2-7 生きる体力

「ひでぇな……」

 零一は、〝常夜〟の住人たちに挨拶回りをしたときと、全く同じ台詞せりふを吐いていた。

 朝食を終えた二人の姿は、駅前広場にあった。〝常夜〟に流れ着いた零一がエリカに発見された場所であり、大将が屋台を出していた場所でもある。

 昨夜の隕石の大半が、この周辺に落ちているようだった。思えば零一が〝常夜〟を散策したときも、隕石は広場一帯を蜂の巣にしていた。周囲を観察していたエリカが、興味深そうに懐中電灯を遠くへ向けた。

「あれが、ここから一番遠い所に落ちた隕石みたい。でも、ほとんどが駅前に集中してるね」

 大通りの手前、図書館が入ったビルの入り口付近に、黒い石が散っている。零一は気まずさを感じながら、ぼそりと言う。

「隕石が毎日、駅前を狙い撃ちにしてるのは、何か意味があるのか……?」

「うん、あると思うよ」

「分かるのか?」

 零一は、本気で驚いてエリカを見た。答えが返ってくるとは思わなかったのだ。エリカはさも当然と言わんばかりに、胸を張って言ってのけた。

「そんなの、簡単だよ。『この駅前広場には、誰も住んでないから』じゃない?」

「え?」

「〝常夜〟で一番広くて、隕石が落ちても被害が少ない場所って、どこだと思う?」

「……? まさか」

 はっとした。だが、信じられない。「でも、ここには店がたくさんあるだろ?」と零一は言い募ったが、エリカは涼しい声で「お店があるのは、広場から少し離れた大通りだよ」と答えて、懐中電灯のスイッチをオフにした。月が煌々と明るいから、屋外を歩くだけなら懐中電灯は要らないことを、今の零一はもう知っている。

「そこの大通りには、あたしが通ってる輸入食品メインのお店とか、不定期で営業してる洋食屋さんに、ドーナツ屋さんとか古着屋さんが集中してるでしょ? でもね、みんなはお店を早めに閉めるし、住処にしている場所は、こことは別にあるんだよ」

「それは、つまり……」

「この隕石は、優しい感じがする。誰も傷つけないようにしてる。零一の人柄が反映されてるってことじゃない?」

 エリカは、眩しく笑った。零一はどんなリアクションを返せばいいのか分からず、手元のノートに視線を落とした。

「それが判ったところで、簡単に見つけられるわけでもないだろ」

 作戦会議の議事録には、ユアとアユが言った『色違いの隕石』について記している。そこへ零一が書き込んだ一文が、これからの捜索が困難を極めることを示していた。

 ――『アユが色違いの隕石を見たのは、夜空から落ちてくる途中の隕石ではなく、地上に落ちた隕石』

「隕石の捜索範囲を絞り込めても、〝常夜〟はずっと夜なんだぞ? 月明かりと懐中電灯だけで、一つしかない色違いの隕石を捜すのは……」

「やるしかないでしょ」

 零一の弱音を、エリカは笑顔でばっさりと一蹴した。


     *


「いくらなんでも、見つけるの大変過ぎだろ……」

 ラジオ局でユアから情報提供を受けてから、三日目の午前八時。ソファにぐったりと寝そべった零一は、早々に音を上げていた。

「くたびれてる暇はないよ! 朝ごはんを食べたら探しに行くんだからねー」

 エリカは今日も大張り切りで、モッズコートからはみ出た兎の耳付きフードを揺らしながら、台所で朝食の準備を始めている。疲労という言葉とは無縁の後ろ姿が、零一には超人のようにしか思えない。

「三日もがんばって手掛かりゼロなのに、なんでそんなに元気なんだ……」

「んー、音楽活動って、体力を使うからかな?」

 薬缶やかんを火にかけながら、エリカは考え込むように首を傾げた。そういえば、と零一は思い返す。エリカは、以前にこのリビングで、エレキギターを抱えていた。

「でも、音楽活動だけじゃないよね。料理を誰かに振る舞ったり、ラジオ局からみんなに声を届けたり、〝現実〟で生きていたりするだけで、体力って必要だよね」

「……」

 ソファから起き上がった零一は、己の両腕を持ち上げた。

 痩せた身体は、〝常夜〟に来てから多少だが、不健康な見た目がマシになった。エリカと暮らしているうちに、インスタント食品が大半とはいえ、きちんと食べているからに違いない。〝現実〟の零一は、ろくに食べずに生きていた。記憶が判然としないままでも、それだけは妙なリアリティで判ってしまう。

「んー、まあ確かに零一は病み上がりっぽい感じだし、このまま二人で隕石を捜し続けるのは、ちょっと厳しくなってきたかなぁ」

 気づけばエリカが振り返っていて、零一を眺めて思案していた。零一としては有難い配慮だが、戦力外を直球で通告されるのも、なんだか微妙な気分になる。むっと眉根を寄せていると、エリカがぽつりと言った。

「二人での捜索が厳しいなら、仲間を探したほうがいいかもね」

「こんな酔狂に付き合ってくれるような奴、他にいないだろ」

「そんなことないと思うけどなぁ。ねえ、こんなに捜してるのに見つからないなんて、おかしくない? 実は、あたしたちよりも先に、誰かが拾ってたりして」

「それこそ、物好きのやることだろ」

 零一は溜息を吐くと、のろのろと着替えを抱えて洗面所に向かった。

 今日もこれから市街地に向かい、夕方に当たる時刻まで、隕石を地道に捜すことになるはずだ。ただ、少なくとも零一にとっては、ユアが提示した『色違いの隕石捜し』というミッションは、達成できる見込みが全くなく、捜索は暗礁に乗り上げつつあった。

「零一ってば、難しく考えすぎじゃない?」

 零一がリビングに戻るなり、エリカは言った。この同居人は、おちゃらけているように見えて、人の感情の機微にはすぐ気づく。コンロの火を止めたエリカは、隣の戸棚の前に屈み込んだ。

「あたしとしては、今やってることって、ラジオ局に行く前と何も変わってないんだもん。朝食を済ませてから、隕石の落下跡地を巡るだけ。あたしの日課に、色違いの隕石を捜すって目的が加わっただけなんだから」

 エリカは戸棚を開けながら、気楽な口調で続けた。

「〝常夜〟に毎晩落ちてくる隕石は、焦げ臭い岩みたいな黒い塊ばっかり。その中に一つだけ、ユアちゃんたちが言うような『色違い』があるのなら、問題は零一が明確にしてくれたように、『どこに落ちたか』だよね。捜し方が悪いのかなー。片付けなら自信あるけど、失くしたものを捜すのって、昔から苦手だったんだよねー」

「なんで、俺よりもエリカのほうが、やる気があるんだ……?」

 零一は、問いかけずにはいられなかった。

 就寝前には窓際に張り込み、熱心に流星群を観察するだけでなく、目を覚ましてからは市街地に隕石を捜しに行く。徒労に終わるかもしれないこの行為を、エリカが明るく続けられるのはなぜだろう。

 それに、零一の思い過ごしでなければ、エリカは零一をラジオ局に行かせたくないようだった。いざユアとアユという少女たちに出会う段になると、そんな素振りは露ほども見せなかったが、あの日のエリカの不審な様子を、零一は忘れられないでいる。

 エリカは、何かを隠している。しかも、あまり考えたくはないが、零一の〝現実〟の記憶に関わるような、重大な何かを。そんなエリカが、零一が〝常夜〟に連れてきた隕石については、前向きに調べている。ラジオ局のときとは一体何が違うのか、行動原理の差異を見つけられない零一には、それが純粋に疑問だった。

 エリカは、きょとんと小首を傾げてから、楽しそうに顔をほころばせた。

「だって、隕石について調べたら、零一が〝常夜〟に来る直前のことが判るかもしれないでしょ?」

「俺が、〝常夜〟に来る直前のこと……」

 零一が〝常夜〟の廃駅前の噴水跡地で、エリカに発見されるよりも前のこと。

 ――〝常夜〟に迷い込むきっかけとなる、『つらい経験をした』という時期のこと。

「あたしも知りたいんだ。〝現実〟の零一のこと」

 あまりに屈託なく言われたので、零一は二の句を告げなくなった。やっとのことで、一言だけ言い返す。

「……変な奴」

「隕石とセットで〝常夜〟に来た零一のほうが、変に決まって……あれっ?」

「? どうした?」

「あちゃー、うっかりしてた」

 エリカは、赤だしのフリーズドライを二つ握ったまま、ひょいと身体の位置を少しずらした。相変わらず灯りが点かない暗い部屋でも、闇に慣れきった零一の目は、戸棚の中を見通せた。「あ」と思わず声が漏れる。

 戸棚の中は、ほとんど空っぽだったのだ。カップラーメンが僅かに残っているだけで、味噌汁やスープ類は、どうやらこの赤だしで最後のようだ。

迂闊うかつだったなぁ、こんなに残りが少なくなるまで、気づかなかったなんて」

 エリカは心の底から驚いているのか、すかすかの戸棚に見入っている。零一の胸に、小さな罪悪感が生まれた。

 零一が、この家に転がり込んだからだ。そうでなければ、エリカの生活リズムを、こんな形で乱すことはなかった。

「一人で消費する生活に、いつの間にか慣れちゃってたんだね」

 エリカは、気にした様子もなく笑っていた。窓から見える満月に照らし出された表情は、少しだけ嬉しそうで、少しだけ寂しげだった。「お店にも食料調達に行かなきゃいけないし、今日は忙しくなるなぁ」という呟きを聞いた零一は、沈黙を挟んで、おもむろに気づく。罪悪感が薄れた代わりに、名案を思いついていた。

「エリカ。食料調達は、俺が行く」

「え?」

「この家の食料の大半は、エリカがいつも話してる『輸入食品メインの店』で調達してるんだろ? 場所も、昨日の隕石捜しで分かってる。廃駅前の噴水跡地から大通りに出て、ぼろぼろの信号機を目印に右折した所だろ?」

「そうだけど……」

「まだ店主にも挨拶してないし、ちょうどいい。俺が行ってくる」

「じゃあ、お願いしようかな……? なんか、妙に張り切ってない?」

 腰に両手を当てたエリカが、じっとりと零一を見た。ぎくりとした零一は、「別に、普通だろ」とまたしても怪しさ満点の台詞で誤魔化す。

 食料の消費を早めて申し訳ないという気持ちもあるが、これは隕石捜しを別のアプローチで調べるチャンス――という名目で、この終わりが見えない作業から抜け出すチャンスだと考えてしまったことは、口が裂けても言えない。

「零一、本当に大丈夫? 疲れてるだろうし、あたし行くよ?」

「大丈夫だ。それに……図書館! 図書館にも行きたいんだ。ユアが、確か言ってただろ? 図書館には、今までの記憶喪失者たちの記録をまとめた、手記があるって!」

 その言葉は、零一の本心だ。いずれ調べに行きたいと思っていた。決して、隕石捜しという肉体労働を一日休みたいために、口から出まかせを言ったわけでは断じてない。

「んー……? なんか、やっぱり怪しくない? 最近はちょっと無気力な感じがマシになったかなぁとは思ってたけど、こんなに積極的な零一、胡散臭いよ」

「なんだと……いや、なんでもない。いつも食料のことは任せっきりだったし、今日くらいは俺に行かせてくれ。いつもありがとうな」

「えっ……爽やかに、お礼を言った……? どうしたの、キモチワルイ……やっぱりあたしが行くよ、熱でもあるんじゃないの?」

「おい、俺をなんだと思ってるんだ……?」

 何度か笑顔が崩れたが、なんとか零一は食料の調達係を勝ち取ることに成功し、意気揚々とマンションを出た。玄関扉を出るまでに、エリカが「お店の場所、ど忘れしてない?」とか「店主は、お店の名前を忘れてるからね。看板はないよ」とか「そもそも、店主の名前、ちゃんと知ってる? 名前は――」等と言っていたが、機嫌よくスニーカーを突っ掛けて外に出た零一は、うわの空でいくつか聞き逃した。六階のバルコニーから不審そうに見送るエリカに手さえ振って、自転車のライトを付けて走り出す。

 見つかるか分からない捜し物の捜索を一日休めば、身体の疲れも少しは取れて、いい気分転換になるだろう。そう信じて疑っていなかった。

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