2-8 不吉な前触れ

 午前中の廃駅前は、以前は閑散かんさんとしていたらしい。住人の総人数が少ないので当たり前だが、今の零一のような食料調達という用事を除けば、みんなが自然と住処すみかでじっとしているため、人通りはほとんどなかったという。

 しかし、今はまだ零一が連れてきた隕石のブームが続いているのか、広場には何人もの人影があった。数人のグループも自転車のライトで零一に気づいたらしく、こちらに手を振ってくれた。零一が〝常夜〟へ来たときに、自転車屋跡地へ連れていってくれたメンバーだ。自転車を降りた零一は、彼らに近づいて挨拶した。

「おはようございます、エイジさん。杉原すぎはらさん。ミキさん。宇佐美うさみさん」

「おはようさん。やっと俺たちの名前を覚えたか」

「おはようなんて挨拶、久しぶりね。零一君、顔色がよくなったわね」

「この時間は『こんばんは』よりも、やっぱり『おはよう』のほうが自然ね」

「こないだのラジオ、よかったよ。ユアちゃんはやっぱり喜んでいたようだね。いや、アユちゃんのほうか」

 あっという間に、雑談の輪に迎えられた。零一を自転車屋跡地へ導いてくれたエイジは、〝現実〟で大工をしていた四十代の男性だ。出会うたびに零一を気遣ってくれる女性は主婦の杉原すぎはらで、砕けた態度で接してくれる美女は〝常夜〟滞在歴が七年になる古株のミキだ。会話の中でユアやアユといった子どもの住人を何かと引き合いに出すのは、杖をついた好々爺こうこうや宇佐美うさみだ。

 全員の名前を覚えるには、もっと時間がかかると思っていた。予想よりも早く覚えられたのは、隕石探しで頻繁に広場へ出かけたおかげだろう。得意げにほくそ笑む同居人の顔が零一の頭に浮かんだとき、エイジが首を捻った。

「今日も隕石捜しか? エリカちゃんは一緒じゃないんだな」

 なんとなく、ぎくりとした。食料調達という名目があっても、後ろめたさが拭えない。

「エリカは、もうすぐ来ると思います。俺は、あいつがよく行く輸入食品の店に、食料をもらいに来ました」

「店主なら、今は留守だぜ」

 エイジが、淀みない口調で答えた。出鼻をくじかれた零一が驚いていると、主婦の杉原すぎはらが「ほら、あそこ見て」と雑居ビルが林立する大通りの入り口を腕で示した。

 目印の朽ちた信号機の右側に、目指す店舗はあった。車道に面した窓ガラスが月明かりを反射して、店内の様子はうかがえない。店先に看板の類いはなく、代わりに古びたランタンがつるしてあった。宇佐美うさみが、杖の先をランタンに向けた。

「営業しているときは、店先のランタンを点けるんだよ。あれが光っていないということは、あの子は自宅か、外出中だね」

「ゲーセンもない〝常夜〟で、出かける場所なんて限られてるけどねー」

「あの子はミキさんみたいに、ゲームセンターではしゃぐタイプじゃなさそうですよ」

 わいわいと話す一同を見ていたら、ふとエリカが言った『仲間を探したほうがいい』という台詞せりふが頭をよぎった。彼らには隕石を捜していることは知られているが、詳しい事情は話していない。わけを話せば、きっと親身になってくれるだろう。効率の面を考慮しても、協力をお願いしたほうがいいに決まっている。

 その一方で、引け目があった。彼らに助けをうほどに、零一は色違いの隕石を捜し尽くしたと言えるだろうか? 脳内ではまたしても、エリカが不敵に笑っていた。別行動をしているのに、やたらと存在を主張してくるのはなぜだろう。楽な道を選んだ罪悪感か、あるいは良心の呵責かしゃくだろうか。零一は、長々と溜息を吐いた。

 束の間の休息は、出かけたときとは打って変わって、ちっとも楽しめそうにない。

「それじゃあ、俺はそろそろ行きます」

「帰るのかい?」

「いえ、先に図書館に行きます。お店は、帰りにまた覗いてみます」

 本来であれば金銭の支払いが発生する施設は、自転車屋跡地のように店主が〝常夜〟を去った場合を除いて、原則として店主がいるときに利用する。それが、経済が破綻したこの世界で、住人たちが自ずと守っているルールだ。エイジたちは、複雑な表情で微笑んだ。エリカが使っていた化粧品のパレットのような、一色だけでは表現できない淡い感情の集まりが、儚げなうれいを形作る。

「君がここに馴染なじむことが、いいことなんだか、悪いことなんだか」

「分かりませんけど……今、俺が〝常夜〟で動き回れるようになったのは、皆さんに支えられたからだと思っています」

 さっきから脳内にちらついて消えない同居人も含めて、と心の中で付け足した。不器用な零一の言葉を聞いた一同は、やるせなさそうな笑みを浮かべた。先ほどよりは多少明るくなった笑顔に見送られて、零一は自転車を押して歩き出す。すると、背中にミキのハスキーな声が飛んできた。

「零一君、用事が済んだら、今日は早めに帰りなよー?」

「? どうしてですか?」

「なんか、嫌ーな感じがするのよねえ。これはきっと、アレよ」

 零一が振り向くと、ミキは懐中電灯であごを下から照らして見せた。おどろおどろしい陰影が、年齢不詳の美人のかんばせを台無しにする。

「モンスターが現れる前触れ、だったりして」

 広場を沈黙が包み込み、零一は唾を飲み込んだ。

 ――モンスター。〝常夜〟に時々現れるという黒い霧の形をした怪物は、以前に屋台で飲食業を営む大将を襲ってからは、一度も姿を見せていない。

「わ……分かるんですか、そんなことが」

「聞き流しとけ、零一君。こいつは〝現実〟でインチキ霊能者をやってたからな」

「エイジさんってばぁ、とっくに足を洗ったって言ったでしょー。うぶな青年をからかって楽しんでるだけなんだからぁ」

 急激に脱力した零一に、会話に参加していない主婦の杉原すぎはらが目を合わせた。くすんだ色彩のロングスカートが、〝常夜〟の煙たい風にはためく。

「でも、本当に気をつけてね。ミキさんの予言って、あれで結構当たるのよ」

「そうなんですか?」

 てっきり眉唾まゆつばものだと見做みなしていた。何を信じればいいのか分からず困惑すると、杉原すぎはら愁眉しゅうびを開いて微笑んだ。〝現実〟でもこんな笑みを、我が子に向けていたのだろうか。主婦の杉原が〝現実〟で子どもを失ったという話を、零一は本人から聞いている。

「それに、気の所為だと思うけど、モンスターが出る直前って、気分が悪くなりがちなのよ。もし何かが起こったときは、あなたを守ってくれる存在を思い出して」

「俺を、守ってくれる存在……?」

「ほら、あれだよ」

 しゃがれた声で答えた宇佐美うさみの杖が、〝常夜〟のビル群を指し示した。

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