2-2 ユアとアユ

「ラジオ局に連れていってもいいけど、零一に覚悟はあるの?」

 零一の要望を受けたエリカは、夜道でしばらく考え込むように黙ってから、にやりと笑って訊いてきた。嫌な予感はしたが、くだらない臆病風に吹かれているのは癪なので、零一は挑発に応じてしまった。

「なんでラジオ局に行くくらいで、覚悟を求められるんだか」

 直感を信じなかった代償は、思いのほか高くつくことになる。〝常夜〟の外れに位置する廃ビルの一つに連れていかれた零一は、それを嫌というほど思い知った。

「ラジオ局は五階だよ。エレベーターは壊れてるから、階段で上がるよ。ああ、非常階段のほうね。屋内の階段は、二階から三階の途中が崩れちゃってるから……」

 エリカの案内で暗い螺旋らせん階段に懐中電灯を向けたときには、嫌な予感が増していた。螺旋階段のあちこちに、書籍がうずたかく積まれていたからだ。侵入者を阻む要塞ようさいのようなおもむきは、ここに寝泊まりしているという人物が相当の変わり者であることの証左しょうさに感じられ、果たして予想は的中した。

 五階のオフィス跡地で零一を迎えたのは、予想外な年齢の人物だったのだ。

「零一、紹介するね。この子はユアちゃん。中学一年生で、ラジオ番組のパーソナリティを務めてるんだよ」

 紺色のセーラー服を着た少女は、無気力そうに細めた目を零一に向けた。肩口で切り揃えられた黒髪が、袖を通さず肩に羽織っただけのダッフルコートに掛かっている。コートの腕にはつたの意匠が施されたワッペンが縫い留められているので、学校指定の装いなのだろう。制服もコートも、サイズが合っておらずぶかぶかだ。育ち盛りの成長を見越して、大きめのものを買い与えた親心が伝わってくる。

「〝常夜〟には、こんな若い奴もいるのか……」

「零一だって若いじゃん。ユアちゃん、この人は最近〝常夜〟に来た零一だよ。ほら零一、挨拶して」

「……初めまして。零一です」

 零一が挨拶しても、ユアと紹介された女子中学生は無言だった。面倒臭そうな表情を改めようともしていない。むっとしたが、押しかけたのはこちらなのだ。気を取り直した零一は、本題を単刀直入に切り出した。

「訊きたいことがあるんだ。モンスターが現れるときに、よくラジオ局にリクエストされる曲について。曲名を教えてほしい。エリカも知らないって言うからな」

 最後の一言に少しだけ力を込めて、零一は言う。エリカは知らん顔で目を逸らしていたが、まだ勝ち誇ったような笑みを維持していた。不穏さを嗅ぎ取ったとき、ユアが気怠そうに溜息を吐いて、立ち上がった。

「……そういうのは、アユに訊いて」

「アユ? おい、どこへ……」

「ついてきて」

 ユアは、月明かりが燦々と差し込む窓際に向かった。痩せ型の体躯たいくが、パーティションで区切られた窓際の応接スペースと思しき場所へ消えていく。不遜ふそんなタメ口にもかちんときた零一は、文句をこらえてユアを追い、パーティションの内側に入った。

 ――そして、〝もう一人〟の人物に出迎えられたのだった。

 パァンと派手な破裂音がして、ぎょっとした零一は仰け反る。カラフルな紙片がひらひらと舞う応接スペースの入り口で、ユアがクラッカーをこちらに向けていた。

「零一さん、初めまして! 〝常夜〟にようこそ!」

 ついさっきまで愛想なんて欠片もなかった表情は、信じ難いほどに満面の笑みに変わっていた。呆然とする零一をよそに、ユアは弾ける笑顔でまくし立てる。

「私はアユです。ラジオに関する質問や、その他の面倒臭そうな日常会話全般は、私が請け負うことになっています。ふふ、ユアは人見知りなんです。不愛想に思われるかもしれませんが、許してあげてくださいね」

「ユア……アユ……?」

「あれぇ、エリカさんから聞いてませんか? それとも私たちのラジオ、全然聞いてくれてないんですかぁ?」

 ユアが――否、本人の名乗りを信じるならば、アユが――上目遣いで零一を責める。かと思いきや、さっぱりと笑って「興味があれば、モンスターが出たとき以外にも、ラジオを聴いてみてくださいねっ」と宣伝して、背後の応接テーブルを腕で示した。

 そこには一台のパソコンと、零一が初めて見る機材とケーブル、それにマイクがあった。ラジオ番組の収録は、ここで行われているのだろう。しげしげと眺めていると、エリカもパーティションの内側にやって来た。

「アユちゃん、久しぶりー」

「お久しぶりですー。エリカさん、またゲストに来てくださいよぉ。リスナーの皆さんも、エリカさんの音楽を楽しみにしているんですよ?」

「あはは、考えとくね。それよりも、今は零一のお願いを聞いてあげて? 覚悟はできているそうだから」

 エリカはそそくさと話を打ち切ると、零一の背中を押してきた。

「待てよ、エリカ。どうなってるんだ? こいつ、さっきの奴と、まるで別人……」

「せっかくラジオ局まで来てくださった零一さんに、まずは私たちの番組についてお話ししますね」

 混乱する零一をよそに、アユはにっこりと笑みを深めた。

「私たちのラジオ番組は『ユアとアユの常夜鍋とこよなべ』って名前なんですけど、本当は闇鍋にする予定だったんですよ。何が入っているのか分からなくて、何が入っていても許されるような寛容さが、とっても素敵じゃないですか。私たちは、そういうラジオ番組を作りたい……そんな理念を掲げたものの、ここは〝常夜〟ですからね。闇鍋よりも常夜鍋だろうって、ユアに冷静なツッコミを入れられまして、現在の形に落ち着きました」

「いや、俺が知りたいのは、そういうことじゃなくて……」

「零一さんは、ラジオの曲のことだけじゃなくて、アユとユアのことも知りたいんですか?」

 アユは事務椅子を引いて着席すると、慣れた手つきでパソコンを操作し始めた。液晶が月光に負けないくらいに青白く輝き、同じ輝きを瞳に宿したアユが、零一を試すように見上げてくる。

「両方とも、教えてあげますよ。ただし、条件があります」

「条件?」

「はい。ここに来たということは、もう了承済みだと受け取ります。さあ、私の正面に座ってください」

 そうして〝条件〟を聞かされた零一は、渋面で振り返り、エリカを睨んだ。エリカはどこ吹く風で微笑んでいて、アユの言う〝条件〟を呑んだ零一は――渋々と着席して、現在に至る。

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