3-19 音楽が蘇った日

 実力者の資質について、さかきは初耳だったようだ。ミキが座るカウンター席へ身体を向けて、不服そうに訊ねている。

「……にわかには信じられないお話ですね。具体的には、どのようにモンスターを退けたのでしょうか?」

「あんた、自分の目で見たものしか信じないタイプね」

 ミキは露骨に呆れた顔で言ってから、さらさらと説明してくれた。

「さっき杉原すぎはらさんが言ったように、私たちは何度か彼女を救出したわ。モンスターに追いかけられた杉原さんのもとに駆けつけたり、モンスターの前に立ちはだかったり、ヒーローっぽい活躍をしたってわけよ」

「まさか、それだけでモンスターが消えたなんて言うわけではありませんよね?」

「そのまさかだけど? というか、『それだけ』って言い方はやめてくれるぅ? モンスターが出てくると建物や足場が脆くなるから、結構危ないのよ?」

「ミキさん、すみません……」

「杉原さんってば、それは言わない約束でしょ?」

「そんな、どうして……非科学的です。納得できません」

「零一君のことは特別扱いするくせに、私たちのことは否定するわけ? そういう態度、嫌われるわよ?」

「零一君は、隕石の件があるからです。実力者の方々にも同じことができるなんて、想定外でした」

 月光が差し込む窓辺へ、榊は顔を背けた。持論を非難されても屈しなかった才女の苛立ちが、零一にとっては驚きだった。エイジが、ぼそりと言った。

「……危ういな」

「え?」

「どんな切れ者でも、不測の事態に強いわけじゃないさ。そんな人間は、〝現実〟にも〝常夜〟にも大勢いるが、やっぱり今のお嬢さんじゃ……独り言だ。忘れてくれ」

「……。榊さんでも、強くないなら……俺だって」

 自分を卑下ひげしかけた零一は、途中で考え方を改めた。榊のような秀才にも、不得手なことが存在する。そんな当たり前のことに気づけただけで、なんだか目が覚めた気分になった。ミキも榊の姿に思うところがあったのか、「大袈裟ねぇ」と砕けた口調で言った。

「別に私たちは、これが特殊能力だとは思ってないわよ。モンスターが私たちにビビって逃げただけでしょ? ただの不戦勝よ。こんなの全然、特別なことじゃないわ」

「それ、ミキさんたちにしか言えない台詞せりふだと思います……」

 零一は、げんなりと指摘した。モンスターを威圧するなんて、命知らずにも程がある。榊も落ち着きを取り戻したのか、いぶかしげにエイジを振り返った。

「エイジさん。ミキさんのお話は事実ですか?」

「まあな。別にこっちはモンスターを威嚇いかくしたつもりはないけどな。とっとと失せろとは思っているが」

「ほらぁ、そういう物騒なところが眼光に出てるのよ。零一君には言ったわよね、エイジさんは怒ったらモンスターも裸足で逃げ出すくらいに怖いって。威圧感が私たちとは違うんだから」

「ミキ、話を盛るな」

 エイジはこの話題がよほど嫌なのか、辟易へきえきした口調で訴えた。零一は以前の会話を振り返ったことで、訊き忘れていたことを一つ思い出した。

「あの、〝常夜〟の実力者は四人いるんですよね? ミキさん、エイジさん、宇佐美うさみさんで……あと一人は誰ですか? もしかして、フェイ……」

 エイジたちのようにモンスターを寄せつけないかどうかは不明だが、〝常夜〟滞在歴がミキと同じ七年の住人なら一人いる。無口でぶっきらぼうな料理人の名を挙げかけたとき、零一はミキの目配せに気づいて、口を噤んだ。『雹華ヒョウカ』という地下の秘密基地に住む呉飛龍ウーフェイロンの存在は、今も榊には知られていないようだ。

「四人目の実力者は、欠番よ」

 ミキは、はっきりと答えた。榊が不審そうに目を細めて、「欠番?」と訊き返す。

「ええ。四人目の枠は、〝神様〟のために空けているから」

「〝神様〟……ということは、四人目の実力者は、『草壁衛くさかべまもる』さんですか?」

 訊ねながら、零一は納得した。ミキ、エイジ、宇佐美うさみ。この錚々そうそうたるメンバーに呉飛龍ウーフェイロンを足せないなら、他に思い当たる名前はなかったからだ。

「そうよ。でも『草壁衛くさかべまもる』はさっき説明したように蒸発したから、現在は欠番にしてるってわけ。あ、私たちはモンスターを寄せつけないことが多いだけで、もちろん絶対ではないからね? 過去には実力者が三人集まっても、モンスターを追い払えなかったことだってあったもの。モンスター除けとして信用され過ぎるのは困るわよ」

「じゃあ、〝神様〟の『草壁衛くさかべまもる』さんも、モンスターを寄せつけないんですか?」

 続けて零一が訊ねると、「どうだろうな」とエイジが答えた。

「〝神様〟がモンスターに狙われたなんて話を、俺は聞いたことがない。ただ、今までに〝神様〟を務めた経験がある住人も、〝神様〟を次の世代に継承すれば、寿命が尽きるのを待つばかりの住人さ。モンスターに狙われやすいか、狙われにくいか。どちらでも別に不思議じゃない」

「まさに『神のみぞ知る』ってやつね。〝神様〟や元〝神様〟の住人に、モンスターが原因で亡くなった人がいるかどうか、私たちは誰も知らないわ」

「え? それじゃあ……『草壁衛くさかべまもる』さんの前任を務めた〝神様〟は、何が理由で亡くなったんですか?」

〝神様システム〟について説明を受けた際に、『草壁衛くさかべまもる』の前任を務めた〝神様〟が、モンスターの被害が酷かった時期に亡くなったことは聞いている。「分からないわ」とミキが答えた。かつての仲間の今際いまわの時に、寄り添えなかったことを悔いているのだろうか。ハスキーな強気の声は、微かな悔しさにひたされていた。

「前任の〝神様〟の死因は、不明よ。口伝くでんで語り継がれた『草壁衛くさかべまもる』の件と一緒で、『死んだ』という事実しか伝わっていないわ。付け加えるなら、死体を見た人はいないらしいけど……私たちが〝常夜〟で死ぬ時は、死体なんて残せないからね。モンスターに襲われたときと、最期の姿に差はないのよ」

 ミキは、ふっと笑った。先ほどの杉原のように、儚げな笑みだった。杉原が「ミキさん、エイジさん」と呼びかけて、申し訳なさそうに微笑んだ。

「その節は、お世話になりました。皆さんが助けに来てくださったとき、あんまり頼もしかったから、もう助かるんだって心から安心できたんです。ほっとしたときには、モンスターも消えていて……私が今も〝常夜〟で暮らせるのは、皆さんのおかげです」

「……」

 杉原が語った体験は、零一がヒロを助けたときと、どこかが似ているような気がした。モンスターの出現と消失には、何らかの規則性があるのだろうか。手掛かりのピースはそこかしこに転がっているのに、パズルが上手く嚙み合わない。

 榊なら、何か分かるだろうか。そう期待して振り返ると、榊はヒロを見つめていた。ヒロは杉原の腕にしがみつき、しゅんと顔を俯けている。記憶を取り戻し始めたヒロは、何を考えているのだろう。今の零一たちには、向き合うべきことが多すぎた。

「他の住人の皆さんも、杉原さんと同じことを仰ってましたねー。怖い目に遭っているときに、格好いいヒーローが来たら安心しますもんね」

 誇らしげに笑ったアユが、おもむろに零一を振り向いた。

「なんとなく、エリカさんに通じるものがありますよね」

「エリカに……?」

「そうねえ。モンスターの被害が凄まじかった時期が終わったのは、あの子が〝常夜〟に音楽を蘇らせたおかげだもの」

 月光に照らされたミキの笑みに、優しさが滲む。エイジも零一の隣で「大したもんだよ、あの子は」と小声で称賛したが、細められた双眸は、なぜか哀愁を湛えていた。

「エリカが……〝常夜〟の皆さんを、救ったんですか」

 はやる心臓の鼓動を抑えるように、零一は静かに言った。

〝常夜〟のエリカについて、零一はほとんど何も知らない。だが、この純喫茶跡地には、〝常夜〟のエリカをよく知る者たちがつどっている。

「そうよ」と答えたミキは、エイジと同じ哀愁を瞳に宿した。そして、神話を語り継ぐような敬虔けいけんさと穏やかさで、零一の知らないエリカについて語り始めた。

「一年前の冬に、エリカちゃんが〝常夜〟に流れ着いた瞬間からよ。静かな〝常夜〟に音楽が蘇ったことを、〝常夜〟じゅうの住人たちが悟ったわ。あの頃にはまだアユちゃんとユアちゃんは〝常夜〟に流れ着いていないから、ラジオ局はなかったけれど、代わりにCDショップ跡地から、綺麗な音楽が聴こえてきたから」

「CDショップ跡地……」

 頭痛が、視界を一瞬だけ赤く染めた。すぐに清らかな月光の青に洗われて、刹那の赤は消え失せる。

「〝常夜〟の新人にしては珍しく、あの子は最初から〝現実〟の記憶のほとんどを保持していたわ。どうしても思い出せない記憶は、大学一年生の秋から冬の時期だと言っていたわね。ごく短い期間だけを、あの子は綺麗に忘れていたのよ」

 息が、止まった。月光の青に、再び赤いノイズが入り乱れる。「それは……」と苦しい呼吸で紡いだ言葉は、血を吐くような声になった。

「俺が……今も思い出せない時期だ」

 遠くのテーブル席で、杉原が俯いた。そんな杉原の表情を、榊が探るように見つめている。ミキが、榊に釘を刺した。

「榊さん。ここから先の話は、零一君とエリカちゃんのプライバシーにも関わってくるわ。真面目にお願いしたいんだけど、この場に同席する以上、脅迫のネタにするのは絶対にやめてね。さっきの杉原さんへの態度、私は許してないわよ」

「……もちろんです。この会議で聞いたことを、エリカちゃんには話しません」

 榊は、従順に頷いた。六〇二号室でエリカが言い渡した『住人たちを傷つけないで』という懇願を、榊なりに受け止めてくれたということだろうか。ミキはしばらく榊を睨んでいたが、一応は納得したようだ。

「〝常夜〟でのエリカちゃんの活躍は、目覚ましいものがあったわ。あの子の歌が〝常夜〟に響くと、あれだけ〝常夜〟を我が物顔で闊歩かっぽしていたモンスターが、どんどん薄くなって消えたのよ。私たちは実力者なんて呼ばれているけれど、あの地獄を変えられなかったもの。あんな力を持つ住人は、エリカちゃんが初めてよ」

「エリカの歌に、そんな力が……」

〝現実〟のエリカが、零一と日々を過ごしながら、試行錯誤を繰り返して、作詞作曲した歌が――〝常夜〟という謎の世界で、確実に人命を救ったのだ。

「それでも被害は絶えなかったけれど、自分の歌がモンスターに対抗できると気づいたあの子は、強かったわ。駅前広場で何度も野外ライブを開いてくれて、住人のみんなを元気づけてくれたっけ。あの丸い噴水跡地をステージ代わりにして、エレキギターを掻き鳴らしたり、マイクの代わりに拡声器で歌う姿は、なかなか格好よかったわよ」

「噴水跡地……」

 そこは――零一が〝常夜〟に流れ着いたときに、ぼんやりと立ち尽くしていた場所だ。零一より先に〝常夜〟で暮らしていたエリカと、再会を果たせた場所でもあり――駆け寄ってきたエリカに、零一が最低の台詞をぶつけた場所でもある。

「エリカちゃんは、ラジオで流れるあの曲以外にも、みんなのリクエストに応えてさまざまな曲を歌ってくれたわ。なんだかすごく久しぶりに、張り詰めていた気持ちが緩んだ気がするねって、みんなで顔を合わせて言い合って……その頃にはもう、外出に怯える住人はいなくなっていたわ」

 途方もない話を耳にしても、覚悟していたほど驚かなかった。エリカなら、〝現実〟の夏祭りで零一の手を引いて走ったときのように、地獄と化した〝常夜〟を楽園と呼ばれる場所まで導ける。そんな確信があったからだ。

「〝現実〟の記憶の大半を保持していて、続きの記憶を取り戻したいという意思も十分にある。〝常夜〟に来てから五か月がたった頃、エリカちゃんは私たち実力者と一緒に、〝神様〟のお墓参りに出かけたわ。本当は、もっと早く連れていってあげたかったけど……モンスターの所為でビルが倒壊して、お墓に続く道が塞がれていたのよ。街もかなり荒らされたし、後始末には時間が掛かったわ。道さえ塞がれていなければ、〝常夜〟に来てから二週間くらいで、お墓参りに行けたかもしれないのにね」

「エリカも……墓参りに」

 しかも、〝常夜〟に流れ着いてから、歴代の〝神様〟が眠る場所を目指す期間まで――モンスターの邪魔さえなければ、零一とほぼ同じだったのだ。ミキも符号に気づいたのか、薄く笑った。名前しか知らない『草壁衛くさかべまもる』という〝神様〟について語ったときよりも、誰かをいたんでいるような笑みだった。

「そして……お墓参りから、帰ってからよ。エリカちゃんが、歌えなくなったのは」

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