3-13 曲者揃い

「来たわよー。うわぁ、辛気臭い顔ぶれねぇ。杉原すぎはらさん、この飲み物を持ってそのまま帰りたくなっちゃうわねぇ」

「ミキさん、そう仰らずに……ミキさんが一緒なら、私も心強いですから」

 ミキと杉原が、手にビニール袋を提げて現れた。ミキは昨日『雹華ヒョウカ』でも羽織っていた黒いファー付きのコート姿で、杉原すぎはらはノーカラーコートに大判のストールを合わせている。品の良いロングスカートを揺らして歩いてくると、零一たちに会釈した。

「おはようございます。皆さん、お待たせしました」

「二人とも、すまないな」

 エイジが労うと、ミキが「いいのよお、別にね」と言って、ビニール袋からペットボトルの烏龍ウーロン茶を取り出して、零一とエイジの前に置いた。

「あ、ありがとうございます。今日はよろしくお願いします」

「ええ、頼りにしているわ。といっても、私はこんな会議なんて、今すぐ閉会しちゃえばいいと思ってるけどねー」

 ミキは聞こえよがしに言ってから、純喫茶跡地の最奥をちらと見た。視線を受けたさかきは立ち上がり、丁寧に頭を下げてから、美貌に知的な笑みをのせた。

「ミキさん。ご足労いただきありがとうございました。本日は、お手柔らかにお願いします」

「ふうん。まあ、一昨日までの良い子ちゃんぶってたあんたよりは、今のあんたのほうがマシかもね。アユちゃんー、さくっと始めてちょうだい」

「了解ですー。書記のミキさんは、こちらへどうぞ」

 厨房から出てきたアユが、カウンター席の椅子に腰かけた。手には古びた冊子が握られている。さかきが図書館から借りた手記に似ていたが、こちらのほうが厚みがあり、明らかな経年劣化で傷んでいた。榊も気づいたのか、えた声で言った。

「アユちゃんの持っているそれが、今までの〝常夜会議〟の議事録ね? この純喫茶跡地で保管していたのね」

「そうですよ。今後も同じ場所に保管するとは限りませんが」

「〝常夜会議〟が終わった後で、その議事録を私にも見せてもらえないかしら?」

「その辺りも含めて、会議で議論してはいかがでしょうか。榊さんが今も持っている手記の貸出の権限について、異議がある住人もいらっしゃるようですし」

「その権限を下さったのは、エイジさんを始めとした〝常夜〟の実力者たちよ?」

「エイジさんたちは、その権限を永続的に認めたわけではありません」

「そうね。私だって、永続的な権限なんていらないわ」

 榊は、アユをひたと見据えると、淡々と言い返した。

「こんな世界に、私は永住なんてしたくないもの」

 ――しん、と沈黙が降りた。杉原が困惑の表情で、「二人とも、落ち着いて……」と口を挟み、両者の間に進み出る。榊は慇懃無礼いんぎんぶれいに微笑むと、やり取りに圧倒されていた零一に水を向けた。

「そういえば、零一君。エリカちゃんの姿が見えないけれど、どうしたのかしら」

 エリカの不在については、必ず追及されると思っていた。零一は、緊迫感で軋んだ空気に負けないように、毅然きぜんとした顔を作る。

「エリカは、来ません。……俺が行くから、待ってるように言いました」

 アユが、カウンター席でサムズアップした。その隣に腰かけたミキも、とびきり下世話に笑っている。零一がげんなりしていると、榊も肩を竦めて微笑んだ。そのときの仕草と笑みだけは、今までのような肩肘張ったものではなかった。

「そう。理由は教えてくれないのね。それとも、訊くだけ野暮やぼかしら」

 言い終えると、自然体の榊は消えていた。怜悧れいりな表情の仮面をかぶり直し、カウンター席のアユとミキ、立ち尽くす杉原、テーブル席の零一とエイジを順番に眺めていく。

「〝常夜会議〟の参加者は、この六名だけですか?」

「悪いな。今回の参加者は、『〝現実〟の記憶を全て思い出した住人』に限定させてもらった」

 エイジが、榊の問いかけに応じた。零一は、その台詞に動揺する。

 これで、もう間違いない。――ここに来るはずだったエリカには、〝現実〟の全ての記憶が戻っている。榊はしばらく黙ってから、冷静に切り返した。

「嘘ですね。少なくとも零一君は、まだ記憶を全て取り戻せていないはずです」

「零一君は例外だ。確かにまだ忘れているが、残りの記憶を取り戻す気概はある」

 エイジが言い切ると、まだ座らずに立っていた杉原が、後ろめたそうに目を泳がせた。ユアとアユより少しだけ長い黒髪が、物憂げな横顔に掛かっている。その様子が零一には気になったが、榊とエイジは会話を続けていた。

「エイジさん。〝常夜〟滞在歴が三か月の私でも、全てを思い出せました。私のような住人は、大勢いらっしゃるはずです。〝現実〟と〝常夜〟のどちらを選ぶか、この人数で多数決をしても、あまり有意義とは言えませんね」

「そうだろうな」

「住人たちに多数決をさせるのは、そんなにお嫌ですか?」

「ああ。やなこった」

 エイジは、胡乱な眼差しを榊に向けた。表情はいつもと変わらないのに、ぞっとするほどの凄みがあった。

「お嬢さんも、全てを思い出したって聞いてるよ。フラッシュバックから二日も経てば、ちったぁ頭が冷えるかと期待したが、そういうわけでもなさそうだな。まあ、お前さんの言い分も聞いてから、こっちの考えを言わせてもらおうか」

「ちょっ、エイジさん、落ち着いてください。榊さんも、煽らないで……!」

 席を立った零一も、慌てて二人の仲裁に入った。今までにアユとエイジがそれぞれ見せた、不敵な笑みを思い出す。もっと早く気づくべきだった。

 榊とそりが合わなかったミキだけでなく、アユも、エイジも、誰一人として、今回の〝常夜会議〟を、穏便に済ませるつもりがない。唯一の味方の杉原も、手に負えない猛獣を前にした顔でおろおろしている。この場にエリカがいたら、常識人として彼らを諫めてくれただろうか。それとも、火に油を注いでいただろうか。

「どうなるんだ、これ……」

 早くも侃々諤々かんかんがくがくの議論が想像できて、零一がげっそりと呟いたときだった。

 救いの手は、思わぬところから差し伸べられた。

 ――カラン、と扉のベルが鳴り響き、新たな来客を知らせたのだ。舌足らずで明るい大声が、ぎすぎすした暗い空気を、問答無用で吹き飛ばす。

「あれぇ、零一にいちゃんがいる! エイジおじちゃんも!」

「……ヒロっ?」

 月明かりを背にして立ったのは、小学三年生のヒロだった。長めの黒髪を一つにくくり、上着はなく半ズボンという相変わらずの出で立ちだが、今日は初めて見る長袖姿だ。

 ヒロはとことこと歩いてくると、「杉原さん、アユねえちゃん、ミキねえさん!」と入り口から近い順番で呼びかけて、店の奥にいる榊に気づき、満面の笑みになる。

「榊さん、見つけた! かくれんぼ、僕の勝ち!」

「ひー君、どうして……待ってて、って言ったのに……」

 榊は、明らかに狼狽していた。誰と議論しても片鱗すら見せなかった動揺が、幼い同居人の登場によって引き出されている。事情を察して、零一は訊いた。

「榊さん、ヒロに留守番をさせてたんですか? ここに来させないために……?」

「……ええ。どうしても〝常夜会議〟に一緒に行くって、きかないから……かくれんぼの続きは、私が帰ってきてからねって、言ったんだけど」

「まあ、いいじゃねえか」

 エイジは、小さく息を吐いた。さっきまでの気迫は演技だったのかと思うほどに、普段の落ち着きが戻っている。

「ヒロが居てくれたほうが、こっちも頭に血が上らないで済む。なあ?」

「同感ね。零一君と杉原さんが、あたふたしている姿が見られないのは残念だけど」

 ミキもカウンター席で頬杖をつくと、人を食ったような笑みを向けてきた。アユも苦笑しているので、全員が留飲を下げてくれたようだ。零一は安堵したが、疲れは募りこそすれ消えることはなく、やがて猜疑さいぎ心に形を変えた。

「……」

 エイジたちは、やはり演技をしていたのではないだろうか。昨日六〇二号室を出る際に、エリカが零一に言った台詞を思い出す。

 ――『榊さんは、嘘をついてる。あの人は、自分の本当の名前を、もう思い出してる。嘘をついた理由は分からないけど、もし何か狙いがあるなら、警戒したほうがいいかもね』

 榊の隠し事を、エイジたちも見抜いていたのだろうか? だから、揺さぶりをかけていた? 互いに顔を合わせた瞬間から、腹の探り合いは始まっていたのだ。

 ――参加の予定だったエリカが欠席し、不参加の予定だったヒロが出席した。〝常夜〟の新人と呼ばれる零一、榊、ヒロの三名が、図らずも全員揃った形になる。

 予定外が続いた〝常夜会議〟は、これからどう展開していくのだろう。零一は被害者同士の杉原とアイコンタクトを交わしてから、今すぐに帰りたいという弱音を封印して着席し、曲者くせもの揃いの〝常夜会議〟に臨んだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る