1-5 優しさの理由
「おかえりー」
六〇二号室に戻ると、エリカは月光が差し込む窓際で、エレキギターを
「お昼ご飯にしようよ。カレーラーメンとカレーうどん、どっちがいい?」
「ああ、そんな時間か……」
ずっと真夜中が続いているから、時間の感覚が狂ってしまう。「カレーしかないのか、この家は」と呆れを込めて指摘すると、エリカは妙に嬉しそうに「えへへぇ」と笑った。何を笑われたのか分からないが、
「返事がないから、あたしがカレーラーメンね。あっ、
エリカが、ぱっと表情を輝かせた。それから不思議そうに小首を傾げて、何かを納得した様子で頷いている。百面相を見せられた零一は、何がなんだか分からない。
「大将が屋台を出すのは十八時以降なのに、変だなーって思ったんだけど、なるほどね。零一に会いに来たんだね」
「俺に? わざわざ?」
「ラッキーだったね。大将の屋台って、食材の仕入れが大変らしくて、営業日は不定期なの。それに、〝常夜〟のみんなも親切だったでしょ? みんな、隕石を〝常夜〟に連れてきた零一のことが気になるし、できるだけ優しくしたいんだよ」
「……意味が分からないな。俺は、この世界に隕石を降らせてるんだぞ。迷惑だって怒られるならまだしも、優しくされる理由なんかないだろ」
「人に優しくするのに、理由なんている?」
当然と言わんばかりに、エリカは胸を張った。虚を
「零一だって強がってるけど、本当は心細いでしょ? 『転生したら終末世界で美少女とスローライフを送ることになりました』なんて、ライトノベルの主人公みたいな境遇に身を置いて。零一が寂しい思いをしないように、みんな気を使ってくれてるんだよ」
「勝手に転生させるな……俺の〝現実〟の身体は生きてるんだろ……っていうか自分で美少女って言うのかよ……」
別の意味で、頭が痛くなってきた。きっちり半分だけ残した卵焼きのパックをエリカに手渡した零一は、ふと気になったことを訊いてみる。
「あの人、いつからここにいるんだ」
明太卵焼きを機嫌よく眺めていたエリカは、「大将のこと? あたしよりも長いよ。二年前くらいって言ってたかな」と答えてくれた。
「エリカより? そういえば、エリカはいつから〝
「一年前だよ」
エリカは
「一年前の、明け方に当たる時刻に、あたしは〝常夜〟に流れ着いた」
試すような声音と視線に、零一は戸惑う。時々エリカは、こんなふうに零一の反応を窺ってくる。零一が不満を込めて見下ろすと、エリカはころりと話題を変えてきた。
「ねえ、市街地はどうだった?」
「……あの隕石、本当に俺の所為なのか?」
「零一の所為だねえ。ああ、みんな楽しんでるみたいだよ?
「そんな綺麗なものじゃなかったけどな」
「食事が済んだら、あたしも街を見てこようっと。零一が全然説明してくれないから、隕石ってどんな見た目をしてるのか想像できないもん」
「楽しい光景じゃないぞ」
「楽しいか楽しくないかは、あたしが決めることだよ」
その宣言通り、エリカは三分後に出来上がったラーメンと明太卵焼きを素早く食べ終えると、まだ食事中の零一をソファに残して、元気よく部屋を出ていった。小学生のようなはしゃぎようを見ていると、口の端に呆れ笑いが滲む。そんな己の反応にばつの悪さを感じたとき、突然の既視感が胸を
――今度は、きちんと思い出せる。零一が〝常夜〟に来たときのことだ。
市街地の噴水跡地で、呆然自失の体で立ち尽くす零一に、誰よりも先に気づいて駆け寄ってきたのはエリカだった。
そして、なぜだか切羽詰まった笑みを見せて、零一に話しかけたのだ。
『あたしのこと、迎えにきてくれたの?』
切実な期待の声が鼓膜を震わせた瞬間に、零一の意識は覚醒した。〝現実〟から〝常夜〟に流れ着いた記憶喪失の人間として、この世界に意識が繋がったのだ。
だから、零一がエリカにかけた最初の言葉は、必然的にこうなった。
『何の話だ?』
エリカは切れ長の目を瞬くと、やがて何かを達観したように微笑んだ。それから何事もなかったかのように『あたし、エリカ。君は、自分の名前を覚えてる?』と言って、〝常夜〟の案内役を買って出てくれた。
出会い頭のやり取りは、意識が〝常夜〟で目覚めたばかりの零一が見た白昼夢だったのではないかと思ったほどだ。月光で青白く照らし出された
零一は、エリカのことをあまりにも知らない。エリカも記憶を失くしているはずだが、零一よりも〝常夜〟で過ごす時間が長い分、〝現実〟の記憶を少しは取り戻しているのだろうか。頭の奥で眠りについた思い出が、またしても小さく
そのタイミングを計ったかのように、慌ただしい足音が聞こえてきた。そして勢いよく玄関扉が開いたので、度肝を抜かれた零一は、食べ終えかけていたカレーうどんを喉に詰まらせる。さっき家を出たばかりのエリカが、血相を変えて戻ってきたのだ。
「どうしたんだ?」
「ラジオ、つけて」
鋭い声が、冷えた空気を叩いた。剣幕に気圧された零一は、これはただ事ではないと悟る。すぐ隣に転がっていたラジオを操作すると、女性ボーカルの甘い声が、沈黙を柔らかく解きほぐした。それでいてどこか刹那的な切なさを宿した歌が、真顔だったエリカの表情も和らげた。
「あいつは、この歌を嫌うから。他の住人たちも今頃は、それぞれが近くの建物に避難して、ラジオを聴いてると思う」
「何の話だ……?」
いつぞやと同じ台詞を、つい口にしてしまった。エリカが息を詰めたから、ああ、と零一は悟る。
出会いの瞬間の出来事は、やはり夢ではなかったのだ。
「モンスターが出たんだよ」
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