3-15 受け継がれる神様

「どうして、って……元々は、こんなに廃れてなかったのか?」

「そうよぉ。七年前はビルも〝現実〟と同じくらいにしっかりしてたし、あの頃から太陽の光は拝めなかったけれど、街並みは見違えるくらいに綺麗だったわね」

「じゃあ、なんで今はこんな……モンスターの所為ですか? ミキさんは、以前に教えてくれましたよね、モンスターの被害が酷かった時期があるって……」

 アユからミキに視線を転じて、零一は言った。モンスターに蹂躙じゅうりんされた場所は、ビルの損壊が酷かった。建造物だけでなく、あの黒い霧に包まれたら、〝常夜〟の住人は遺体も残さず消え失せる。しかし、隣のエイジが首を横に振った。

「それだけじゃない」

「では、どうしてこんなことに?」

 さかきが、冷たく切り込んだ。婉曲えんきょくな会話の運びを嫌った様子が伝わってくる。一昨日までの榊なら、会話のペースを他人に合わせたはずだ。なんとなく見ていられなくて、零一は目を逸らす。そんな榊の正面に座る杉原すぎはらが、か細い声で正解を告げた。

「〝常夜〟から、神様がいなくなったから。私は、そう聞いています」

「はい、その通りです」

 アユは、表情を凛々しく引き締めた。零一に『お墓』の件を告げたときと、研ぎ澄まされた雰囲気が同じだった。

「零一さん。さかきさん。ひー君。〝常夜〟の神様についてお話します。――〝常夜〟には代々〝神様〟の役割をになう者が一人いて、その人物はさまざまな能力、権限を得ることができます。この〝神様〟の役割を担う者は、〝常夜〟の住人の中から選ばれます」

「住人が……神様に?」

 零一は、目を見開いた。荒唐無稽こうとうむけいな話なのに、すんなりと腑に落ちたのは、さっき知った『草壁衛くさかべまもる』という名前が、神様らしくなかった所為だろう。元は普通の住人だったなら納得できる。アユは首肯すると、先を続けた。

「しかし、肩書きは全知全能の神様とはいえ、肉体は脆い人の身です。〝常夜〟は狭い世界とはいえ、一つの世界を統治するという責務を長年に渡ってこなせるほどに、〝神様〟の身体を強靭きょうじんにすることも、人間として生まれた己の寿命を延ばすこともできません。――よって、〝神様〟の座を受け継いだ住人は、己の命の火が消える前に、誰かに〝神様〟を継承しなくてはなりません」

 息を吸い込んだのは、零一だろうか。さかきだろうか。杉原すぎはらに寄り添っているヒロも、敬虔けいけんな空気に呑まれてか、アユの話に耳を傾けている。零一は、掠れた声で訊ねた。

「〝神様〟を継承って……どうやって、新しい〝神様〟を選ぶんだ?」

「詳細は、伝わっていません。分かっているのは、〝神様〟の継承は〝神様〟自身にしか行えず、〝神様〟が新たに選んだ住人に引き継がれるということだけです」

 言葉を区切ったアユは、祈りを捧げるように目を閉じて、歌うように言った。

「〝神様〟は、〝常夜〟を支えるかなめです。要を失った世界は、やがて滅びの道を歩み始め、消滅の危機を迎えるかもしれません。現に、近年の〝常夜〟では建物の劣化が進んでいて、手に入らない物資の種類も、徐々にですが増えてきました。これらの現象は、〝神様〟を失うまでは見られなかったと聞いています。――さながら聖火リレーのように、〝常夜〟という世界を守る灯火を繋ぎ続けて、決して絶やしてはならない。いつしかこの決まり事は、住人たちの間で〝神様システム〟と呼ばれるようになりました」

 束の間の沈黙に、さかきの冷徹な声がひびを入れた。

「物は言いようね。私には、人身御供ひとみごくうと変わらないように聞こえるわ。それに〝神様システム〟という呼び名も、失礼を承知で言わせてもらうなら、神様という存在に対する畏敬いけいの念を欠くネーミングね。その〝神様〟とやらを崇拝するような信仰は、〝常夜〟には根付いていないようね」

「お嬢さん、それこそ物は言いようだな」

 エイジが、榊を振り向いた。表情には怒りもないが、笑みもない。大それた話を淡々と、ただただ事務的にこなしている様子が見て取れる。

「畏敬の念については、おおむね事実だろう。ただし、人身御供だと捉えるかどうかは、人それぞれだ。少なくとも、〝神様〟になるメリットはある。〝神様〟が得られる特権の一つは、特定の住人にとって、喉から手が出るほど欲しいものだからな」

 榊が、表情を変えた。探るような声音で、エイジに問う。

「その特権の内訳を、正確に教えていただけますか?」

「その質問には、まだ答えるわけにはいかないな」

「なぜですか」

 榊は、柳眉りゅうびを逆立てた。零一は狼狽えたが、エイジは烏龍ウーロン茶で喉を潤してから、先ほどと変わらない口調で淡々と告げた。

「俺たちが今日の会議で打ち明けるのは、アユが話す範囲の情報だけだ。詳しい話は、墓参りの道中でさせてもらう」

「墓参り?」

「ああ。〝神様〟システムの全貌を明かすのは、〝常夜〟の最後の神様を名乗ってやがる『草壁衛くさかべまもる』を含めた、歴代の〝神様〟の墓参りのときだ。それが〝常夜〟の住人たちのしきたりだ。それに、ここが〝現実〟なら馬鹿にされるような話を聞いて、混乱していないわけじゃないだろう? 情報を整理する時間を持てたと思ってくれ」

 榊は、神妙な顔で押し黙った。アユたちから聞かされた壮大な物語を、事実として受け止めようとしている顔だ。エイジたちへの苛立ちは伝わってくるが、話の信憑性にケチをつけているわけではなさそうだ。零一は、躊躇いながら質問した。

草壁衛くさかべまもるって人……いえ、〝神様〟は……いつ亡くなられたんですか? というか、『お墓』って言うくらいだから、亡くなられた、って理解でいいんですよね?」

「……。時期は、二年前だったかしら。確証はないけどね」

 今回もミキが答えてくれたが、「え、でも」と零一は訊き返す。

「一年前の議事録には、『草壁衛くさかべまもる』さんの名前が記録されてるんですよね? それなのに、亡くなったのは二年前って……?」

「ややこしい事情があるのよ。まあ、順を追って説明するわ」

 ミキの面倒臭そうな声を聞きながら、零一は『二年前』という台詞が気になった。廃駅でアユが話していた『〝現実〟発〝常夜〟行きの電車』の件も二年前だが、乗車していたのは零一も知っている住人とのことなので、こちらは『草壁衛くさかべまもる』とは無関係だろう。それに『二年前』という符号は、別のところにもある気がした。なんとなくすっきりしない気持ちに囚われていると、ミキの話が始まった。

「二年前くらいの時期から、〝常夜〟の建物がモンスターから受けるダメージが、段違いに大きくなった気がするのよね。モンスターの被害がさらに酷くなって、多くの住人が消えるようになったのは、それよりも少しあとの話よ。『草壁衛くさかべまもる』がいつ亡くなったかは、七年も〝常夜〟にいる私にも分からないわ。そもそも、本当に『草壁衛くさかべまもる』が死んだのかという問題は、今までの〝常夜会議〟でもたびたび議題に挙がっていたもの」

「そうなんですか?」

「ええ。だから一年前の第百四十四回〝常夜会議〟の議事録には、一応『草壁衛くさかべまもる』という〝神様〟の名前が書かれているってわけ。でも、たとえ『草壁衛』が生きていたとしても、彼を捜し出すのは無理でしょうね。現在の〝常夜〟の住人たちの中に、『草壁衛』の容姿や年齢を知る人間なんていないんだから」

「……ええっ?」

 思わず声を上げた零一だけでなく、これには榊も驚いたらしい。ヒロだけはきょとんとしていたが、隣の杉原すぎはらも戸惑っているようだ。

 そういえば、杉原の〝常夜〟滞在歴を確認したことはなかったが、確かアユよりもあとに来たはずだ。〝常夜会議〟は杉原にとっても初めてで、きっと零一たち同様に初めて知ることもあるのだろう。ミキの隣で、アユが話をまとめてくれた。

「――『〝常夜〟の神様は、二年前に姿を消した。その時点までの〝神様〟として、役割を継承していた住人の名前が『草壁衛くさかべまもる』さんだった』……というわけですね。容姿や年齢は誰にも知られていないのに、なぜ名前は伝わっていたのでしょうか?」

「この議事録の〝神様〟の欄に、誰かが『草壁衛くさかべまもる』って書いたからよ。〝神様〟の世代交代の瞬間を、見届けた第三者がいたってわけ。そんな住人たちの口伝くでんによって、〝神様〟の名前は忘れ去られずに残っているのよ」

 ミキの投げやりな声を聞いた榊が、「あるいは」と冷ややかな横槍を入れた。

「――誰かがその議事録に、勝手に『草壁衛くさかべまもる』と記入して、偽物の〝神様〟をでっち上げた。……なんてことは考えられませんか?」

 空気が、一瞬だけ凍った気がした。鋭い猜疑さいぎが、張り巡らされたピアノ線のように、廃墟同然の純喫茶跡地を駆け巡る。しかし、エイジの一言が猜疑の糸を断ち切った。

「何のために、そんなことをする必要がある?」

「この推測が正しかった場合、どこかに本物の〝神様〟がいるかもしれませんよね。例えば、そう――この〝常夜会議〟のメンバーの中に。そして、〝神様〟が持つ特権とやらを、誰の目もはばからずに行使できる」

 涼しい声音で、榊は言った。ひやりとした緊迫感が、場を再び支配しようとする。エイジは全く動じずに、榊の推理を切り捨てた。

「可能性がゼロとは言わんが、その考えは的外れだな」

「根拠をご提示いただけますか?」

「あんたね、その辺にしておきなさいよ。陸の孤島みたいな終末世界で、殺人事件でも期待していそうな探偵気取りには、私から説明してあげるわよ」

 ミキは盛大な溜息を吐き出すと、カウンター席で足を組んだ。

「少なくとも、『草壁衛くさかべまもる』という人物が〝神様〟を継承したという前提を、私は疑っていないわよ。〝神様〟の名前を口伝くでんの形で広めた人物の一人は、私たちがよく知る住人なんだもの」

「ミキさんたちの仲間だから、信用すると? 私情を挟んでおられるようですが、お聞きしましょう。ミキさんたちに〝神様〟の名前を伝えた住人は、どなたですか?」

 榊の涼しい挑発を、ミキは相手にしなかった。赤いルージュを引いた唇が、零一も知っている住人の名前を口にした。

宇佐美うさみさんよ。あのお爺ちゃんは、〝常夜〟滞在歴が一年と六か月だったかしら。モンスターの被害が甚大だった時期の真っただ中に〝常夜〟に流れ着いてしまったけれど、あの地獄を生き残った強者つわものよ。宇佐美うさみさんは、モンスターに襲われて消えかけていた住人の一人から、この話を聞いたと言っていたわ」

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