつなんだろう)


 それなら自分の目でも確かめれば良い話だ。彼はそう結論づける。




 岸にとっては、アオが入るか入らないかはどちらでも良かった。そういうことは会長たちが判断するだろうし、アオにとって合わなければ、彼女が入らなければ良いだけだ。

 アオの入会とは全く関係のないところで、岸は心配をしていた。


(能力に、不安か? おれに、できることは)


 ギターを弾く手は止めずに、もっとアオを知ろうと、じっと見つめる。




 そんな彼らの視線を受けて、アオはにこりと微笑んだ。それは昔ライブで見せていた笑顔に近いものだったが、誰も気づくことはない。トウカも含めてだ。

 彼女は笑顔のまま、こてん、と首を傾げた。


「普段は、どんなことをしているんですか?」

「作曲だ」


 フジサキの簡単すぎる答え。アオの笑顔にほんの少し、苦いものが混じる。


「それはそうでしょうけれど。みんなで作るんですか? それとも、ひとりで?」


 そこを気にするのか、とフジサキは意外そうに眉を上げた。過程でも、結果でもなく、あくまでサークルとしての活動形態を問う質問。

 それは同時に、少なくともアオには作曲の土台があるということを示してもいる。彼の表情が少しだけやわらかくなったことに、トウカは気づいた。


 アオの質問には会長が答える。


「基本はひとりだよ。それぞれやりたいことが違うからね。できることも違うから、協力を頼むこともある」

「それを受けるかは、任意」

「そうそう。僕たちは自由をモットーに活動しているんだ。やっていることも、みんなバラバラだよ。たとえば僕はパソコンでゲーム音楽をメインに作っているし、フジサキはピアノだ」


 フジサキは頷きつつ、「クラシックをやっている」と付け足した。


「岸は本当に色々できるんだけど……最近は、民族音楽にハマってるんだっけ?」

「ブルガリア」

「そうだった。で、トウカが」

「作詞だよ!」


 両手を上げてアピールする。それを見たアオが笑った。


「本当にバラバラですね」

「でしょ? それで、君は何かできるものはある?」

「……歌以外でしたら、大体興味があります」

「残念だな、うたわないのか。良い声なのに」

「できることを挙げるとしたら、メロディを作ること、でしょうか」


 残念そうに肩を落としたまま、「それならトウカと相性が良さそうだね」とトウカに目を向ける会長。トウカは慌てて表情を取り繕った。彼女も、アオのうたわない宣言にがっかりしていたのだ。

 それでも、トウカの意思は変わらない。


「そうだね、わたしはメロディあんまり得意じゃないから。アオが入ってくれると嬉しいな?」


 その言葉に、会長も大きく頷いた。

 アオは少しだけ悩むようなそぶりを見せてから、「では、入りたいと、思います」と言った。




 それから、サー室内の機材について、軽く説明をすることとなった。基本は会長が話し、よくわからない楽器なんかは、岸が補足する。大抵は彼が持ち込んだものだ。


「これだけあれば、何でもできそうですね」


 壁掛けのエレキギターに目を向けながら、アオが感心したように呟く。会長も同じようにエレキギターを見た。


「バンドの真似事もできるし、実際にそういう曲を作ることもあるよ。そのとき必要ならね」

「へぇ……」

「でも、バンドをやろうと思ってやるわけではない。それは本質じゃない」

「……」

「結果としてそうなるだけなんだ。自分たちの欲を満たすために、ここには色々なものが揃っている。機材も……人も」

「ワタ、真面目になってる」


 合いの手を入れていた岸に茶化され、会長は肩を竦める。

 ワタ、というのは、会長の名前、渡辺わたなべわたるから取ったあだ名だ。彼らが一年生のときの会長に、「どっちから取っても『ワタ』なら、それしか無いだろう」と言われたのだと、トウカは聞いたことがあった。


 それはともかく、会長はそれなりに真剣な顔でアオのことを見ていた。


「君も、自分のためにここを使えばいいよ」

「わかりました。そうさせてもらいます」

「あっそうだ」


 と、今度は打って変わって明るい声を出す会長。この人はこういう切り替えが上手いのだと、トウカは改めて思った。


「上下関係とか面倒なものはないからさ、君も敬語、使わなくていいよ」

「そうだよアオ! 普通にしなよ。そっちの方が良いよ」

「トウカは慣れるまで時間かかったけどな」


 フジサキが真面目な顔で言うと、みんなが笑った。アオも笑った。


(良かった……アオが入ってくれることになって)


「そう? なら、遠慮なくそうさせてもらうわ」

「お、これは逸材」


(アオがどうして歌をうたわないのかはわからないけれど……)


「ふふ。私、図々しいのが取り柄なの」


 またみんなが笑う。トウカも笑う。


(少しでもたくさん、楽しい顔をさせてあげたいな)


 そんなトウカの思いをよそに、アオの視線は壁掛けスタンドの横のスペースに置かれた、本棚に向けられていた。一番手に取りやすい位置には、ノートが何冊か入れられている。


「これ、トウカの? もしかして、あのポスターのも……?」

「そうだよ。あれは、そこ」


 指差したテーブルに吸い寄せられるように、アオは駆け寄った。パラパラとページをめくり、そのページを開く。ポスターに載せたポエムと、その続きの言葉が書かれているページだ。

 トウカはドキドキしながら、その様子を見ていた。今まで、サークルのメンバーである三人以外に、このノートを見せたことはない。新しいメンバーであるアオが、何と言うのか気になった。


 しばらくの間ゆっくりと味わうように目を動かしていた彼女は、ふいに、ぱたんとノートを閉じた。大きく息を吐き、トウカに目を向ける。


「きれいな言葉ね。私は好きよ」


 彼女はそう言って、少しだけ紅潮させた頬を、出会ってから一番大きく緩ませる。


 トウカには、それだけで十分だった。

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