3-19 音楽が蘇った日
実力者の資質について、
「……
「あんた、自分の目で見たものしか信じないタイプね」
ミキは露骨に呆れた顔で言ってから、さらさらと説明してくれた。
「さっき
「まさか、それだけでモンスターが消えたなんて言うわけではありませんよね?」
「そのまさかだけど? というか、『それだけ』って言い方はやめてくれるぅ? モンスターが出てくると建物や足場が脆くなるから、結構危ないのよ?」
「ミキさん、すみません……」
「杉原さんってば、それは言わない約束でしょ?」
「そんな、どうして……非科学的です。納得できません」
「零一君のことは特別扱いするくせに、私たちのことは否定するわけ? そういう態度、嫌われるわよ?」
「零一君は、隕石の件があるからです。実力者の方々にも同じことができるなんて、想定外でした」
月光が差し込む窓辺へ、榊は顔を背けた。持論を非難されても屈しなかった才女の苛立ちが、零一にとっては驚きだった。エイジが、ぼそりと言った。
「……危ういな」
「え?」
「どんな切れ者でも、不測の事態に強いわけじゃないさ。そんな人間は、〝現実〟にも〝常夜〟にも大勢いるが、やっぱり今のお嬢さんじゃ……独り言だ。忘れてくれ」
「……。榊さんでも、強くないなら……俺だって」
自分を
「別に私たちは、これが特殊能力だとは思ってないわよ。モンスターが私たちにビビって逃げただけでしょ? ただの不戦勝よ。こんなの全然、特別なことじゃないわ」
「それ、ミキさんたちにしか言えない
零一は、げんなりと指摘した。モンスターを威圧するなんて、命知らずにも程がある。榊も落ち着きを取り戻したのか、
「エイジさん。ミキさんのお話は事実ですか?」
「まあな。別にこっちはモンスターを
「ほらぁ、そういう物騒なところが眼光に出てるのよ。零一君には言ったわよね、エイジさんは怒ったらモンスターも裸足で逃げ出すくらいに怖いって。威圧感が私たちとは違うんだから」
「ミキ、話を盛るな」
エイジはこの話題がよほど嫌なのか、
「あの、〝常夜〟の実力者は四人いるんですよね? ミキさん、エイジさん、
エイジたちのようにモンスターを寄せつけないかどうかは不明だが、〝常夜〟滞在歴がミキと同じ七年の住人なら一人いる。無口でぶっきらぼうな料理人の名を挙げかけたとき、零一はミキの目配せに気づいて、口を噤んだ。『
「四人目の実力者は、欠番よ」
ミキは、はっきりと答えた。榊が不審そうに目を細めて、「欠番?」と訊き返す。
「ええ。四人目の枠は、〝神様〟のために空けているから」
「〝神様〟……ということは、四人目の実力者は、『
訊ねながら、零一は納得した。ミキ、エイジ、
「そうよ。でも『
「じゃあ、〝神様〟の『
続けて零一が訊ねると、「どうだろうな」とエイジが答えた。
「〝神様〟がモンスターに狙われたなんて話を、俺は聞いたことがない。ただ、今までに〝神様〟を務めた経験がある住人も、〝神様〟を次の世代に継承すれば、寿命が尽きるのを待つばかりの住人さ。モンスターに狙われやすいか、狙われにくいか。どちらでも別に不思議じゃない」
「まさに『神のみぞ知る』ってやつね。〝神様〟や元〝神様〟の住人に、モンスターが原因で亡くなった人がいるかどうか、私たちは誰も知らないわ」
「え? それじゃあ……『
〝神様システム〟について説明を受けた際に、『
「前任の〝神様〟の死因は、不明よ。
ミキは、ふっと笑った。先ほどの杉原のように、儚げな笑みだった。杉原が「ミキさん、エイジさん」と呼びかけて、申し訳なさそうに微笑んだ。
「その節は、お世話になりました。皆さんが助けに来てくださったとき、あんまり頼もしかったから、もう助かるんだって心から安心できたんです。ほっとしたときには、モンスターも消えていて……私が今も〝常夜〟で暮らせるのは、皆さんのおかげです」
「……」
杉原が語った体験は、零一がヒロを助けたときと、どこかが似ているような気がした。モンスターの出現と消失には、何らかの規則性があるのだろうか。手掛かりのピースはそこかしこに転がっているのに、パズルが上手く嚙み合わない。
榊なら、何か分かるだろうか。そう期待して振り返ると、榊はヒロを見つめていた。ヒロは杉原の腕にしがみつき、しゅんと顔を俯けている。記憶を取り戻し始めたヒロは、何を考えているのだろう。今の零一たちには、向き合うべきことが多すぎた。
「他の住人の皆さんも、杉原さんと同じことを仰ってましたねー。怖い目に遭っているときに、格好いいヒーローが来たら安心しますもんね」
誇らしげに笑ったアユが、おもむろに零一を振り向いた。
「なんとなく、エリカさんに通じるものがありますよね」
「エリカに……?」
「そうねえ。モンスターの被害が凄まじかった時期が終わったのは、あの子が〝常夜〟に音楽を蘇らせたおかげだもの」
月光に照らされたミキの笑みに、優しさが滲む。エイジも零一の隣で「大したもんだよ、あの子は」と小声で称賛したが、細められた双眸は、なぜか哀愁を湛えていた。
「エリカが……〝常夜〟の皆さんを、救ったんですか」
〝常夜〟のエリカについて、零一はほとんど何も知らない。だが、この純喫茶跡地には、〝常夜〟のエリカをよく知る者たちが
「そうよ」と答えたミキは、エイジと同じ哀愁を瞳に宿した。そして、神話を語り継ぐような
「一年前の冬に、エリカちゃんが〝常夜〟に流れ着いた瞬間からよ。静かな〝常夜〟に音楽が蘇ったことを、〝常夜〟じゅうの住人たちが悟ったわ。あの頃にはまだアユちゃんとユアちゃんは〝常夜〟に流れ着いていないから、ラジオ局はなかったけれど、代わりにCDショップ跡地から、綺麗な音楽が聴こえてきたから」
「CDショップ跡地……」
頭痛が、視界を一瞬だけ赤く染めた。すぐに清らかな月光の青に洗われて、刹那の赤は消え失せる。
「〝常夜〟の新人にしては珍しく、あの子は最初から〝現実〟の記憶のほとんどを保持していたわ。どうしても思い出せない記憶は、大学一年生の秋から冬の時期だと言っていたわね。ごく短い期間だけを、あの子は綺麗に忘れていたのよ」
息が、止まった。月光の青に、再び赤いノイズが入り乱れる。「それは……」と苦しい呼吸で紡いだ言葉は、血を吐くような声になった。
「俺が……今も思い出せない時期だ」
遠くのテーブル席で、杉原が俯いた。そんな杉原の表情を、榊が探るように見つめている。ミキが、榊に釘を刺した。
「榊さん。ここから先の話は、零一君とエリカちゃんのプライバシーにも関わってくるわ。真面目にお願いしたいんだけど、この場に同席する以上、脅迫のネタにするのは絶対にやめてね。さっきの杉原さんへの態度、私は許してないわよ」
「……もちろんです。この会議で聞いたことを、エリカちゃんには話しません」
榊は、従順に頷いた。六〇二号室でエリカが言い渡した『住人たちを傷つけないで』という懇願を、榊なりに受け止めてくれたということだろうか。ミキはしばらく榊を睨んでいたが、一応は納得したようだ。
「〝常夜〟でのエリカちゃんの活躍は、目覚ましいものがあったわ。あの子の歌が〝常夜〟に響くと、あれだけ〝常夜〟を我が物顔で
「エリカの歌に、そんな力が……」
〝現実〟のエリカが、零一と日々を過ごしながら、試行錯誤を繰り返して、作詞作曲した歌が――〝常夜〟という謎の世界で、確実に人命を救ったのだ。
「それでも被害は絶えなかったけれど、自分の歌がモンスターに対抗できると気づいたあの子は、強かったわ。駅前広場で何度も野外ライブを開いてくれて、住人のみんなを元気づけてくれたっけ。あの丸い噴水跡地をステージ代わりにして、エレキギターを掻き鳴らしたり、マイクの代わりに拡声器で歌う姿は、なかなか格好よかったわよ」
「噴水跡地……」
そこは――零一が〝常夜〟に流れ着いたときに、ぼんやりと立ち尽くしていた場所だ。零一より先に〝常夜〟で暮らしていたエリカと、再会を果たせた場所でもあり――駆け寄ってきたエリカに、零一が最低の台詞をぶつけた場所でもある。
「エリカちゃんは、ラジオで流れるあの曲以外にも、みんなのリクエストに応えてさまざまな曲を歌ってくれたわ。なんだかすごく久しぶりに、張り詰めていた気持ちが緩んだ気がするねって、みんなで顔を合わせて言い合って……その頃にはもう、外出に怯える住人はいなくなっていたわ」
途方もない話を耳にしても、覚悟していたほど驚かなかった。エリカなら、〝現実〟の夏祭りで零一の手を引いて走ったときのように、地獄と化した〝常夜〟を楽園と呼ばれる場所まで導ける。そんな確信があったからだ。
「〝現実〟の記憶の大半を保持していて、続きの記憶を取り戻したいという意思も十分にある。〝常夜〟に来てから五か月がたった頃、エリカちゃんは私たち実力者と一緒に、〝神様〟のお墓参りに出かけたわ。本当は、もっと早く連れていってあげたかったけど……モンスターの所為でビルが倒壊して、お墓に続く道が塞がれていたのよ。街もかなり荒らされたし、後始末には時間が掛かったわ。道さえ塞がれていなければ、〝常夜〟に来てから二週間くらいで、お墓参りに行けたかもしれないのにね」
「エリカも……墓参りに」
しかも、〝常夜〟に流れ着いてから、歴代の〝神様〟が眠る場所を目指す期間まで――モンスターの邪魔さえなければ、零一とほぼ同じだったのだ。ミキも符号に気づいたのか、薄く笑った。名前しか知らない『
「そして……お墓参りから、帰ってからよ。エリカちゃんが、歌えなくなったのは」
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