3-17 モンスターと隠し事

廃駅はいえき前のドーナツ屋さん、また種類が減ったわよね」

「仕入れの機能が低下しているんですねー。私が好きなイチゴチョコドーナツも、先月で終了してしまったんですよね。他には、お困りの店舗はありませんか?」

「俺は聞いていないが、最近は顔を見ていない住人たちも増えてきた。暮らしに困っていないか訊いておこう」

「了解ですー」

「あの、私事で恐縮ですが、お風呂場の電球が切れてしまって、少し困っています。こればかりは、皆さんも同じだと承知しておりますが……」

「お風呂場は危ないわねえ。杉原すぎはらさん、うちに予備があるから帰りに寄ってよ」

「すみません、助かります」

「駄目もとで飲食店の仕入れ機能を利用して、電池や電球を仕入れてみるか」

「エイジさん、こないだ挑戦してみたけど、やっぱり飲食店は無理だったわよ。無関係な品物は弾かれちゃうから。やるならラジオ局から試すほうがマシね」

「私も最近試しましたが、電池なら手に入ります。電球や蛍光灯は、届いたり届かなかったり、届いても割れてたり、安定しませんね。それでも時々は届くだけ有難いですが、皆さんに行き渡るのはかなり先になりそうです」

「大丈夫? アユちゃん、怪我しないようにね」

「割れてるものが届くなんて、酷いわね。しばらくは今まで通り、仕入れは日用品も含めて、コンビニ跡地から続けましょ。コンビニに置いていない種類の品物は、やっぱり無理そうだけどねえ」

「コンビニ跡地の存在は有難いですよねー。ドラッグストア跡地の仕入れ機能が落ちた分を、いい感じにカバーしてくれて助かります。管理してくださる住人がいなくなったのは痛手ですが、今のところ不自由はありませんし」

「ふふ。でも、栄転だもの。お祝いしてあげなくちゃ」

「そうねえ。住人の数が減って嘆くのは、モンスターに消された場合だけよ」

「栄転……」

 零一は、誰にも聞こえないくらいに小さな声で、杉原すぎはらの台詞を繰り返した。

 モンスターに消されたわけではないのに、住人が〝常夜〟から消えるのは――やはり、〝現実〟に帰還できたということだろう。真偽を確かめたくなったが、会議を止めるのは気が引けたので、疑問は静かに呑み込んだ。

 一つ目の議題である『火が消えたあとの世界で、これからどう生きていくか』について、アユのもとに意見が続々と集まった。書記を務めるミキ自身も会話に参加しながら、議事録にボールペンを走らせている。〝常夜〟滞在歴が誰よりも短い零一は、今のところ特に意見はないので、全員の話をしっかりと耳に入れていた。そんな零一を横目に見たエイジが、朴訥ぼくとつな口調で言った。

「真剣に聞いてくれるのは有難いが、もっと肩の力を抜いていいぞ」

「はい。無理をしてるわけじゃないので、平気です。ここで話し合ったことを、あとでエリカにも伝えてやりたいので……」

 それに、こういったことには慣れている。大学の講義でも、零一は熱心にノートをまとめるようになっていて、一限目に遅刻することもなくなった。それは、忙しくなった同級生のために、自然とそうするようになったからで――ずきりと、頭痛が弾けた。

「……」

 急に気分が悪くなり、烏龍ウーロン茶に口をつけた。エイジは何も言わなかったが、零一を気に掛けている様子は伝わった。そんな大人の庇護のもとにいる安心感で、乱れた心はすぐに落ち着いた。一瞬思い出しかけた〝何か〟の気配は、不気味な深海魚のように脳裏の暗がりへ逃げ込んで、不吉な残滓を漂わせている。

 ――大学一年生の秋で途絶えた、明晰夢めいせきむの続き。本当の悪夢に続く扉に、零一はすでに手を掛けているのかもしれない。

「……〝常夜〟の物資って、本当に少しずつ減ってるんですね」

 気を紛らわせたくて話題を変えると、エイジが「ああ。でも心配するな」とぶっきらぼうに応じてくれた。

「確かに減ってはいるが、今すぐに俺たちの生活が危うくなるほどじゃない。これからも気にせずに、毎日三食しっかり食って健康でいろよ」

「はい」

 零一が返事をすると、遠くのテーブル席から、品の良いアルトの声が割り込んだ。

「本当に、それで良いのでしょうか? 物資がこれからも不足していけば、いずれは補填ほてんが厳しくなるのは目に見えています」

 さかきは、とがめるような目をしていた。今までよりも尖った雰囲気を感じ取り、零一は言葉を詰まらせる。言い返すタイミングを逃した隙は、すぐにエイジによって埋められた。

「お嬢さん。あんたも店を構えている住人の一人だったな。これからは他の住人に、自分の店の食料はくれてやらないと言いたいわけか?」

「そういうわけでは……」

 この切り返しは、榊を動揺させたようだ。毒気を抜かれたような顔に変わったが、すぐに口角を上げて「失礼いたしました。今の発言は忘れてください」と堂々と言って会釈してくる。零一もぎこちなく頭を下げたとき、眠そうに頭を揺らしているヒロが、杉原すぎはらに寄り掛かるのが見えた。ミキたちと意見を出し合っていたアユが、ふと榊のテーブル席へ顔を向けた。

「これは提案ではありませんが、榊さんが〝常夜〟に来たことで、日持ちする食料のバリエーションが増えたことは、素晴らしいことだと思っています」

 榊が、目を瞬いてアユを見た。ミキも「確かにね」と賛同して、表面上は先ほどの確執かくしつを引き摺っていない顔で続けた。

「冬になると特に、自宅に引きこもって出て来ない住人が増えるのよね。ずっと一人で隠れ住んでいたら、モンスターに襲われたときの発見が遅れることもあるわ。そういう住人が大幅に減ったのは、あんたが〝常夜〟に与えた影響のおかげかもね」

「温かい食事は、生活と切り離せませんからねー」

「榊さん、いつも助けられています。ありがとう」

 杉原も最後に礼を伝えると、「いえ」と榊は謙遜して、控えめな笑みで応えた。鋭さはほんの少し和らいだが、〝現実〟の記憶を取り戻す前の榊には、遠く及ばない姿だろう。なぜだか痛みを堪えているような笑顔から、零一はそんな印象を持った。

「さて、そろそろ二つ目の議題に移ります」

 アユが良く通る声で宣言して、全員の注意を引きつけた。零一はまだ榊に気を取られていたので、完全に油断してしまった。

「二つ目の議題は、『なぜ零一さんが、モンスターに狙われなかったのか』――この疑問について、皆さんで理由を考えていきたいと思います」

「……はっ? 俺? 嘘だろ?」

 目を剥いた零一に、アユは飄々ひょうひょうと「嘘じゃありませんよ」と言ってのけた。

「私は予告しましたよ? エリカさんがいないからこそできる話がある、って」

「それは聞いたけど、なんでエリカには聞かせられないんだ? 俺のことに、あいつは関係ないだろ……?」

「本当に、そう思いますか?」

 アユに問われ、零一は黙った。――関係ない、わけがない。おそらく零一が〝常夜〟に流れ着いた原因は、零一より一年も前に〝常夜〟に来てしまったエリカにある。もしモンスターの件に零一たちの背景が絡んでいるなら、エリカから〝現実〟についての話し合いを拒否されている現状では、議論そのものが不可能だろう。

 だが、こんな形で話題にされるなんて聞いていない。そもそもアユは、なぜ零一たちの過去を知っているような口ぶりなのだ。喉元まで出かかった文句は、榊の穏やかな声に遮られた。

「アユちゃん、安心したわ。私の提案は、全て突っぱねられるわけではなさそうね」

「多数決を却下したのは、住人の不安を煽るだけで無益だからです。もし榊さんが一昨日のモンスター騒動で目撃したことが真実で、零一さんが本当にモンスターを寄せつけないのなら、私たちも理由を知りたいですからね。ひょっとしたら、これからの被害を減らすヒントを得られるかもしれません」

「それは、どうかしらねえ」

 ミキが、意外にも難色を示した。アユにとってはミキの反応が意外だったようで、懐中電灯に照らされた横顔を隣に向けた。

「あれぇ? 話題の中心にされるのが嫌そうな零一さんはともかく、ミキさんはこの議題が気になると思っていました」

「おい」

「もちろん気になるわよ? でも……ねえ?」

 ミキは、なぜかエイジに視線を投げて、にやにやと意地悪く笑っている。エイジはそっぽを向いて黙っているので、零一には意味が分からない。アユは意図を察したらしく、何事もなかったかのように話を進めた。

「それでは、二つ目の議題について意見を出し合う前に、まずは零一さんに確認させてください。榊さんのお話は事実ですか?」

「……ああ。事実だ」

 零一は、頷いた。図書館付近の坂道で、ヒロを襲おうとしたモンスターと対面した瞬間には、記憶を『喰われた』大将たいしょうのように、零一も犠牲になるのだと覚悟したが――実際には、そうはならなかった。

「俺は、モンスターと正面から出くわしたのに、モンスターは俺の横を素通りしたんだ。助かったって安心したら、近くにヒロがいて……モンスターがヒロを捜してたのは、間違いないと思う」

「なるほど。ひー君から事前に聞いていたお話と一致しますね。榊さん、早速お気づきの点があるようですね?」

「ええ。では、私の考えを申し上げます」

 優雅に微笑んだ榊は、視線をアユから零一に転じた。

「モンスターが零一君を避けたのは、彼が特別な存在だからだと思います。〝常夜〟に隕石を降らせているのが、彼の異質さの証拠です。具体的にどう特別なのかは、研究の必要がありますが、彼の協力があれば解き明かせると信じています」

「……零一君が特別ねえ。〝神様システム〟と『草壁衛くさかべまもる』の話には難癖をつけたリアリストが、やけにファンタジーなことを言うじゃない。私は、零一君が特別だとは思わないわ」

 ミキが、零一をしげしげと眺めた。「どこからどう見ても、普通の大学生よ。特徴があるとすれば、根暗なところくらいじゃない?」とコメントすると、アユが「ゲームに出てくるモブでしょうか。村人Aのほうがまだ自己肯定感が高そうですよ」と合いの手を入れたので、「二人して、俺をなんだと思って……」と零一は虚しい抗議をしようとして、今はそれどころではないと頭を振った。

「榊さん、その件なんですけど……すみませんが、協力はできません」

 零一は躊躇いを振り切ると、昨日は言いそびれた答えをはっきり伝えた。榊は特に動じた様子はなく、「あら」と言って肩を竦めた。

「ここまできっぱり断られるとは思わなかったわ。あなただって、知りたくないの? 自分がなぜ、〝常夜〟を隕石で壊しているのか」

 杉原すぎはらが息を詰めて、「榊さん」と小声で呼んだ。「いいんです、杉原さん」と零一は制して、立ち上がった。椅子が床に擦れる音が、純喫茶跡地に反響する。

 傷つかなかったと言えば、嘘になる。だが、この言葉に立ち向かうための呪文なら、一度目に傷ついたときに、同居人が授けてくれた。零一は、榊と向き合った。

「隕石のことも……俺のことも。エリカと、二人で研究します。その過程で、榊さんに知恵を借りるかもしれません。でも、今はまだ、そのときじゃないと思います」

「ふふ、振られちゃったわね」

 苦笑した榊は、零一の答えを予期していたのだろうか。ヒロと杉原を見つめていたときのような、諦念ていねんが染み込んだ笑みだった。

「〝希望〟と〝天災〟じゃ、後者に勝ち目なんてないものね。零一君が私を頼ってくれるのを、楽しみに待っているわ」

「はあ……」

 間抜けな返事をした零一は、すごすごと席に着いた。少し喋っただけなのに、驚くほど体力を消耗した。零一がテーブル席でしなびていると、ミキが「あんたねぇ、まさか零一君に天災なんて言ったの? どういう神経をしてるのよ」と代わりに怒ってくれていた。アユが「ミキさんも、根暗って言いましたよね」と再び合の手を入れると「アユちゃんこそ、モブ扱いしたじゃない」とミキも反論し、不毛な言い合いが始まった。榊は悠然と受け流し、「会議を続けましょうか」とアユに進行を促した。

「では、他に意見がある方はいらっしゃいますか? ……あ、杉原すぎはらさん。お気づきの点でもありましたか?」

「あ……ええ、そうね……」

 アユと目が合ったのか、杉原が口ごもった。身じろぎに反応したヒロも、毛繕いをする猫のように、眠そうな目をこすった。零一も、二度目の違和感に戸惑った。〝常夜会議〟が始まってから、この優しい女性は、時々ぎこちなく目を逸らす。

「私は……零一君がモンスターに狙われなかったのは、彼が特別だからだとは思いません。榊さんのお考えを否定するようで、恐縮ですが……」

「構いませんよ。杉原さん、続けてください」

 榊はテーブルに両手を添えて、優雅に首を傾けた。拝聴の姿勢を示されたことで、杉原は緊張を深めたようだ。しばらく黙ってから、言葉を継いだ。

「ヒロ君が助かったのは零一君のおかげですが、モンスターから逃げられたのは、彼が機転を利かせてくれたからで、運も味方したからだと思います。それ以上の理由は、特に思いつきません。……ああ、でも」

 杉原は、ゆっくりと丁寧に意見を述べると、柔らかく微笑んだ。

「その運を強くしたのは、零一君が事前に〝常夜〟を散策して、あの辺りの地理に詳しくなっていたからです。色違いの隕石を捜すために、よく駅前広場を歩いていたものね。〝常夜〟の皆さんとも交流を持とうとしてくれたから、モンスターから逃げられたんだと思います。零一君、一昨日は本当にありがとうね」

「えっと……俺じゃなくて、エリカのおかげだと思います。〝星〟……色違いの隕石を、俺より真剣に捜してたのは、エリカですから」

 気まずさを覚えながら、零一は言った。

 ――〝常夜〟に降る隕石に交じった、ピンク色に輝く不思議な石。あの〝星〟を捜そうとエリカが提案しなければ、人付き合いが苦手な上に、度重なる落石で住人たちに迷惑をかけている零一は、あんな頻度で〝常夜〟を散策できたか分からない。零一の言い訳を聞いても、杉原の笑みは変わらなかった。

「それなら、零一君とエリカちゃん、二人のおかげね」

「それを言うなら、ユアのおかげでもありますよ。お二人に色違いの隕石について情報を提供したのはユアですから。そして、色違いの隕石の第一発見者は私です」

「アユちゃんとユアちゃんも、ありがとう。みんなの行動が、聖火リレーみたいに繋がっていたのね」

「まるで、さっき教えていただいた〝神様システム〟のようですね」

 そう言ったのは、榊だ。あえて心を鬼にしたような顔で、杉原を凛と見つめている。

「杉原さん。さっき、何かを隠しませんでしたか?」

 杉原が、息を呑んだ。零一も驚いたが、「いいえ」と杉原が繰り返したので、もっと驚いた。頑なに目を逸らした横顔は、誰の目にも嘘をついているのが明らかだ。榊が、少し呆れたような声で追及した。

「杉原さん。隠し事をされるようでは、〝常夜会議〟の進行に支障が出ます。杉原さんが何を隠しているのか、この手記を見れば分かりますよ」

 榊が、テーブル席に冊子を置いた。零一も昨日六〇二号室で見せられた、図書館の禁帯出のシールが貼られた手記だ。杉原が、身体を強張らせた。

「零一君にも説明しましたが、この冊子には住民の誰がモンスターに襲われたのか、名前と回数の記載があります。杉原さん、あなたの記録も残っています。杉原さんの隠し事は、あなたがモンスターに襲われた回数と、何か関係があるのでは?」

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