家の灯り

@J2130

第1話

「作り過ぎたので、もしよろしかったら食べてくだい」


 真っ赤な顔を見られたくないのと、れいちゃんのお母さんの顔を見たくないのとで、よしこは下を向いたままいつものように大きい鍋を差し出した。


「ありがとう…ごめんね」

 れいちゃんのお母さんはそう言って、よしこからお芋がたくさん入った鍋を受け取った。


 同級生のれいちゃんと二人の小さい弟もおそらく玄関まで出てきて、よしこと鍋を見つめているのであろう。よしこは下を向いたまま急いで振り返り、自分の家まで駆けていった。


 しばらくすると、れいちゃんが鍋を返しにきた。

 鍋はいつもこれ以上ないというくらいピカピカに磨かれている。

 よしこの母親は玄関に正座して迎え、鍋を受け取り、れいちゃんはしっかりとよしこの母親を見つめながら

「ごちそうさまでした。いつもありがとうございます」

 と深くお辞儀をして帰っていった。

 これがほぼ毎日繰替えされる光景だった。



「どうしてそんなに多く作るの…また作り過ぎちゃうよ…」


 夕食の時間になるとよしこは母親の使う鍋の中身が気になって仕方がない。

 でも母親は今日も家族では到底食べきれないほどの食材を使い、夕食を作っている。

 案の定というか、あらかじめ余るであろうと思われる量を母親は別の鍋に取り分け、夕食後よしこに持たせた。


「お願いね、届けるだけでいいからね」


 よしこは母親が好きだ。

 優しいし戦争に行った上の兄のように怒らない。

 父が病気で死んだあと、たくさんの兄弟と末っ子のよしこまで育てている母親が大好きだ。

 できるだけ母親の言うことは聞きたい。

 だけどこれはつらい。

 自分が人に食べ物を恵んであげているようで、れいちゃんやお母さんに申訳なくて…。


 でも、なんとなく母親が届けるより小さいよしこが届けたほうがいいのはわかる。相手も受け取りやすいっていうことだって…。

 きっとれいちゃんが鍋を返しにくるのも同じことなのだろう。


 だけど恥ずかしい。


 鍋を両手に持って家をでる。

 すぐ近くの路地の先にれいちゃんの家がある。

 灯りがともっている。


「作り過ぎたのでもしよろしかったら食べて下さい」

 よしこはうつむいたまま今日もそう言った。


 大きい戦争の後でさえ、よしこの家は上の兄弟が働き、蓄えもあり食べ物も買えた。恵まれたほうだったのであろう。だが近所には父親を戦争にとられ、働き手もない家族が何軒もあった。

 みんな食べるだけで生きるだけで大変な時だった。

 

 よしこは学校ではあえてれいちゃんと顔を合わせないようにした。

 れいちゃんも避けている感じがする。

 お互い気まずいし何を話していいかわからない。


 しかし夜になると、

「作り過ぎたので…」

「ごちそうさまでした」

 お互いの声は聞こえてきた。


 戦争が終わった翌年の夏。もうすぐ夏休みがはじまる時期だった。



 よしこは学校の帰り道、れいちゃんといっしょになってしまった。

 先を歩いているのがれいちゃんだとわかると、よしこはわざとゆっくり歩いた。

 れいちゃんもなぜかゆっくりと歩き、よしこが止まると同じく止まる。


 困ったまま下をむいていると、音と気配で近づいてくるのがわかった。


 どきどきした。

 顔をあげられない。

 靴しか見えない。声だけが聞こえてきた。


「よっちゃん…、よっちゃんの田舎どこ? 私はね、新潟なんだよ…」

 れいちゃんの靴はいきなり振り返り靴音だけを残して走っていった。


 次の日、れいちゃんは学校を休んだ。


 夕食の時、母親はだまって家族の分だけの食事を作った。

 よしこはなぜかなんとも言えない不安で心がいっぱいになり、あまり夕食を食べることができなかった。

 後片付けのあと、母親はよしこだけを静かに表に連れ出した。

何度も何度も通ったれいちゃんの家の灯りが消えている。


「れいちゃんのお母さん、よしこに感謝していたよ、ごめんねって…」

 夏ではあるがもうかなりあたりは暗くなっている。


「田舎に行くんだって…」

 母親はぎゅっとよしこを抱きしめた。

 よしこは急にのどが熱くなりひどく悲しくなった。

 両目から涙が流れ、そのまま暗い路地に落ちた。

 よしこは母親の腰に顔をつけ泣き顔を隠した。でも泣き声だけは隠せなかった。

                  了

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